【ワレワレ先生の譫言】

私たちが抱える問題は、見えない放射能やいつ何時・誰の上にでも死がやってくることへの恐怖心ではなく、命を脅かすそうしたものへの恐怖を何重にも取り巻く、分厚い靄、つまり、満ち足りたあまりにも受動的に満たされたこの世界で鈍化したその心である。

人は未来に起こりうる些細なリスクには過敏に反応できるのに対し、大きなリスクには全く無防備である。

しかしながら、こうした問題は震災により新しく世界にお目見えしたというよりは、ただ単に、いかに日常を、「我々個人の尊厳や命よりも大事な現代社会」というものを廻すことだけしか考えずに生きてきたかの証明なのである。

「現代社会」
これを廻すこと、一部になること、発展させること、それがすべて。
それによって近しいものを守る。
英知をかけて築き上げられてきた人類の共創物、先達からのリレーを後世につなぐ。
いつからこの「大義」が日本人の基本スペックになったのだろう。

この宇宙で、ものを考えるべく生まれてきた細胞の集合体。
「オマエハナゼソコニ或ル」

人が痛みを感じる理由をあるものはこう説明する。
生存のための自衛機能である、と。
痛みを感じない者はどんな重篤な傷を負っても気付かずに死んでしまうだろう。

どうやら我々は心に麻酔をかけることを医者のみならず、一般の人間までもが習得したらしい。
麻酔をかけられた我々の心は、「何よりも大事な社会」に圧縮され、捻じ曲げられ、切り刻まれる。
痛みを感じることはない。
しかし恐れることはない、気付かぬうちに心が粉砕されていても、その後には、同じ鋳型で大量生産された「心」が配布されるのだから。
射出成型のような手軽さで、前世界統一規格の「心」が日に何個も生産され、それぞれの心のあったところにセットされる。

鋳型はたまに改良され、より、凹凸のない、均一の製品が生産可能になる。
そして少し凹凸のある月日を経てそれぞれに違う味が出てきた前作は、時代遅れとなるのである。

さて、麻酔を打つ方法を覚えなかった者はどうなるのか。

to be continue..?