ラビ子虹の橋へ。 | 拒食症から過食症へ、摂食障害の娘とのthe奮闘記。

拒食症から過食症へ、摂食障害の娘とのthe奮闘記。

2015年4月に拒食症と診断され、2度入退院を繰り返しその後、過食症に。2016年12月にアメリカロサンゼルスにある摂食障害専門の居住プログラムに自ら行くことを決意。
アメリカと日本の摂食障害に対する治療法や意識の違いについて伝えていけたらと思います。


先週の日曜日の朝早くラビ子さんは虹の橋に行ってしまいました。


ホーランドロップとフレンチロップのうさぎ。



娘が13歳の誕生日を迎えた時に飼い始めてから5年。



走り回って、嬉しい時は空中でビンキーして、色んなところをガジガジして、我が家の壁やカーペットはラビ子さんの噛み跡が残っていて。


娘は念願のうさぎを飼い始め、ケージの掃除から、自分のお小遣いでラビ子さんのおやつやおもちゃを買ったりと本当によく面倒を見ていました。


うさぎについてもよく勉強していて、ラビ子を定期検診に連れて行った時は、娘のうさぎについての知識力に獣医さんもびっくりするほどでした。


だけど高校に入り、難しいクラスばかり選択し毎晩遅くまで勉強の日々。


いつも機嫌が悪くイライラし、時間がない、疲れたが娘の口癖。


そのうち、ラビ子の世話を私にお願いするようになりました。


その半年後、娘は拒食症と診断されて入院することに。



娘は自分の事で精一杯。


摂食障害になってから他人を思いやる事を忘れてしまったのか、自分中心に世界が回っている様で。

それはラビ子に対しても。



拒食症から過食症になり、高校最後の年ではとうとう学校に行けなくなりました。


家にいる時間が増えた事もあって少しずつラビ子との距離も近づき、なでなでしたり、換毛期には綺麗にグルーミングもするように。(こつがあるようで、とっても上手なんです!)



最近になってラビ子は自分のケージ近くでゆったりする事が多く、私たちの寝室まで来る事がなくなり、ちょっと心配していたんです。


だけど食欲もありうんこもよくするので大丈夫だと思ってました。


土曜日の朝も、いつも通りケージを開けるとキッチンまでせっせと走ってきて、一切れのバナナを美味しそうに食べ、その後私がケージを掃除する際には邪魔をするかのように、なでなで攻撃をするラビ子。


本当に普段と変わらない朝でした。


夜8時過ぎに家に帰ると、旦那がラビ子の容態がおかしいと言い出し、毎晩食べる野菜も手付かず、そして起き上がろうとすると、後ろ足が上手く使えず、ゴロゴロと回転…


見ているのが辛くなるほどの変わり様にあたふたする私。


最後はすごい勢いで痙攣したかと思うと口を大きく開けて鳴いて息を引き取りました。



全てがあっという間で今でもラビ子がいなくなってしまったのが信じられないくらい。


ふと目をケージの方に向けると、まだラビ子がゴローンと転がっているようで。


娘には朝起きてきた時に伝えました。


私のせいで死んだんだと自分を責め泣きじゃくる娘。

もっともっとなでなでしてあげればよかった。


暫くはラビ子に近づくこともできないくらいでした。


ちっちゃな骨壷に入ったラビ子。


たくさんの癒しとたくさんの元気をもらいました。


ありがとうラビ子。


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ラビ子が亡くなる2ー3日前になぜかキャンさんがラビ子の周りから離れませんでした。

キャンさんだけがラビ子の痛みに気づいていたのかもしれません。