“科学”のなんたるかを小難しく講義してみた。 | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

“科学”のなんたるかを小難しく講義してみた。

須々木です。

先日のミーティングの話を少しばかり。
こんなのをやることもあるんだよー。



以前「どんなミーティングをやりたい(or やって欲しい)か」という話があったとき、だいぶ前に僕がやった講義っぽい感じのやつを希望する声があがったので、「それじゃあ、やっとくか」と企画されたのが今回のやつです。

リクエストした人は不参加だったが・・・。


ちなみに、以前やったやつはこちらのブログをご覧ください。

そのときは、「思考実験」をネタに、好き勝手やりました。



今回は、「理系」というリクエストがあったので、何をしようかいろいろ考えましたが、一周回って、すごく根本的なところを扱ってみようかと。

現サークルメンバーは、僕以外、理系ネタとかなり疎遠な生き方をしているので、新鮮に思うネタはいくらでもあると思いますが、「創作」につなげるということを考えれば、単に表面を軽く紹介するのは何か面白くないなと。

結果として、以下のようなタイトルを冠して講義することとしました。



「ぶっちゃけ“科学”とは何なのか? ~知れば世界がもう少しクリアに見えるネタの入口~




前回の“講義”に続き、今回も簡単にレジュメを用意しましたが、以下の通りの「目的」を設定しました。





□目的

・我々は日々、様々な“科学”に囲まれ生きている。しかし、それらは空気のように当たり前過ぎて、改めて言われないと気付くことすらできない。その最大の問題は、「気付かないとネタにはできない」ということ。創作のネタの宝庫である“科学”を使いこなせないのはもったいない! まずは知ることから始めよう。

・創作においては、SFでなくとも“科学”っぽい要素、考え方は当然のように登場してくる。そもそも、読者は、意識するしないに関わらず、“科学”にどっぷりつかっている人たち。“科学”をより知って使いこなせるようにすることは、作品をより魅力的にするために無視できない。そのコツを身につけよう。






とりあえず書いてあるまんまです。

他にも、明記しなかった「裏の目的」みたいなものも頭の中にはありましたが、普通にガツガツ講義っぽくやっていきました。


レジュメは、基本的に、wikipediaからのコピペ。

それらを参照しつつ、具体例を挟んで補足したり、問いを投げかけたり、意見を言ってもらったりしながら、何となく思い描いていた終着点へ舵を切るような感じで。

それで結果として、講義タイトルにある問いに対し、個々がよりしっくりくる答えを返せるようになってくれれば良いなと。



レジュメで参照したページも、今回はほぼwikipediaの「科学」の項目とその関連項目から引用したものを継ぎ接ぎした感じにしました。

ページを見てもらえれば分かりますが、多分に哲学っぽさを含んだ内容になって、ちょっと小難しさもあったと思いますが、適当にキーワードっぽいものだけ並べておきましょう。


自然哲学、実験哲学、、論理実証主義、科学革命(バターフィールド)、科学的方法、帰納と演繹、反証可能性、パラダイム論、自然の斉一性 etc

※興味があったら、wikipediaとかで調べてください。



最終的には、当たり前だと思われがちな“科学”というやつの輪郭をよりクリアにすることを目論んでいたので、「科学」が立ち上がる前の時代から始め、どのような紆余曲折をへて、いま我々が当然のものだと思っている状態に至ったのか(現代の科学の形に整えられていったのか)、その大まかな流れを扱っていきました。

現在の常識(=科学に対するある種の信仰)は、古今東西で通用するようなものではないということは伝わったかと思います。

科学とか(俗っぽく言えば「理系」とか)を必要以上に難しく思い、距離をとりがちな人は、概して、「科学は凄い」「科学が示したものが正解」「科学的に証明されたら、それで解決」みたいなイメージを刷り込まれていたりしますが、少し冷静に振り返れば、「そこまで絶対的ではないんじゃ?」という可能性に気付きます。

何となく凄いと思っているかもしれないけれど、それは案外あやふや、というより、極端に言えば、どこにも確固たるものなんてないんだと。

どんなに強く信じられていても、後の世に丸ごと否定されることだって十分あり得るわけです。

そして、少し哲学によった考え方をして科学を客観的に見れば、その土台にも議論の余地が残っていたりします。




創作する上で、何かを必要以上に絶対視することは、視野を狭めますし、発想に無意識の制約を設けることになるので、そこを取っ払うためにも、その親玉みたいな“科学”を今回はいじってみたとも言えます。

これが実は、今回の講義における「裏の目的」というやつだったりもします。



講義後には感想を言ってもらいましたが、以下のようなものがありました。


・今まで特に考えたこともなかったが、科学が万能ではない可能性(別に科学を否定しているわけではない)を今回始めて考えた。

・「当たり前だと思っていたもの」が意外と不安定だったりする場合があると実感できた。意識することすらないレベルのものを改めて考える機会になった。

・科学が実は結構不安定であることを知ることは意義があると思う一方で、「社会」が科学を絶対視することで秩序を保っているという側面も否定できない。みんなが「科学は不安定」と思ってしまったら、それはそれで混乱を招くかもしれないので、どちらが正しいとも言えない難しさを感じた。

・こういう一概には言えないような考え方の構図は、創作のネタにもつかえそう。





企画しておいてなんですが、当初思っていたより小難しい内容が多くなってしまって心配していましたが、最終的には、ある程度狙い通りだったかなという感じです。





余談ですが、学校とかで「科学」を学ぶとき、どうしてかなりの人が興味を失ってしまうのか?

一例ですが、「万有引力の法則」を教えるとき・・・


A. 地球であろうと宇宙空間であろうと、質量をもつ物体の間には「万有引力」が発生し、その大きさは以下の式の通り表すことが(以下略

B. 地球であろうと宇宙空間であろうと、質量をもつ物体の間には「万有引力」が発生するということを、17世紀にニュートンが見つけた。これは、「神が支配し完璧な世界と信じられていた天上(宇宙)」と「人が生き混沌とした世界として認識されていた地上」が、まったく同じ法則に支配されている(二つの世界は不可分)ということを人々に知らしめた。その意味で、人々の物の考え方に与えた影響は計り知れない。




どっちの話をされた方が興味を持つのか、という話です。

普通はBでしょう。

個人的には、この二つの話で決定的な差を生み出しているのは、「人間の存在(に対する想像力)」だと思います。

“科学”と言っても、所詮は誰かの妄想の産物で、それが広く受け入れられれば「法則」とか言われて箔が付くだけのことです。

であれば、それが受け入れられる過程、人々がその考え方と向き合ったストーリーがそこにはあるはずです(特に、学校で習うような有名なものなら必ずあるはず)。

そして、そのストーリーは、学校の先生が思っている以上に、本当は重要なことだと思ったりもしますし、面白いものだとも思います。



・・・みたいなことも念頭に講義しましたが、反応は上々で良かったです。


今回学んだことを何らかの形でいかしてもらえると嬉しいなー。








sho