私の悪い癖。
やりたくないことを後回しにすること。
追い詰められてぎりぎりにならないとやらないところ。

今までは、面倒なのが嫌なのと、どうせ直前の集中力をもってすれば短時間で終わると思ってナメてるから早めにことにあたれないんだと思ってた。
でも、本当はナメてるんじゃなくて、すごくすごく怖がってるんじゃないかって、今日ふと思った。

他のことも一緒で、
例えば事に当たって、妙にふわふわ上滑って地に足がついていない感覚で躁状態になって乗り切ろうとしてしまう時も、恐がっているのだと思う。
一見、前向きに恐れずに向かい合っているように見えて、それって、本当の意味でのポジティブさとか、自信に裏打ちされた胆力が発揮されているのじゃないっていうのは最近気づき始めてた。
どこかで怖がる心が在るから、上滑ってしまう。

まだ、心配気味なときはよくって、怖さを認めているから、きちんと準備ができる。
きちんと捉える。きちんと向き合う。
これができれば準備ができて、その時の私には本当に良いコンディションが訪れるのだと思う。

向き合わずに逃げてる状態<<<躁状態<<心配で項垂れてる状態<恐がりながらだからこそ何かしなきゃと行動している状態

こうだったんだよね。きっと。
最近は、せめて、何かから逃げる代わりに、代わりの身になること、とか2番目にやりたくないことをしよう、という努力が始まってた。
でもやっぱり最終的にこの問題に関しては、何事も逃げずに、その時、脳みそをフル稼働できる人になりたい。
やりたくない度合いが低いものからでなく、鳥の目で優先順位づけをした順位通りに。

今の自分に対して恥ずかしいと思えて良かった。
恥ずかしい、とか、情けないと、感じる心がついていることが人のもっとも重要なことだと言ったのは孟子。
今日はしみじみ、この言葉通りだなーって思った。

敬と恥。
その通りだ。

自分の皮を剥かないと。
痛いのは当たり前だけど、喜神を含んで、恐れずに。
おっちょこちょいは本物でない。久々にチクリと来た。

タイトルは、日曜日に熟考したい内容。
今からおぼろげに、潜在意識の中で考えて。

逃げない、向き合う。
「最終的に」じゃなくて、じたばたしないで、「最初から」に。
やらされる、んじゃなくて、やる。
コントロールされるんじゃなくて、自分でコントロールする。

ちょっとずつ、でも確実に、自分の人生をコントロールする力を身に着ける。

らんこ