無題
須々木です。
この話題をここで扱うべきか否か、少々考えましたが、のちに振り返れる形で残しておくことにも意義があると思い、書き記します。
どんな悲惨な出来事であっても、直接的に関わってしまったごく一部の人たちを除いては、徐々に風化していってしまうものです。
人間の脳味噌に備わっている機能により、正常に忘れていくはずです。
だからこそ、今のうちに書いておきたいと思います。
誤解を恐れずに言えば、地震をはじめとする天災には、日本で生きている限り、ある程度の心理的耐性があるような気がします。
人間のミスにより被害が拡大したとしても、主たる原因が天災であれば、どこかの時点で「しょうがない」と言って、気持ちを切り換えていく方が多いと思いますが、これが日本に住む人々が培ってきたあり方なんだと感じます。
しかし、今回のような、あまりにも理不尽な悪意により起きてしまった悲劇は、どう乗り越えるべきか。
冥福は祈りたいけれど、さすがにこれで冥福というのはきつい。
そうであるならば、結局は、無念を晴らすために行動するべきなんだろうと思います。
もちろん、恨みかえすということではなく、前進という意味で。
やり方は人それぞれで、とにかく前に前に。
失われたものはあまりに多く、ネガティブな感情が連鎖していってしまうのはある程度やむをえないこととは思いますが、刑罰は法に則って粛々と。
そして、歩ける人は前に進み、歩くのがきつい人はしばらくお休み。
人はみな全知全能の存在ではないわけで、できることとできないことがある。
いまはただ、適切なケアと静かな慰霊を。
sho