こんばんは懲りずに続けてます^^;日本の弓というと皆さんよくご存知の和弓がありますが。
日本の弓文化はソレだけじゃなくて色々なタイプがありましたのでそのあたりに少し光を当ててみようかと・・・。
まず和弓は竹や木を使い複層化を行い弓力を上げたもので長弓の一つになります、また特徴としてグリップ部分より上が長く下が短いシェイプをしており弦を掛けるまでは通常逆にソリが付いています。
他にも日本という風土の中で機能を保護するために防湿防水の漆が使われ藤が巻かれている形になっていて道具としての耐久もあげてあります、上が長く下が短い構造は矢を遠くの的に当てる為の構造であるとともに鎌倉期の武士の在り様から騎馬の時の取り回しを考えた構造であるとも言われています。
他にどんな弓文化圏があったかというと・・イングランドロングボウのような丸木弓もあったようで正倉院の目録にも乗っているそうです、他にも戦場での本来の弓はこの丸木弓だという話も一部あるそうですが消耗部品としての弓ならば確かに丸木弓の方が製造コストも安く時間も掛からなかったように考えられます、(和弓形式の弾弓というのも正倉院に収められているようです)
では和弓・丸木弓以外は?となると幾つかの例としてアイヌの木弓があります、こちらは現在も儀式用とはいえ熊送りなどで使われるイチイの弓が有名でサイズは少し小さめの弓ですが樺太と北海道では弓のサイズが違い身長より長いものもあったようです。
他に特徴的なのは一旦日本でも広まったクロスボウがアイヌ狩猟文化として残っています、)残念ながら武家社会ではクロスボウは消えてしまったようですが。
画像資料は”平取町立二風谷アイヌ文化博物館 ”のネットページにても確認出来ます。
アイヌの弓以外では蝦夷(エミ)氏の弓というのもありますこちらは絵巻などにその姿が残っていて湾弓の一種のようですもしかしたらアジアの複合弓とつながりのあるものだったのかもしれません。
東京国立博物館にある重要文化財の”清水寺縁起絵巻 ”にエミシの弓が描かれています。
また李満弓・鯨弓・楊弓という小型の弓もあります、画像検索してみるとまだまだ古美術などとして現存しているようです。
特に楊弓は昭和年代まで日本各地の的屋という矢場で使われた弓です(遊戯用の場所でよく時代劇でも見る”あた~~りィ~ドンドンッ”ってやっているアノ類です)今でもあるかも?というかネットではあるようなデータも???
楊弓じゃないかもだが;弓矢射的屋というのが存在するようだ・・・日光江戸村?博物館明治村?あるような??
半弓・四半弓というのはそのもの和弓の小型弓になります、そういえば赤穂浪士も討ち入りの時半弓を持ち込んだとか・・・・屋敷内での取り回しを考えてのことですね
また狩猟用の弓としては日本絵の掛け軸などで見る限りは武士以外なら木弓の身長より短いものがあったようです。
他にも恐らくもっと色々な弓があったと思われます、歴史的にもアジアや東南アジア・北ユーラシア等の影響を受けてきた日本は色んな時代・民族・文化が地層のような状態で残っているのですから。
日本の弓文化はソレだけじゃなくて色々なタイプがありましたのでそのあたりに少し光を当ててみようかと・・・。
まず和弓は竹や木を使い複層化を行い弓力を上げたもので長弓の一つになります、また特徴としてグリップ部分より上が長く下が短いシェイプをしており弦を掛けるまでは通常逆にソリが付いています。
他にも日本という風土の中で機能を保護するために防湿防水の漆が使われ藤が巻かれている形になっていて道具としての耐久もあげてあります、上が長く下が短い構造は矢を遠くの的に当てる為の構造であるとともに鎌倉期の武士の在り様から騎馬の時の取り回しを考えた構造であるとも言われています。
他にどんな弓文化圏があったかというと・・イングランドロングボウのような丸木弓もあったようで正倉院の目録にも乗っているそうです、他にも戦場での本来の弓はこの丸木弓だという話も一部あるそうですが消耗部品としての弓ならば確かに丸木弓の方が製造コストも安く時間も掛からなかったように考えられます、(和弓形式の弾弓というのも正倉院に収められているようです)
では和弓・丸木弓以外は?となると幾つかの例としてアイヌの木弓があります、こちらは現在も儀式用とはいえ熊送りなどで使われるイチイの弓が有名でサイズは少し小さめの弓ですが樺太と北海道では弓のサイズが違い身長より長いものもあったようです。
他に特徴的なのは一旦日本でも広まったクロスボウがアイヌ狩猟文化として残っています、)残念ながら武家社会ではクロスボウは消えてしまったようですが。
画像資料は”平取町立二風谷アイヌ文化博物館 ”のネットページにても確認出来ます。
アイヌの弓以外では蝦夷(エミ)氏の弓というのもありますこちらは絵巻などにその姿が残っていて湾弓の一種のようですもしかしたらアジアの複合弓とつながりのあるものだったのかもしれません。
東京国立博物館にある重要文化財の”清水寺縁起絵巻 ”にエミシの弓が描かれています。
また李満弓・鯨弓・楊弓という小型の弓もあります、画像検索してみるとまだまだ古美術などとして現存しているようです。
特に楊弓は昭和年代まで日本各地の的屋という矢場で使われた弓です(遊戯用の場所でよく時代劇でも見る”あた~~りィ~ドンドンッ”ってやっているアノ類です)今でもあるかも?というかネットではあるようなデータも???
楊弓じゃないかもだが;弓矢射的屋というのが存在するようだ・・・日光江戸村?博物館明治村?あるような??
半弓・四半弓というのはそのもの和弓の小型弓になります、そういえば赤穂浪士も討ち入りの時半弓を持ち込んだとか・・・・屋敷内での取り回しを考えてのことですね
また狩猟用の弓としては日本絵の掛け軸などで見る限りは武士以外なら木弓の身長より短いものがあったようです。
他にも恐らくもっと色々な弓があったと思われます、歴史的にもアジアや東南アジア・北ユーラシア等の影響を受けてきた日本は色んな時代・民族・文化が地層のような状態で残っているのですから。