以前は、とにかく放射性物質、放射能汚染について知識や情報を集めてそのうえで、怖がるなり、平気だと判断するなり、とにかく逃げずに現状を知るべきだと思ってた。

私にはかなり多くの人が思考をストップさせているように見えた。

自分では情報を集める気さえない。
その心理の奥にあるのが
無知ゆえの軽視
なのか
漠然とした恐怖心からの思考回避
なのか
それ以外なのかは
人それぞれだとは思うのだけど。

そして、そういう人ほど、真剣に考えて運動している人
このままの行政では大事な人を守りきれない、または多くの命が危険だと考えてる人
に対して苦笑いだったり、
ひどい場合にはバカにしたり
気にし過ぎ、異常
なんていう言葉で片付けようとしたり…

私は最初、その二極に挟まれて本当に苦しかった。
どっちの人と話しても泣きたくなった。

もし、ははが昔からチェルノブイリの子供たちのために働いたりしていなければ
私も安易に、考えることや情報を収集することをやめて
楽な方に、
まあ平気でしょ、このまま普通にやっていった方が楽だし、苦しくないし
って流されてたかもしれない。

でもそうではなかったから、
家に帰れば悲壮な顔したははがいるし
外に出れば「っていうかすごいマスクしてる人いてひいたんだけど」なんてヘラヘラしてる友達がいるし
そんな中、自分の意見を持てなかった私。
それでもははのように一生懸命なんとかしなきゃって頑張ってる人をバカにされるのだけは許せなくて
ヘラヘラ軽視してる人相手に反発したり、
してた。


でもね、気にして気にして、被害の現状を知れば知るほど、それに心を痛めているははを見ると

「ここで生きていく」
って決めた人は、
「何も知らずに、気にせずに生きていく」
っていう生き方もありなんじゃないかと思ってしまった。

もともと自分の意見を公言することが苦手な日本人
しかも人の健康や危険確率への価値観ということを話さなければいけないとってもデリケートな問題

みんな揃って同じ方向、違う意見を主張してる人がいると居心地が悪いって感じる人にとっては、声高になんとかしよう、TVの報道は嘘だなんていう人たちの存在がストレスだし、

何とかしたいと思ってる人にとっては、日本では自分の考えを述べるだけで奇人・変人扱いされてしまうし、心無い人からあざ笑われたり、友達には距離を置かれたりする。
正直、前者以上のストレスの中で生きてると思う。


なるべく人と違うことは言わない、
自分の意見 なんてものは持たなくていい
そういう風潮が確かに今の日本にもあったんだなって実感した
そしてそういう社会でこういう事件がおきた

みんなストレスと戦ってる

でも、一つだけ言いたいのは
違う考え方を持っていても、同じでも、なんでもいいからお互いに尊重し合って欲しい。
考えを述べるだけで変人扱いされる社会はおかしい。
もしも、自分と違う考えを持つ人に対して必要以上に反撃したくなるのだとしたら
それは何か不安を抱いてる証拠なんじゃないかな。

不安の多い社会だからこそ、
自分が腹の底から納得できる意見を持つこと
意見の違う人と接するときに、思いやりの心を持つこと
それが大切だと思う。

私たちの苦手とするところではあると思うけど、
日本人のモラルの高さとか、相手の心を思いやる気持ちとか
それをカバーできる長所も持ってるから、
頑張って耐え抜けば新しい、もっといい社会ができあがったり…しないかな~

まずは、私自身、腹の底から納得できる答えを見つけないとだなー

言うは易し、なんだけどね。。。しょぼん