太宰治
青森の巨匠
太宰治
偉大なる芸術家は
異色短命な方が多い
中でも何度となく自殺を繰り返した太宰治の人生。
彼は今空の上で
自分が偉大なる小説家として
語りつがれている事を
どう思うのだろうか?
私の故郷青森には
太宰治
寺山修司
棟方志功
などの芸術家が産まれた
皆女性というものが、切り離せない芸術家だと思う。
改めて男性からみる、女性という存在の奥深さを感じます。
雪深く
暗い空
の北国には、眠らぬ街からは想像もつかない、漆黒の闇
が、ある。
北国の芸術には、そんな、人の心の闇が繊細に描かれている。
あらためて
故郷の芸術をもっと掘り下げて調べたいと思う。
今日この頃♪( ´θ`)ノ
iPhoneからの投稿
太宰治
偉大なる芸術家は
異色短命な方が多い
中でも何度となく自殺を繰り返した太宰治の人生。
彼は今空の上で
自分が偉大なる小説家として
語りつがれている事を
どう思うのだろうか?
私の故郷青森には
太宰治
寺山修司
棟方志功
などの芸術家が産まれた

皆女性というものが、切り離せない芸術家だと思う。
改めて男性からみる、女性という存在の奥深さを感じます。
雪深く
暗い空
の北国には、眠らぬ街からは想像もつかない、漆黒の闇
が、ある。
北国の芸術には、そんな、人の心の闇が繊細に描かれている。
あらためて
故郷の芸術をもっと掘り下げて調べたいと思う。
今日この頃♪( ´θ`)ノ
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新宿ゴールデン街が気になる!
新宿ゴールデンへはまだいったことがないです!(泣)
すごい気になる。
あたし絶対好きな気がする!
東京に来てから
色々な街に繰り出してみたけど
まだまだいったことないところもたくさん!
寺山修司や浅川マキが居た頃の新宿に居たかったな。・゜・(ノД`)・゜・。
後は横須賀もいってみたい!
先日であったピアニストの鈴木史門くんのお誘いで、今度ゴールデン街のちいさな、ライブバーへいってきます!
(^-^)/
来月は、新宿白龍館という所で、何曲か歌っちゃうかも!

オリジナルライブではなく、飲みながらゆるーく、JAZZやシャンソンを唄う

楽しみ

所でFM川崎のラジオにでるよー!近々収録行ってくるから
放送時間なんかわかったら報告します!\(^o^)/
iPhoからの投稿
無職フェス!!
こんにちは、ネットでこんな記事を発見した!
無職フェス
二年ほど前かな?
とあるイベントに遊びに行った時に
『無職フェスやってます!遊びにきてください!』とちらしを頂いた。
無職じゃなくても入場はオッケイらしく、是非いってみたい!
と思い、
友達を誘いましたがタイミングがあわず
1人で行く勇気もなく
残念ながらいけずじまいでした!
今朝起きたら
ニュース
でこの記事を発見!
今だイベントは続いていたようで安心!
この記事是非読んで見てください!
2012年5月15日
バーの店長にホームレス!?:
「不謹慎かもしれないが、無関心よりまし」――「無職FES」が目指す働けない人の居場所作り
下北沢のとあるバーで、ホームレスの男性が1日限りで店長を務めることになった。その名も「ホームレスBAR」。このイベントは「無職FES」という団体が企画したものだった。
[岡徳之,ITmedia] [PC用表示]
5935
4月某日、下北沢のとあるバーでユニークなイベントが開催された。ホームレスの男性が1日限りで店長を務める、その名も「ホームレスBAR」だ。ホームレスの人が店長……非常に気になる一方で、大変申し訳ないが、きちんと接客できるのか、衛生的に問題はないのかと、おそるおそる参加した。当日の模様、そして主催団体「無職FES」の代表、岩井祐樹さんを取材した。
店長なのに接客の表情は固い
店長のタナカさん(仮名)は杉並区在住、雑誌の販売を行っている。在住といっても、住まいは個室ビデオや漫画喫茶、そして駅の構内。雑誌はホームレスの自立を支援する「BIG ISSUE」。タナカさんは無職、ホームレスなのだ。そんなタナカさんが、この日は下北沢にあるおしゃれなバーの店長になった。これまで飲食店に勤めた経験はない。開店の数時間前に、近くの銭湯で行われた打ち合わせで店内での動き方を頭にたたきこんだ。いかにも料理人が着ていそうな白のエプロンに着替え、胸ポケットにはメモとペンを忍ばせている。言葉は悪いが意外な清潔感を感じ、ひと安心した。
エプロンに着替え、胸ポケットにメモとペンを忍ばせたタナカさん
開店してまもなく、店内はお客さんであふれかえった。席が足りず、地べたに座る若い客も。タナカさんも忙しくなってくる。「すいませーん」と、お酒を飲みに来た客から次々と声がかかる。「はい」と小さく答え、オーダーを聞き、急いでメモを取る。オーダーを復唱し、バーカウンター越しにオーダーを通す。接客のときの表情は固く、オーダーを通すときもどこか恐縮しているような感じだ。接客のすきま時間に話しかけても、あまり目を合わせてくれない。警戒されているのではないかと思うほどだ。バーの店長なんて初めてだから緊張しているのだろうか。もちろんそれもあるだろうが、基本的に人と接するとき、タナカさんはとてもぎこちないのだ。
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カウンターから出てきたお酒を持って、伝票とテーブル番号を照らし合わせようとするがうまくいかず、店内を行ったり来たりすることも。ただでさえ超満員だというのに、店長がこんな調子だからお客さんは待たされ、乾杯もできない。しかし文句を言う人は誰もいない。みんな、タナカさんに会いに来ているのだ。開店して30分ほどたったころ、タナカさんが客席の中心に呼ばれ、自身のホームレス生活について語り始めた。騒がしかった店内が静かになった。
ホームレス生活の実態
ホームレスになった経緯、生活の実態を語るタナカさん
タナカさんは8年ほど前、新宿中央公園に出てきた。「手元にある酒とたばこが切れたら死のうと思っていた」。死に場所を探すために東京に出てきたという。タナカさんは21歳から41歳まで、某メーカーの工場で働いていた。しかし工場長と折りが合わなくなり、クビになって無職の身に。その後、1~2カ月ほどでお金が尽きた。会社組織の中では働けない、だからといってほかに食いぶちを作る方法もない。「あとはなるようになれ」と身分証明書の一切を実家に置き、親や兄弟にも連絡せずに出てきた。「きっと家族にはもう死んでいると思われている」。これからも連絡を取ることはないそうだ。
死ぬために東京に出てきたタナカさんがBIG ISSUEの販売を始めたきっかけは、公園の炊き出しだった。酒もたばこも尽きかけたころ、公園の炊き出しにBIG ISSUEのスタッフが販売員募集に来て、もう1回やってみようと思ったのだという。現在もBIG ISSUEの販売は続けており、1日にだいたい10冊ほど売る。電車賃を引くと、手元には1日1000円ほどが残るそうだ。朝食はソーセージマフィンが2つ、昼は食べず、夕飯は牛丼。週に1~2日は個室ビデオ店か漫画喫茶に泊まり、そのときは少なくとも3回はシャワーを浴びる。残りは駅で寝ているが、熟睡はできないそうだ。ニュース
2012年5月15日
バーの店長にホームレス!?:
「不謹慎かもしれないが、無関心よりまし」――「無職FES」が目指す働けない人の居場所作り
下北沢のとあるバーで、ホームレスの男性が1日限りで店長を務めることになった。その名も「ホームレスBAR」。このイベントは「無職FES」という団体が企画したものだった
4月某日、下北沢のとあるバーでユニークなイベントが開催された。ホームレスの男性が1日限りで店長を務める、その名も「ホームレスBAR」だ。ホームレスの人が店長……非常に気になる一方で、大変申し訳ないが、きちんと接客できるのか、衛生的に問題はないのかと、おそるおそる参加した。当日の模様、そして主催団体「無職FES」の代表、岩井祐樹さんを取材した。
店長なのに接客の表情は固い
店長のタナカさん(仮名)は杉並区在住、雑誌の販売を行っている。在住といっても、住まいは個室ビデオや漫画喫茶、そして駅の構内。雑誌はホームレスの自立を支援する「BIG ISSUE」。タナカさんは無職、ホームレスなのだ。そんなタナカさんが、この日は下北沢にあるおしゃれなバーの店長になった。これまで飲食店に勤めた経験はない。開店の数時間前に、近くの銭湯で行われた打ち合わせで店内での動き方を頭にたたきこんだ。いかにも料理人が着ていそうな白のエプロンに着替え、胸ポケットにはメモとペンを忍ばせている。言葉は悪いが意外な清潔感を感じ、ひと安心した。
エプロンに着替え、胸ポケットにメモとペンを忍ばせたタナカさん
開店してまもなく、店内はお客さんであふれかえった。席が足りず、地べたに座る若い客も。タナカさんも忙しくなってくる。「すいませーん」と、お酒を飲みに来た客から次々と声がかかる。「はい」と小さく答え、オーダーを聞き、急いでメモを取る。オーダーを復唱し、バーカウンター越しにオーダーを通す。接客のときの表情は固く、オーダーを通すときもどこか恐縮しているような感じだ。接客のすきま時間に話しかけても、あまり目を合わせてくれない。警戒されているのではないかと思うほどだ。バーの店長なんて初めてだから緊張しているのだろうか。もちろんそれもあるだろうが、基本的に人と接するとき、タナカさんはとてもぎこちないのだ。
カウンターから出てきたお酒を持って、伝票とテーブル番号を照らし合わせようとするがうまくいかず、店内を行ったり来たりすることも。ただでさえ超満員だというのに、店長がこんな調子だからお客さんは待たされ、乾杯もできない。しかし文句を言う人は誰もいない。みんな、タナカさんに会いに来ているのだ。開店して30分ほどたったころ、タナカさんが客席の中心に呼ばれ、自身のホームレス生活について語り始めた。騒がしかった店内が静かになった。
ホームレス生活の実態
ホームレスになった経緯、生活の実態を語るタナカさん
タナカさんは8年ほど前、新宿中央公園に出てきた。「手元にある酒とたばこが切れたら死のうと思っていた」。死に場所を探すために東京に出てきたという。タナカさんは21歳から41歳まで、某メーカーの工場で働いていた。しかし工場長と折りが合わなくなり、クビになって無職の身に。その後、1~2カ月ほどでお金が尽きた。会社組織の中では働けない、だからといってほかに食いぶちを作る方法もない。「あとはなるようになれ」と身分証明書の一切を実家に置き、親や兄弟にも連絡せずに出てきた。「きっと家族にはもう死んでいると思われている」。これからも連絡を取ることはないそうだ。
死ぬために東京に出てきたタナカさんがBIG ISSUEの販売を始めたきっかけは、公園の炊き出しだった。酒もたばこも尽きかけたころ、公園の炊き出しにBIG ISSUEのスタッフが販売員募集に来て、もう1回やってみようと思ったのだという。現在もBIG ISSUEの販売は続けており、1日にだいたい10冊ほど売る。電車賃を引くと、手元には1日1000円ほどが残るそうだ。朝食はソーセージマフィンが2つ、昼は食べず、夕飯は牛丼。週に1~2日は個室ビデオ店か漫画喫茶に泊まり、そのときは少なくとも3回はシャワーを浴びる。残りは駅で寝ているが、熟睡はできないそうだ。
無職FESは働けない人の居場所
タナカさんが「ホームレスBAR」を主催する無職FESの岩井祐樹さんと出会ったのも、BIG ISUUEがきっかけだった。BIG ISSUEで面倒を見てくれている人が2人の共通の知人で、タナカさんに「店長をやってくれないか」と声をかけた。
岩井さんは昨年の2月から無職FESという団体を運営している。無職FESは、職に就いていない、就けないがために社会に居場所がないと思っている人に「ここにくれば居場所がある。仲間が見つかるかもしれない」と感じてもらえる場を作るために不定期でイベントを開催している。ふさぎ込みがちな求職中の期間をなるべく楽しく過ごすためのイベント「無職FES」や、2月10日の「ニートの日」に街を練り歩く「ニート祭り」などを開催してきた。
無職FESの岩井祐樹さん
岩井さんが無職FESを立ち上げるに至った経緯は、学生時代にまでさかのぼる。岩井さんは学生のころ、ボランティア活動を通じて、家も仕事もないホームレスの人と知り合った。「こんないい歳したおっさんが苦しい生活をしているのか」――当時、就職活動期で自分の将来を模索していた岩井さんは、この人の状況を面白いと感じたそうだ。これが岩井さんと“無職”との出会いだった。
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無職に対する興味が無職FESという団体結成に結びついたきっかけは、岩井さん自身が無職になったこと。岩井さんは演劇を生業にするために上京して3~4年活動してきたが、立ち行かなくなり会社員に。しかし会社と合わず、うまくいかなくなって1年でクビになった。「演劇をやりたくて出てきたのに、今では何もやりたいことがなくなってしまった。それに自分には、稼げるだけのスキルもない」。無職であるがゆえの生きづらさを身をもって知ったときに、無職FESは生まれた。
無職に対するイメージをよくしたい
岩井さんの回りには、さまざまな事情で無職になった人がいる。要領が悪かったり、会社組織というものとの相性が合わなくて辞めた人、重度の障害を抱えている人も。5月に開催する「見えないBAR」というイベントは、発達障害、精神病、孤独など、ぱっと見では気づかれない病に苦しんでいる人をテーマにして行なわれる。
これだけ重いテーマでありながら、“BAR”や“FES”という名前を掲げて活動をしていると、けしからんと批判してくる人もいる。そんなとき岩井さんは、運営に協力してくれるメンバーの言葉を思い出す。「不謹慎かもしれないが無関心よりはましだろう」。岩井さん自身に傑出した才能やスキルがあるわけではない。しかし、Webサイトを制作できる人、名刺をデザインできる人、イベント運営を手伝ってくれる人など、身の回りの人に、実務面でも精神面でも支えられながら活動を続けている。
たくさんの協力者に支えられて完成した「読む無職FES」
岩井さんは今、契約社員として働いている。無職FES自体は収益化を図っておらず、自分の貯金を擦り減らしてやってきた。イベントの準備は毎回大変だし、大変な思いをしているのに毎回赤字だしと、お金について自尊心を削がれることもあるが、今は世の中の役に立っているという実感だけを見返りにやっている。
3年後には、世田谷区の区議会議員選挙に出ようと思っている。議員インターンシップの経験から政治家の影響力を知り、自分が住みたいと思うような社会に変えていくために政治家になろうと考えたという。当選した暁には、無職の人のパワーと時間を結集した取り組みを企画するつもりだ。
無職FESに参加した人が「会社員をやめようと思っていたけど、会社に残ることにした」と報告をくれたこともある。ホームレスBARでは、売り上げの中からタナカさんに7900円を払えた。時給としては1500円、タナカさんの生活費としては約1週間分になる。「自分がお金をもらうより嬉しかった」と岩井さん。「働く」ということに自分自身がつまづいた岩井さんの思いが、少しずつではあるが結実しつつある。
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無職フェス
二年ほど前かな?
とあるイベントに遊びに行った時に
『無職フェスやってます!遊びにきてください!』とちらしを頂いた。
無職じゃなくても入場はオッケイらしく、是非いってみたい!
と思い、
友達を誘いましたがタイミングがあわず
1人で行く勇気もなく
残念ながらいけずじまいでした!
今朝起きたら
ニュース
でこの記事を発見!
今だイベントは続いていたようで安心!
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2012年5月15日
バーの店長にホームレス!?:
「不謹慎かもしれないが、無関心よりまし」――「無職FES」が目指す働けない人の居場所作り
下北沢のとあるバーで、ホームレスの男性が1日限りで店長を務めることになった。その名も「ホームレスBAR」。このイベントは「無職FES」という団体が企画したものだった。
[岡徳之,ITmedia] [PC用表示]
5935
4月某日、下北沢のとあるバーでユニークなイベントが開催された。ホームレスの男性が1日限りで店長を務める、その名も「ホームレスBAR」だ。ホームレスの人が店長……非常に気になる一方で、大変申し訳ないが、きちんと接客できるのか、衛生的に問題はないのかと、おそるおそる参加した。当日の模様、そして主催団体「無職FES」の代表、岩井祐樹さんを取材した。
店長なのに接客の表情は固い
店長のタナカさん(仮名)は杉並区在住、雑誌の販売を行っている。在住といっても、住まいは個室ビデオや漫画喫茶、そして駅の構内。雑誌はホームレスの自立を支援する「BIG ISSUE」。タナカさんは無職、ホームレスなのだ。そんなタナカさんが、この日は下北沢にあるおしゃれなバーの店長になった。これまで飲食店に勤めた経験はない。開店の数時間前に、近くの銭湯で行われた打ち合わせで店内での動き方を頭にたたきこんだ。いかにも料理人が着ていそうな白のエプロンに着替え、胸ポケットにはメモとペンを忍ばせている。言葉は悪いが意外な清潔感を感じ、ひと安心した。
エプロンに着替え、胸ポケットにメモとペンを忍ばせたタナカさん
開店してまもなく、店内はお客さんであふれかえった。席が足りず、地べたに座る若い客も。タナカさんも忙しくなってくる。「すいませーん」と、お酒を飲みに来た客から次々と声がかかる。「はい」と小さく答え、オーダーを聞き、急いでメモを取る。オーダーを復唱し、バーカウンター越しにオーダーを通す。接客のときの表情は固く、オーダーを通すときもどこか恐縮しているような感じだ。接客のすきま時間に話しかけても、あまり目を合わせてくれない。警戒されているのではないかと思うほどだ。バーの店長なんて初めてだから緊張しているのだろうか。もちろんそれもあるだろうが、基本的に人と接するとき、タナカさんはとてもぎこちないのだ。
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カウンターから出てきたお酒を持って、伝票とテーブル番号を照らし合わせようとするがうまくいかず、店内を行ったり来たりすることも。ただでさえ超満員だというのに、店長がこんな調子だからお客さんは待たされ、乾杯もできない。しかし文句を言う人は誰もいない。みんな、タナカさんに会いに来ているのだ。開店して30分ほどたったころ、タナカさんが客席の中心に呼ばれ、自身のホームレス生活について語り始めた。騒がしかった店内が静かになった。
ホームレス生活の実態
ホームレスになった経緯、生活の実態を語るタナカさん
タナカさんは8年ほど前、新宿中央公園に出てきた。「手元にある酒とたばこが切れたら死のうと思っていた」。死に場所を探すために東京に出てきたという。タナカさんは21歳から41歳まで、某メーカーの工場で働いていた。しかし工場長と折りが合わなくなり、クビになって無職の身に。その後、1~2カ月ほどでお金が尽きた。会社組織の中では働けない、だからといってほかに食いぶちを作る方法もない。「あとはなるようになれ」と身分証明書の一切を実家に置き、親や兄弟にも連絡せずに出てきた。「きっと家族にはもう死んでいると思われている」。これからも連絡を取ることはないそうだ。
死ぬために東京に出てきたタナカさんがBIG ISSUEの販売を始めたきっかけは、公園の炊き出しだった。酒もたばこも尽きかけたころ、公園の炊き出しにBIG ISSUEのスタッフが販売員募集に来て、もう1回やってみようと思ったのだという。現在もBIG ISSUEの販売は続けており、1日にだいたい10冊ほど売る。電車賃を引くと、手元には1日1000円ほどが残るそうだ。朝食はソーセージマフィンが2つ、昼は食べず、夕飯は牛丼。週に1~2日は個室ビデオ店か漫画喫茶に泊まり、そのときは少なくとも3回はシャワーを浴びる。残りは駅で寝ているが、熟睡はできないそうだ。ニュース
2012年5月15日
バーの店長にホームレス!?:
「不謹慎かもしれないが、無関心よりまし」――「無職FES」が目指す働けない人の居場所作り
下北沢のとあるバーで、ホームレスの男性が1日限りで店長を務めることになった。その名も「ホームレスBAR」。このイベントは「無職FES」という団体が企画したものだった
4月某日、下北沢のとあるバーでユニークなイベントが開催された。ホームレスの男性が1日限りで店長を務める、その名も「ホームレスBAR」だ。ホームレスの人が店長……非常に気になる一方で、大変申し訳ないが、きちんと接客できるのか、衛生的に問題はないのかと、おそるおそる参加した。当日の模様、そして主催団体「無職FES」の代表、岩井祐樹さんを取材した。
店長なのに接客の表情は固い
店長のタナカさん(仮名)は杉並区在住、雑誌の販売を行っている。在住といっても、住まいは個室ビデオや漫画喫茶、そして駅の構内。雑誌はホームレスの自立を支援する「BIG ISSUE」。タナカさんは無職、ホームレスなのだ。そんなタナカさんが、この日は下北沢にあるおしゃれなバーの店長になった。これまで飲食店に勤めた経験はない。開店の数時間前に、近くの銭湯で行われた打ち合わせで店内での動き方を頭にたたきこんだ。いかにも料理人が着ていそうな白のエプロンに着替え、胸ポケットにはメモとペンを忍ばせている。言葉は悪いが意外な清潔感を感じ、ひと安心した。
エプロンに着替え、胸ポケットにメモとペンを忍ばせたタナカさん
開店してまもなく、店内はお客さんであふれかえった。席が足りず、地べたに座る若い客も。タナカさんも忙しくなってくる。「すいませーん」と、お酒を飲みに来た客から次々と声がかかる。「はい」と小さく答え、オーダーを聞き、急いでメモを取る。オーダーを復唱し、バーカウンター越しにオーダーを通す。接客のときの表情は固く、オーダーを通すときもどこか恐縮しているような感じだ。接客のすきま時間に話しかけても、あまり目を合わせてくれない。警戒されているのではないかと思うほどだ。バーの店長なんて初めてだから緊張しているのだろうか。もちろんそれもあるだろうが、基本的に人と接するとき、タナカさんはとてもぎこちないのだ。
カウンターから出てきたお酒を持って、伝票とテーブル番号を照らし合わせようとするがうまくいかず、店内を行ったり来たりすることも。ただでさえ超満員だというのに、店長がこんな調子だからお客さんは待たされ、乾杯もできない。しかし文句を言う人は誰もいない。みんな、タナカさんに会いに来ているのだ。開店して30分ほどたったころ、タナカさんが客席の中心に呼ばれ、自身のホームレス生活について語り始めた。騒がしかった店内が静かになった。
ホームレス生活の実態
ホームレスになった経緯、生活の実態を語るタナカさん
タナカさんは8年ほど前、新宿中央公園に出てきた。「手元にある酒とたばこが切れたら死のうと思っていた」。死に場所を探すために東京に出てきたという。タナカさんは21歳から41歳まで、某メーカーの工場で働いていた。しかし工場長と折りが合わなくなり、クビになって無職の身に。その後、1~2カ月ほどでお金が尽きた。会社組織の中では働けない、だからといってほかに食いぶちを作る方法もない。「あとはなるようになれ」と身分証明書の一切を実家に置き、親や兄弟にも連絡せずに出てきた。「きっと家族にはもう死んでいると思われている」。これからも連絡を取ることはないそうだ。
死ぬために東京に出てきたタナカさんがBIG ISSUEの販売を始めたきっかけは、公園の炊き出しだった。酒もたばこも尽きかけたころ、公園の炊き出しにBIG ISSUEのスタッフが販売員募集に来て、もう1回やってみようと思ったのだという。現在もBIG ISSUEの販売は続けており、1日にだいたい10冊ほど売る。電車賃を引くと、手元には1日1000円ほどが残るそうだ。朝食はソーセージマフィンが2つ、昼は食べず、夕飯は牛丼。週に1~2日は個室ビデオ店か漫画喫茶に泊まり、そのときは少なくとも3回はシャワーを浴びる。残りは駅で寝ているが、熟睡はできないそうだ。
無職FESは働けない人の居場所
タナカさんが「ホームレスBAR」を主催する無職FESの岩井祐樹さんと出会ったのも、BIG ISUUEがきっかけだった。BIG ISSUEで面倒を見てくれている人が2人の共通の知人で、タナカさんに「店長をやってくれないか」と声をかけた。
岩井さんは昨年の2月から無職FESという団体を運営している。無職FESは、職に就いていない、就けないがために社会に居場所がないと思っている人に「ここにくれば居場所がある。仲間が見つかるかもしれない」と感じてもらえる場を作るために不定期でイベントを開催している。ふさぎ込みがちな求職中の期間をなるべく楽しく過ごすためのイベント「無職FES」や、2月10日の「ニートの日」に街を練り歩く「ニート祭り」などを開催してきた。
無職FESの岩井祐樹さん
岩井さんが無職FESを立ち上げるに至った経緯は、学生時代にまでさかのぼる。岩井さんは学生のころ、ボランティア活動を通じて、家も仕事もないホームレスの人と知り合った。「こんないい歳したおっさんが苦しい生活をしているのか」――当時、就職活動期で自分の将来を模索していた岩井さんは、この人の状況を面白いと感じたそうだ。これが岩井さんと“無職”との出会いだった。
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無職に対する興味が無職FESという団体結成に結びついたきっかけは、岩井さん自身が無職になったこと。岩井さんは演劇を生業にするために上京して3~4年活動してきたが、立ち行かなくなり会社員に。しかし会社と合わず、うまくいかなくなって1年でクビになった。「演劇をやりたくて出てきたのに、今では何もやりたいことがなくなってしまった。それに自分には、稼げるだけのスキルもない」。無職であるがゆえの生きづらさを身をもって知ったときに、無職FESは生まれた。
無職に対するイメージをよくしたい
岩井さんの回りには、さまざまな事情で無職になった人がいる。要領が悪かったり、会社組織というものとの相性が合わなくて辞めた人、重度の障害を抱えている人も。5月に開催する「見えないBAR」というイベントは、発達障害、精神病、孤独など、ぱっと見では気づかれない病に苦しんでいる人をテーマにして行なわれる。
これだけ重いテーマでありながら、“BAR”や“FES”という名前を掲げて活動をしていると、けしからんと批判してくる人もいる。そんなとき岩井さんは、運営に協力してくれるメンバーの言葉を思い出す。「不謹慎かもしれないが無関心よりはましだろう」。岩井さん自身に傑出した才能やスキルがあるわけではない。しかし、Webサイトを制作できる人、名刺をデザインできる人、イベント運営を手伝ってくれる人など、身の回りの人に、実務面でも精神面でも支えられながら活動を続けている。
たくさんの協力者に支えられて完成した「読む無職FES」
岩井さんは今、契約社員として働いている。無職FES自体は収益化を図っておらず、自分の貯金を擦り減らしてやってきた。イベントの準備は毎回大変だし、大変な思いをしているのに毎回赤字だしと、お金について自尊心を削がれることもあるが、今は世の中の役に立っているという実感だけを見返りにやっている。
3年後には、世田谷区の区議会議員選挙に出ようと思っている。議員インターンシップの経験から政治家の影響力を知り、自分が住みたいと思うような社会に変えていくために政治家になろうと考えたという。当選した暁には、無職の人のパワーと時間を結集した取り組みを企画するつもりだ。
無職FESに参加した人が「会社員をやめようと思っていたけど、会社に残ることにした」と報告をくれたこともある。ホームレスBARでは、売り上げの中からタナカさんに7900円を払えた。時給としては1500円、タナカさんの生活費としては約1週間分になる。「自分がお金をもらうより嬉しかった」と岩井さん。「働く」ということに自分自身がつまづいた岩井さんの思いが、少しずつではあるが結実しつつある。
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