さようなら平成。
須々木です。
いよいよ平成が終わり、令和がはじまりますね。
最近は盛んに平成の振り返りが行われていますが、個人的に、平成の序盤については記憶もかなり朧気で、むしろ、のちに見た過去の映像で記憶が上書きされているようなところも多くあります。
昭和と平成の境目を肌感覚としてよく分かっていないので、むしろ、時代の切り替わりという意味では、20世紀と21世紀の境目の方がより実感がありました。
元号が変わるという体験は、今回が実質的にははじめてのことで、非常に新鮮です。
単純に数字で機械的に区切るのではなく、よりナマっぽい時代の境界の感覚を持てるのは、貴重だと思います。
もちろん、西暦と比較して、使い勝手が良いとはとても言えませんが、文化的な側面として大きな意義を感じます。
日本という枠の中ではありますが、戦争のない時代として総括できる平成。
しかし、歴史に刻まれる大きな出来事はいくつもありました。
個人的に3つあげるなら、地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教関連、アメリカ同時多発テロ、東日本大震災。
オウムに関しては、リアルタイムで認識していたのは、かなり断片的情報だったように思いますが、とんでもないことが起きていたというのは認識していたように思います。
それまでの“常識”が更新されたという意味で、時代を語る上で避けては通れないものだろうと思います。
アメリカ同時多発テロは、テレビを通じて一部始終を見ていたので、より印象が強いです。
テレビ画面が切り替わって、世界貿易センターから立ち上る煙、錯綜する情報、崩れ落ちるビル。
「これが21世紀か・・・」と思った記憶があります。
東日本大震災は、実際に強い揺れの中、「ついに来たか」と思いつつ、直後にテレビをつけて映し出されるものを見て行くうちに、そんなレベルではないと気付いていきました。
大津波、原発事故もあわせて、それまで「戦前/戦後」を日本の時代の切り変わりとして使っていたのが、新たに「震災前/震災後」ということになるんだろうなと。
もちろん、素晴らしい出来事はいくつもありましたが、相当な苦難があったように思います。
ただ、それにもかかわらず、平成という時代に対して「ありがとう」と言える人々の姿は美しいです。
より個人的なことを振り返ると、うまくできたこともあれば、うまくできなかったこともあります。
当たり前ですが。
そして、うまくできなかったことの方が圧倒的に多い。
にもかかわらず、全体としてはなかなか良い感じ。
なんだか矛盾しているような気はしますが、実際そんなもんです。
そして、中学の時点でわりと具体的に掲げていた将来像と比較しても、そんなにそれていないのが結構面白いところだなと思います。
もちろん、知識も経験も増えて、時代は流れ、新技術が生まれ、常識が変化していっているので、そういった多くの補正は必要ですが、シンプルにコンセプトの部分については、本当にそのまんま。
まだまだ目指す先は遠いのですが。
Random Walkとして掲げている「伝える、楽しむ、超える」にもありますが、特に「伝える」について。
僕自身、何かを創ったり、何らかのアクションをとるとき、誰に届けたいかは、わりと具体的にイメージしていることが多いです。
ちなみに、その相手は、知らない誰かのこともあれば、知ってる誰かのこともあります。
そして、未来の自分に向けて書く備忘録のようなものもあれば、逆に、過去の自分に向けて書くイメージを持っているときもあります。
もちろん、実際に届くことはないけれど、「中学生の頃の自分が楽しんでくれるような」・・・みたいなのとか。
そして、元号が令和になるので、これまた一つ。
令和は、平成の自分がうらやむような生き方を。
僕は、あまり人の何かを本気でうらやんだりするタイプではありませんが、そんな平成の自分が本気で羨ましいと思うようなことを目指し続けたいと思います。
平成は大いに楽しませてもらいましたが、それを遥かに超えていきたいです。
さようなら平成。
ありがとう平成。
sho