年に何度かいくつかの保護団体さんの支援をさせて頂いている。
なかなか会いに行かれないので、申し訳程度の寄付や援助品を送ったり、賛助会費という名目で物資を補充して頂けたらと思って何度目かの春になる。
今年も駆虫の季節がやってきた。
外飼いの子達には特に必須のノミ・ダニ対策。
急いで送ってあげなくては。
みやまの子たち
今日もあちこちで飼育崩壊している現場の記事が
見受けられます。
毎日毎日。
先日は猫ちゃんの現場で、狭いケージに入れられた避妊もしていないという。
飼い主はこれからどうなると考えているんだろう。
当然レスキューに入った団体さん、ボランティアさんはできる限りの対策を考え、手配をするが、人の力も、環境も、そして経済力にも限界はある。
援助や里親さんの呼びかけをするが、「ちょっと待て」「これを一般市民に投げかけることが正当なことか」
私たちのように、動物が好きで、同じ命を預かる者には少なからず人ごとには思えない。
心は動く。
しかし、まるっきり関係のない人たちにとってその呼びかけはどう受け取られているのだろう。
きっと多くは「何、勝手な事を言っているのだ」
「自分で避妊処置もせずに増やすだけ増やして
無関係の他人に援助を求めるなんて」
そんなところだろう。
無理もない。
誰がお願いしたわけでもない。
勝手に増やすだけ増やしてしまった結果である。
それ以前に、その人たちが背負わなくてはならない道理がない。
自分の生活を後回しにして、救いの手をのべるその人たちの生活そのものはどうするのか。
ボラさんたちの大方の人たちは、命を見捨てられないからと言う。
でも、一般市民にとっての犬一匹、猫一匹の命の重さって、きっと比重が違うんだろうな〜。
動愛法改正の動きが鈍いのも要因はこんなところにもあるのだろうと私は感じています。
いえ、動物に関わりのない人が無関心だと否定しているのではない。
むしろ、その人たちに同レベルで向き合う事を求める事自体が難しいことなのかも知れない。
無法化した一部の常識を逸脱した人たちのあり得ない行動が行政はおろか、地域や無関係な人たちを巻き込む。
そして何より、悲しい命を生んでしまう。
最近身の回りでも、保護犬を迎えた方達と出会うことが増えた。
必ずその子たちに"良かったね。良い人に見つけてもらえて。幸せになるんだよ"
と声を掛ける。
この子達と同じように安心して眠る場所が見つかることを祈って。