【備忘録】日経サイエンス2018/12号 ~その1~
須々木です。
気付けばもう残り1ヶ月ですね。
というわけでブログです。
今回は、科学雑誌「日経サイエンス」2018年12月号の特集を読んで思ったことをつらつらと書き連ねる備忘録です。
僕は、昔から科学全般けっこう興味があるタイプなので、今でもいろいろ読みますが、個人的にも面白いと感じる特集だったので、僕の脳内に浮かんだ思考を残しておきます。
あまり読みやすさは考慮していないのでご注意。
興味のある人は、自分で雑誌を読んでください。
ちなみに、もう2019年1月号が発売されているので、一つ前の号です。
もっと早く書け。
日経サイエンス2018年12月号特集【新・人類学】 ヒトは思考し,言葉でそれを伝え,ほかの人を教育し,相手の立場を想像できる一方,戦争という集団殺戮を実行する。ヒトはいかにして現在の人間になったのか。人間の本質を科学で探る総力特集。 https://t.co/t97v8Dhbabpic.twitter.com/7bRwgegcCe
— 日経サイエンス (@NikkeiScience) 2018年11月14日
上の引用(公式アカウントのツイートを拝借)のとおりの特集です。
目次から各記事の紹介を読めるので、そちらに目を通してからブログを読んだ方が多少分かりやすいと思います。
新・人類学 ヒトはなぜ人間になったのか
第1部 人間性の起源
ヒトという種の特異的な進化の鍵、高い思考力をなぜ獲得したのか、ヒトと他の生物との“意識”の差、ヒトはなぜ高度に言語を扱うのか etc
第2部 「他者」とのかかわり
我々ホモ・サピエンスと他の人類種との関わり、人間はなぜ“モラル”を獲得したのか、戦争は人間の本能なのか etc
第3部 明日の姿
人間が生み出した特異的環境が生物進化に及ぼす影響、AIが人間の未来に及ぼす影響、宇宙における人間の存在について etc
全3部構成、69ページにも渡るなかなかのボリュームの特集記事です。
個人的に興味のあることはいろいろありますが、「人間」そのものもその一つです。
「人間」と言っても様々な切り口はありますが、生物という括りの中で人間をどう位置づけるか、地球史の中で人間をどう位置づけるか、というふうに、マクロな視点で科学的に「人間」を語るのは面白いです。
科学のいかなる分野を突き詰めても、結局のところ、観測者たる人間そのもの、その思考を実行する中核装置である脳について、より深く理解しないことには、どこかで手詰まりになる気がします。
このジャンルは、自然科学と人文科学がオーバーラップしている領域でもあり、創作のネタとしてもなかなかなものという気がします。
そんなわけで、今回の特集は、目次を見た時点で当たりの感覚でした。
第1部 人間性の起源
ヒトはなぜ地球上の生物の中で特別な存在になったのか
それはヒトが作り上げた社会に合わせて自らを生物学的に進化させてきたからだ
一つ目の記事です。
ちょっと面白かったのが、冒頭部。
「人間は特別な(特異な)生物である」と言えば、多くの人は、「まあ、そうだね」くらいの感覚になると思いますが、これまで、科学者的にはかなり慎重だったようです。
客観的な裏付けなしに、科学界が「人間は特別」と言ってしまうと、この思想が独り歩きし、様々な負の影響が出てしまう恐れがあるからでしょう。
歴史的にも枚挙に暇がありませんし、似非科学が氾濫する昨今を見ても、それは納得です。
ただ、ようやく広く納得できるだけの客観データが集まってきて、「人間は特別な生物である」というところから議論をスタートできるようになってきたようです。
そうすると、「では、なぜそうなったのか?」「従来の理屈(進化論など)で説明するにはどうすれば良いか?」となってきて、科学で扱える形式に整います。
記事では、このあたりの議論も分かりやすくステップを踏んで説明してくれています。
数ある生物種の中で、人間はなぜこのようなポジションを占めるに至ったのか?
その答えを探るにあたり、「文化の継承」と「遺伝子の継承」のフィードバックループから組み立てられた説は、ナルホド・・・という感じでした。
「遺伝子の継承」は、生物なので当然ですが、そこに「文化の継承」を組み合わせたのが面白い。
「文化」は、科学的に言えば「社会的に伝わる情報に依存する1つのコミュニティーのメンバーが共有する行動パターンによって作られて」(34p)いるもの。
この「文化」がある状態に至ると、一個体の死が、“リセット”にならなくなる。
他の個体が、“続きから頑張れる”わけですね。
これが今に至るカギだと。
「文化の継承」に適した個体が自然選択され、遺伝子として次代に伝わり(「遺伝子の継承」)、さらに「文化」はレベルアップし、そのレベルアップした「文化」への適者生存が働く。
このフィードバックループに突入するための閾値を突破したのが、ヒトということなのでしょう。
第1部 人間性の起源
人間が他の動物とはっきり違う知能を備えるに至ったのは、2つの特性を持っていたからだ
起こりうる様々な状況を想像して結果を予測する力と、他者とアイデアを交換したいという欲求だ
肉体的には脆弱とも言える人間が、なぜこれだけ繁栄しているのかと言えば、当然、モノを考える能力に長けているから、となるでしょう。
では、モノを考える能力、すなわち「思考力」の正体は何なのか?
本当に他の生物と違うのか?
どこがどう違うのか?
そんな話を丁寧に語った記事です。
「人間が他の動物と異なる方法で考えている」「人間の認知は独特」というのを実験的に示す難しさに言及しつつ、それでも、2つの特性が明らかになっていると記事は述べています。
それは、「複雑なシナリオを構築すること」と「他者と考えを交換すること」。
言語、文化、道徳、先見性、そして“心の読み取り”の基盤となるこれら2つの特性について、多くの具体例を交えて注意深く裏付けをしています。
ところで、比較対象としてチンパンジーはよく登場しますが、「猿の惑星」とか思い出しますね。
人間以外の存在に“人間らしさ”を移植すると、なぜあれほどまでに異様な雰囲気になるのか。
記事執筆者が言うところの「複雑なシナリオを構築する能力」は、実は、これ単体だとかなり不気味なものなのかもしれません。
「何か複雑な思考をしているようだが、それを他者と共有することはない」――これは、なかなか怖い。
この恐怖感が行き過ぎると、自分が意思疎通できないと感じた対象に対して、攻撃性が出てくるような気がします。
そのことを考えても、どちらか一方だとうまく回らない。
「複雑なシナリオを構築すること」と「他者と考えを交換すること」は、両輪となっていなければならないのでしょう。
第1部 人間性の起源
人間以外の動物でも苦痛を感じることを示唆する証拠が得られている
だが、彼らに意識があるかどうかに関する科学的見解は一致していない
人間であろうと、そうでなかろうと、生物の身体を構成する基本的パーツは大差ない。
よって、「主観的経験という素晴らしい精神世界を持つのは本当に人間だけなのだろうか」(46p)という問いに真正面から答えることは現代でも難しい。
そもそも、「意識」の明確な定義も存在しない。
この点について、有名な話が「コウモリであるとはどのようなことか」(トマス・ネーゲル)というやつです。
それで、結局、「意識」とは何なのか?
さらに、有名な話を続けると、「意識の難問」というものに繋がります。
「客観的な脳の活動から主観的な経験がどのようにして生じるのか?」――つまり、単なる物質で構成されている脳が主観的な“感じ”(クオリア)をどうやって生み出すのか? 物質が“心”を生み出しているのか? いや、そもそも、本当に生み出しているのか?
「哲学的ゾンビ」を認めるかどうかという話にもなってきますが、科学のネタとして扱えるかと言えば、相当際どい領域です。
ただ、だからこそ、創作のネタとしては非常に面白い。
記事では、「意識」の出自をあれこれ考えていて、様々な立場の人の意見が紹介されていますが、正直、いずれも決め手に欠けます。
論理的かと言えば、いずれも怪しさ満点です。
ところで、人間が「意識」などというものを持っているとしたら、然るべき条件を満たす機械も「意識」を持ちうる気はします。
陽子、中性子、電子という材料は同じ(はず)なので、あとはその組み立て方の問題であり、“正しく”組み上げれば、差を見出すことはできないでしょう。
ということは、生物の体内でしか製造できないとされた「有機物」が実は人工的に実験室で作れると分かったように、「意識」も作れるということになるんでしょうかね。
逆に、機械が決して「意識」を持つことがないなら、我々が「意識」だと思っているもの――というよりは、「思う」という感覚そのものが幻であり・・・幻であり、それで何なのでしょうか?
今のところ、「意識の難問」は、科学(物理学)からだいぶ遠い気がします。
ただ、敢えて、似た趣を勝手に感じる話題を列挙するなら、量子力学の観測問題、時間の矢の問題、熱力学第二法則、多元宇宙論(マルチバース)、人間原理あたりでしょうか。
第1部 人間性の起源
何が人間の言語を可能にしたのか?
その謎に迫る研究が進んできた
音や仕草で情報伝達する生き物は人間だけではない。
けれど、人間が駆使する言語は、そのどれとも違う(記事中ではもう少し丁寧に言及)。
ならば、人間だけが“何か”を獲得しているはずです。
しかし、「言語が人間に特有であることを説明できる人間に特有な形質がヒトのゲノムにも脳にもみつからないと思える」(54p)という。
“言語遺伝子”は見当たらない。
結論から言えば、「言語は複数の能力がなす1つのプラットフォームから生まれたもの」らしい。
記事では、言語を生んだ複数の要因、その後の進化の流れを説明しています。
コンピューターシミュレーションで、複雑性と秩序を両立する言語の成立過程が再現されたという話は面白かった。
生物学的進化(認知力の獲得)、コミュニティーの成立(文化の誕生)など、複数要因が絶妙にあわさって、今のような言語が誕生したのだとする説は、かなり説得力がありました。
この理屈でいくと、互いに関わりの少ない個々の社会集団では、それぞれ独立して言語が成立することになります。
社会集団における言語は、日々の営み、文化の継承などに必要なもの。
人体を巡り栄養分、不要物などを移動させる血液のように、言語は社会集団において情報を伝搬させる役割を果たします。
とすると、急速に進むグローバリゼーションの中、社会と言語が共進化していくのであれば、この先、言語はどのようになっていくのか?
世界が均質になっていく中で、言語も混ざり合い、日々淘汰されていく。
ただ一つの目的地たる唯一無二の言語に向かっているのだろうか。
旧約聖書「創世記」の有名なバベルの塔の話で、塔を見た神は「人間は言葉が同じなため、このようなことを始めた。人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしよう」と判断するわけですが・・・言語の辿る未来というのも、過去と同様、興味をひくものですね。
発話という生物学的行為が、テクノロジーで代替される可能性も含め、思考の余地はかなり広い気がします。
(つづく!)
※第2部以降はまた場を改めて。
sho