年末です。
須々木です。
あと一週間くらいで2015年サヨウナラですね。
年末ともなれば、なぜかとりあえず忙しくなるというのが世の常。
しっかりバタバタモードです。
さて、先日は、今年ラストのミーティングをしました。
いろいろ扱いましたが、療養中の代表も含め、久しぶりにフルメンバーだったので、内容的にかなり欲張った感じで進めていきました。
メインは、「RW創作討論会」と題して、事前に一人3つ挙げてもらっていた話題を次々にさばいていくというもの。
ミーティング議長としては、「今年のことは今年のうちに」という感じで、モヤモヤは残さずお掃除という狙いがありました。
そして、もちろん僕も片付けておきたいこととかあったので、言いたい放題でしたが・・・。
6人×3個だったので、合計18個ものネタがありましたが、創作に関するメンタル的な部分のネタは少し多めでした。
創作手法的なネタの方が、普段話す機会が多いので、こうやって改めて問うと、逆にもっと根本的な所に行き着くのかもしれません。
当然のことながら、メンタルに関する話題というのは、意見を求められると、どう対応すべきか悩ましいところだったりします。
特に「感覚的には分かっているけれど、その感覚をうまく伝えてあげられない」というとき。
僕は、日常的に、そういうことを考えなければいけない状況が多いので、年中考えていると言っても差し支えないぐらいですが、それでもピタリとはまって伝えられた感触は多くない気がします。
いろいろ言葉を並べることができるし、そのとき言われた側は、何か分かった気になっている風だったりもするんですが、言っている側から見ると、「実際に伝わったのは、僕が伝えたいもののうちの一部なんだろうな」と。
※分かった気にさせる言い回しとかは、経験的技術的に何となく分かりますが、それがそのままイコールで「伝わった」にはならない。
単純な時間経過か、もしくは、何らかの出来事により体験的な裏付けが取れるかすると、結果的に、より完全な形で伝わったりもしますが、その場では、甘受すべき限界があるようにも思います。
たぶん、子供のころ、親にさんざん言われて、そのとき何となく分かった気になっていたり、反発してみたりしていたことが、後に物凄くしっくりくるのと似ていると思います。
「こういうことだったんだな」としみじみ感じる、アレです。
つまり、この方向の話題は、伝わる時間差がかなりあるなと(個人差もびっくりするほどあるが)。
すぐに結果を求められるような立場にない、小さな子供とかはそれで良いと思いますが、そう言ってられるのは、今考えれば贅沢以外の何物でもない。
でも、しょうがないので、機会を見て種をまき、伏線を張っておいて、そのうち伝わるのを待ちましょうという戦法になります。
伝わる速度向上のため、最大限の努力はしますが、同時に過度な期待はせず。
なかなか気の長い話ですが、そんな中、確実に言えるポジティブなポイントがあります。
それは「一人でやっていたら、永遠に気付くことがなかったことに、気付ける可能性が出てくる」というところです。
というか、はっきり言えば、これに尽きると思います。
ステータスの上限の引き上げみたいなものです。
単独プレーではない一方で、特定の作品を共同で制作することを目的に据えているわけでもない、手懐けるのが大変な創作サークルですが、僕個人としては、サークルそのものを理想形に近付けることにも大きな意義を感じているので、厄介ではあっても、これはこれで面白いものです。
まあ、面白いからこそ、面白いで終わりたくないということですが・・・。
がんばろう、RW。
sho
あと一週間くらいで2015年サヨウナラですね。
年末ともなれば、なぜかとりあえず忙しくなるというのが世の常。
しっかりバタバタモードです。
さて、先日は、今年ラストのミーティングをしました。
いろいろ扱いましたが、療養中の代表も含め、久しぶりにフルメンバーだったので、内容的にかなり欲張った感じで進めていきました。
メインは、「RW創作討論会」と題して、事前に一人3つ挙げてもらっていた話題を次々にさばいていくというもの。
ミーティング議長としては、「今年のことは今年のうちに」という感じで、モヤモヤは残さずお掃除という狙いがありました。
そして、もちろん僕も片付けておきたいこととかあったので、言いたい放題でしたが・・・。
6人×3個だったので、合計18個ものネタがありましたが、創作に関するメンタル的な部分のネタは少し多めでした。
創作手法的なネタの方が、普段話す機会が多いので、こうやって改めて問うと、逆にもっと根本的な所に行き着くのかもしれません。
当然のことながら、メンタルに関する話題というのは、意見を求められると、どう対応すべきか悩ましいところだったりします。
特に「感覚的には分かっているけれど、その感覚をうまく伝えてあげられない」というとき。
僕は、日常的に、そういうことを考えなければいけない状況が多いので、年中考えていると言っても差し支えないぐらいですが、それでもピタリとはまって伝えられた感触は多くない気がします。
いろいろ言葉を並べることができるし、そのとき言われた側は、何か分かった気になっている風だったりもするんですが、言っている側から見ると、「実際に伝わったのは、僕が伝えたいもののうちの一部なんだろうな」と。
※分かった気にさせる言い回しとかは、経験的技術的に何となく分かりますが、それがそのままイコールで「伝わった」にはならない。
単純な時間経過か、もしくは、何らかの出来事により体験的な裏付けが取れるかすると、結果的に、より完全な形で伝わったりもしますが、その場では、甘受すべき限界があるようにも思います。
たぶん、子供のころ、親にさんざん言われて、そのとき何となく分かった気になっていたり、反発してみたりしていたことが、後に物凄くしっくりくるのと似ていると思います。
「こういうことだったんだな」としみじみ感じる、アレです。
つまり、この方向の話題は、伝わる時間差がかなりあるなと(個人差もびっくりするほどあるが)。
すぐに結果を求められるような立場にない、小さな子供とかはそれで良いと思いますが、そう言ってられるのは、今考えれば贅沢以外の何物でもない。
でも、しょうがないので、機会を見て種をまき、伏線を張っておいて、そのうち伝わるのを待ちましょうという戦法になります。
伝わる速度向上のため、最大限の努力はしますが、同時に過度な期待はせず。
なかなか気の長い話ですが、そんな中、確実に言えるポジティブなポイントがあります。
それは「一人でやっていたら、永遠に気付くことがなかったことに、気付ける可能性が出てくる」というところです。
というか、はっきり言えば、これに尽きると思います。
ステータスの上限の引き上げみたいなものです。
単独プレーではない一方で、特定の作品を共同で制作することを目的に据えているわけでもない、手懐けるのが大変な創作サークルですが、僕個人としては、サークルそのものを理想形に近付けることにも大きな意義を感じているので、厄介ではあっても、これはこれで面白いものです。
まあ、面白いからこそ、面白いで終わりたくないということですが・・・。
がんばろう、RW。
sho