『ジュラシック・ワールド』見てきた。
須々木です。
僕は季節感を重視するタイプなので、しっかり蚊に数か所刺されました。
僕の血を吸った蚊は、きっとどこぞの樹皮で休息をしているとき、流れる樹液に閉じ込められることでしょう。
そして、時は流れ、未来人が琥珀の中の蚊を発見します。
意気揚々と分析し、その体内に残存する血液からDNAを採取、最新のテクノロジーを駆使して生命の再生を試みます。
結果として、僕は未来の世界のテーマパークで蘇るわけです。
というわけで、先日、「ジュラシック・ワールド」見ました。
蚊に数か所さされたのは本当。
※ここより先、ネタバレあり。
またつらつらと思ったことを例によって書き散らしておきます。
ネタバレとか気にせず書いているので、まだ見ていない人はご注意!
本作について、前置きはいらないでしょう。
スピルバーグ制作総指揮による「ジュラシック・パーク」シリーズの4作目です。
第1作:『ジュラシック・パーク』(1993年)
第2作:『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997年)
第3作:『ジュラシック・パークⅢ』(2001年)
最初の2作は、スティーブン・スピルバーグ監督。
3作目は、ジョー・ジョンストン監督(スピルバーグは制作総指揮)。
ちなみに、ここだけの話、僕の脳内では3作目は存在を抹消済み。
そして、映画史に燦然と輝く1作目の公開から、実に22年の歳月を経て、ついに『ジュラシック・ワールド』の公開となりました。
監督はコリン・トレボロウ、制作総指揮にスピルバーグ。
事前情報から、今回はスピルバーグがしっかり情熱を注いでいる感があり、かなりの期待を抱いていざ劇場へ!
まず、単純な感想ですが、久々の満足度。
少々急ぎ足の感はあるものの、『ジュラシック・パーク』の良さを引き継いだ正統な続編で、懐かしさと新しさをうまい具合にあわせもっていました。
全体の印象としては、まさしく原点に立ち返ったイメージ。
かなりの期間をあけてのリスタートとして、物凄くしっくりくる感じでした。
子供とうまく関われない大人の変化を軸の一つとして描いている点も、第1作と非常に似ているし、ストーリーに魅力を添えています。
本作のテーマについて、多少現代風にアレンジしているものの、そもそもこのシリーズの根底に流れるテーマがかなり普遍的なものであり、逆に時代が追いついてきたという感もある。
第1作公開時には、生命倫理というテーマは完全なSF的なもの(創作的)だったが、現代においては格段にリアリティーの増している問題。
1993年と2015年の間に現実世界で起きた劇的な変化を、第1作と本作の鏡像関係が見事に浮かび上がらせているようにも思えます。
ある意味では、使い回しに近いやり方だが、そのことによって逆に、現代においても色褪せない第1作の価値を再認識させてくれる。
本作で新たな要素として語られるのが、「普通の恐竜ではもはや見向きもされない。さらなる刺激を」という部分。
これは、作中のパーク側の人間が、作中の来園者たちを指して発する意見だが、同時に、映画をつくる人間が、観客に向けて発する意見でもあるのでしょう。
今の時代のエンターテインメント世界において、克服しがたい難題、そのもどかしさが、本作には込められている。
刺激を与えられすぎて麻痺した客に何を与えればよいのか。
そのとき、提供する側はどのような倫理観を求められるのか。
表面的には、まさにアメリカ的でド派手なエンターテインメント作品だが、その根底に流れるテーマの普遍性は、相変わらず見事という他ありません。
第1作でオープンできなかった夢のテーマパーク(作中のキャラにとっても、スピルバーグをはじめとするリアルの人にとっても)を、22年の歳月を経て描き出した点は、単純にグッとくるものがありました。
特に印象的な場面があります。
途中、1作目で何度も見てきたビジターセンターの跡地や小道具類が登場したのは、本当にうまい演出でした。
1作目を見ていなかったらまったく気にも留めないような軽い描写でありながら、逆に1作目を見ている人は、湧き上がるような感動を覚える。
画面の中で今まさに動いているキャラクターたちは、誰一人として、そこでかつて起きていたことを知らない。
知っているのは、制作者と、観客たち。
短くない時間を経ていながらも、すべてが繋がっていることを直感的に認識し、そしてその感覚を共有できる人々が世界中にいることも分かっている。
瞬間、生まれる一体感は計り知れません。
ところで、次回作で描かれるのかはわかりませんが、個人的には、「ジュラシック・ワールド」オープンまでに一体何があったのか、大いに気になるところではあります。
おそらく人間が直接的に介入しない環境になっていたはずの島がなぜ、多くの客を迎え入れる巨大テーマパークになっているのか?
映画をつくるというのは、まさにエンターテインメントを生み出すことに他ならない。
その意味で、本シリーズで描かれる「テーマパークをつくる」という作業は、映画づくりにも確実につながっている。
映画をつくり、エンターテインメントを追求し続けた人だからこそ、このテーマパークに説得力を持たせられるのでしょう。
スピルバーグは恐竜が好きだ。
だから、恐竜の映画をつくることに大きな喜びを感じてきたはずだ。
しかし、ただの恐竜好きである前に、稀代のエンターテイナーである。
その意味から言うと、「ジュラシック」より「パーク」の概念が上位なんだと感じます。
人々を自分の思い描いた夢のパークに誘う。
その内容は、彼の生き方に完全に一致し、結果歯車は噛み合い、一つの名作が生まれた。
こんなことをいちいち考えるようにこの映画は求めていないが、それでもそう思わずにはいられない。
見終わった瞬間に脳内から蒸発し霧散してしまう、ただ消費されるだけのエンターテインメントではない。
人の心に、記憶に刻まれ続けるエンターテインメント。
そんなシリーズの価値を改めて思い起こさせてくれた本作に大いなる満足感、そして続編に大いなる期待感を持ちます。
そんなわけで、『ジュラシック・ワールド』は、改めて、エンターテインメント作品の金字塔たる所以を示してくれたと言えそうです。
sho
僕は季節感を重視するタイプなので、しっかり蚊に数か所刺されました。
僕の血を吸った蚊は、きっとどこぞの樹皮で休息をしているとき、流れる樹液に閉じ込められることでしょう。
そして、時は流れ、未来人が琥珀の中の蚊を発見します。
意気揚々と分析し、その体内に残存する血液からDNAを採取、最新のテクノロジーを駆使して生命の再生を試みます。
結果として、僕は未来の世界のテーマパークで蘇るわけです。
というわけで、先日、「ジュラシック・ワールド」見ました。
蚊に数か所さされたのは本当。
※ここより先、ネタバレあり。
またつらつらと思ったことを例によって書き散らしておきます。
ネタバレとか気にせず書いているので、まだ見ていない人はご注意!
本作について、前置きはいらないでしょう。
スピルバーグ制作総指揮による「ジュラシック・パーク」シリーズの4作目です。
第1作:『ジュラシック・パーク』(1993年)
第2作:『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997年)
第3作:『ジュラシック・パークⅢ』(2001年)
最初の2作は、スティーブン・スピルバーグ監督。
3作目は、ジョー・ジョンストン監督(スピルバーグは制作総指揮)。
そして、映画史に燦然と輝く1作目の公開から、実に22年の歳月を経て、ついに『ジュラシック・ワールド』の公開となりました。
監督はコリン・トレボロウ、制作総指揮にスピルバーグ。
事前情報から、今回はスピルバーグがしっかり情熱を注いでいる感があり、かなりの期待を抱いていざ劇場へ!
まず、単純な感想ですが、久々の満足度。
少々急ぎ足の感はあるものの、『ジュラシック・パーク』の良さを引き継いだ正統な続編で、懐かしさと新しさをうまい具合にあわせもっていました。
全体の印象としては、まさしく原点に立ち返ったイメージ。
かなりの期間をあけてのリスタートとして、物凄くしっくりくる感じでした。
子供とうまく関われない大人の変化を軸の一つとして描いている点も、第1作と非常に似ているし、ストーリーに魅力を添えています。
本作のテーマについて、多少現代風にアレンジしているものの、そもそもこのシリーズの根底に流れるテーマがかなり普遍的なものであり、逆に時代が追いついてきたという感もある。
第1作公開時には、生命倫理というテーマは完全なSF的なもの(創作的)だったが、現代においては格段にリアリティーの増している問題。
1993年と2015年の間に現実世界で起きた劇的な変化を、第1作と本作の鏡像関係が見事に浮かび上がらせているようにも思えます。
ある意味では、使い回しに近いやり方だが、そのことによって逆に、現代においても色褪せない第1作の価値を再認識させてくれる。
本作で新たな要素として語られるのが、「普通の恐竜ではもはや見向きもされない。さらなる刺激を」という部分。
これは、作中のパーク側の人間が、作中の来園者たちを指して発する意見だが、同時に、映画をつくる人間が、観客に向けて発する意見でもあるのでしょう。
今の時代のエンターテインメント世界において、克服しがたい難題、そのもどかしさが、本作には込められている。
刺激を与えられすぎて麻痺した客に何を与えればよいのか。
そのとき、提供する側はどのような倫理観を求められるのか。
表面的には、まさにアメリカ的でド派手なエンターテインメント作品だが、その根底に流れるテーマの普遍性は、相変わらず見事という他ありません。
第1作でオープンできなかった夢のテーマパーク(作中のキャラにとっても、スピルバーグをはじめとするリアルの人にとっても)を、22年の歳月を経て描き出した点は、単純にグッとくるものがありました。
特に印象的な場面があります。
途中、1作目で何度も見てきたビジターセンターの跡地や小道具類が登場したのは、本当にうまい演出でした。
1作目を見ていなかったらまったく気にも留めないような軽い描写でありながら、逆に1作目を見ている人は、湧き上がるような感動を覚える。
画面の中で今まさに動いているキャラクターたちは、誰一人として、そこでかつて起きていたことを知らない。
知っているのは、制作者と、観客たち。
短くない時間を経ていながらも、すべてが繋がっていることを直感的に認識し、そしてその感覚を共有できる人々が世界中にいることも分かっている。
瞬間、生まれる一体感は計り知れません。
ところで、次回作で描かれるのかはわかりませんが、個人的には、「ジュラシック・ワールド」オープンまでに一体何があったのか、大いに気になるところではあります。
おそらく人間が直接的に介入しない環境になっていたはずの島がなぜ、多くの客を迎え入れる巨大テーマパークになっているのか?
映画をつくるというのは、まさにエンターテインメントを生み出すことに他ならない。
その意味で、本シリーズで描かれる「テーマパークをつくる」という作業は、映画づくりにも確実につながっている。
映画をつくり、エンターテインメントを追求し続けた人だからこそ、このテーマパークに説得力を持たせられるのでしょう。
スピルバーグは恐竜が好きだ。
だから、恐竜の映画をつくることに大きな喜びを感じてきたはずだ。
しかし、ただの恐竜好きである前に、稀代のエンターテイナーである。
その意味から言うと、「ジュラシック」より「パーク」の概念が上位なんだと感じます。
人々を自分の思い描いた夢のパークに誘う。
その内容は、彼の生き方に完全に一致し、結果歯車は噛み合い、一つの名作が生まれた。
こんなことをいちいち考えるようにこの映画は求めていないが、それでもそう思わずにはいられない。
見終わった瞬間に脳内から蒸発し霧散してしまう、ただ消費されるだけのエンターテインメントではない。
人の心に、記憶に刻まれ続けるエンターテインメント。
そんなシリーズの価値を改めて思い起こさせてくれた本作に大いなる満足感、そして続編に大いなる期待感を持ちます。
そんなわけで、『ジュラシック・ワールド』は、改めて、エンターテインメント作品の金字塔たる所以を示してくれたと言えそうです。
sho