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進化論の条件

Random Walkのマジメ要員、須々木です。

マジメな話なら任せたまへ。


「WIRED」というサイトに掲載された「音楽もダーウィンの理論に従って進化する!?」って記事が少し興味深かったので、思ったことをつらつらと書いていきましょう。

かなりまとまりないですが、あしからず。


*つづきは記事を読んでから*


人々の考え方に大きな影響を与えた理論の一つとしてしばしば名前のあがる「ダーウィンの進化論」ですが、その基本的な考え方は、「自然淘汰」ってやつです。

キリンの首が長いのは、別にキリンが首を伸ばしたいと念じていたわけでもなく、首を伸ばそうと努力していたわけでもない。

微妙に首の長さの違うたくさんのキリンが生まれ、その中で首の長いものの生存確率がより高かったということです。

何世代もそういうことが続き、気付くと首の長いやつばかりになっていました、と。

そして、逆に、首が長くならなかったキリンは淘汰され、消えていったわけです。


今回取り上げた記事は、これが「音楽」についても言えるのではないかと述べているものです。



どんなものが生き残り、どんなものが滅ぶのかは、「環境」に左右される。

究極的な正解がどこかに存在し、人々の努力でそこに徐々に近づいているというわけではなく、「聞き手」という名の「環境」が方向性を決める大きな因子として作用しているということです。

これは確かに、ダーウィンの進化論の考え方を使うと分かりやすいと言えば分かりやすい。

自然界におけるすべての営み、進化のプロセスは、すべて「究極の生き物」が生み出される過程である!なんていったら、「はい?」って感じですよね。


今回の記事では、「音楽」に当てはめていますが、たぶんこれは、他のいろいろなものにも応用できる考え方なんだろうと思います。

例えば、映画もそうでしょう。

いろいろな種類の「映画」が生まれ、その中で人々に受け入れられたものの勢力が強くなり、後の世につながっていきます。

芸術系に限らず、「教育論」なんてものにもあてはめることができると思います。

いろんな家庭や教育現場で試行錯誤が繰り返されていき、その中で結果に結び付き受け入れられたものが広まっていく。


これらはどれも、「正解に向かう」のではなく、「環境に適応する」過程と見る方がしっくりくるでしょう。

昨今のJ-popなどもなんだかこういう見方をするとストンと落ちてくるような気がします。

もはや、J-popは純粋に「音楽」だけの世界ではないわけですし、様々な要因までを含めた「環境」ってやつが、今の流れに導いているのでしょう。

向かう先は「正解」ではなく「適応」なんでしょうね。



そんなわけで、生き残るためには、やはり「環境」を読む力が大事なんだろうなと思いました。

理想を追求したり、やりたいことを追求することをやめる必要はないと思うけれど、そういう中で、時代の流れを読み、己が生きるフィールドの状況を常に察知し続けることは最低条件なんだろうなと。

結局、それをできた人間が最後には残るんでしょう。

無知や盲目は罪ではないけれど、やりたいことを達成するためにはそれを打ち破っていかなくてはならない、みたいな。




オチナシ。




sho