先日、サンティアゴ巡礼が終わる時も寂しかった思ったことを書いたのだけど、
その思い出の続き。
長くなりそうなので、2.3回にわけるかも?
私は運動音痴。持久力もないから、子供の頃から運動会も、マラソン大会も、
遠足行事も嫌いだった。山登りは持久力必須だから苦手。
だから、サンティアゴ巡礼に行くことになって、しかも、毎日20km-25km歩くと聞いて、眩暈を覚えるほどだったのだけど。
夫(当時は結婚前だった。)がどうしても行きたいというので、行くことになった。
そこに、夫の甥(でも年が近い。)も夏休みが終わるギリギリまで一緒に歩きたいと便乗してきた。
3人で歩き始めたのはレオン県の西寄りの村。
そこから目的地サンティアゴまで180kmほど。
歩き始めたものの、日ごろの運動不足もたたって、初日の途中から左膝が痛くなった。上りは何とかなるものの、下りで自分の体重が膝にかかると激痛が走る。やっとの思いで一歩一歩下るようなありさま。
初日から薬局に立ち寄り、サポーターと痛み止めのジェルを買った。
それから道に落ちていた木の枝を拾って、杖にした。
2日目は最初の関門の山越えが待っている。
一晩ゆっくり休んで、前日よりは痛みも落ち着いているものの、山越えの途中で歩けなくなるのも困ると思って、村のタクシーを頼ることにした。
夫も甥もせっかく来たのにタクシーはご免、絶対に歩くと言って、2日目の朝から別行動。
二人は朝早くから出発し、私は正午くらいまで同じ村で過ごし、
そこから村のタクシーに乗って、山を登ったところで二人と合流した。
その後は、膝の痛みともつきあいつつ、何とか自分のペースで歩いた。
夫も甥も体力はあるし歩くスピードも元々はやい。だから朝一緒に宿を出ても、途中から私はいつも一人になって歩いていた。
そして、後ろからくる他の巡礼者に「BUEN CAMINO~」(良い巡礼を~)と言われながら追い越されていた。
ところどころで、どこかのだれかと一緒になって少しの間一緒に歩くこともあったけど、だいたいは、私の歩調の遅さに、「じゃあまたあとでね~」と残されることが多かった。
巡礼に出る前に、上司に「何を見つめて歩きますか?」と質問をされた。
その時の私には取り立て答えられることもなく、「いや、彼に引きずられて。。。」としか返せなかった。
そんな具合だったから、歩いていても、暑い、喉が渇いた、お腹が空いた、膝が痛い、それしか頭の中にも心の中にもなかった。見つめるものも何もないまま
途中でやめるのはかっこ悪いから、意地でも歩いてやれと、ただそれだけだった。
そんな日々が1週間程続いた日の夕方。
この日は夫と二人、本来の道ではなく、枝分かれした道を行って、メジャーではない小さな村に宿泊することにした。(甥っ子はその日、本来の道を道中出会った人と行った。)
宿の前に到着し、受付に行く前に私はベンチにリュックを置き、腰も降ろした。
(夫はどんどん受付を済ませてた。)
腰を下ろした瞬間、足首に寒気を伴うような痛みがあった。
痛っ!!!と思った瞬間、視界の端に入ったのは、真っ黒い、ハエのような虫が飛ぶ姿。刺された!と理解したら、悪寒もしてきたけど、とりあえず、宿の受付を済ませて、ベッドを確保しよう、と受付へ。それから部屋へあがった。
先に部屋にいた夫には「何してたの?遅い。」と言われる。私は「何してたじゃないよ!虫に刺されて痛い!なんで私が遅いと思っても探しにもこないの?」と私は怒った。
そんなやりとりを見ていた、近くのベッドの巡礼者が、「何の虫?見せて?それくらいなら大丈夫だよ、これ塗っておきなよ。」と持参の虫刺され薬を渡してくれた。
その村には、病院も薬局もなく、少しもらった薬を塗って、その晩はしのいだ。幸い、刺された後の痛みも腫れも大したことがなかったのだ。
だから、翌朝も目覚めて、普通に歩き始めた。
ところがだ、刺された跡がだんだん痛くなる。歩調に合わせてリズミカルに痛む。
でも、今晩の宿がある村まで薬局もない。。。
なので、歩く。
気温の上昇とともに痛みも増してきている。刺された足は赤みを増して腫れてきている。
そうして、その日着いた宿近くの薬局で抗ヒスタミン剤を買った。
薬剤師さんは、私の足を見て、「明日着く村には病院があるから、もし、明日も良くならなかったら、病院に行きなさい。」といった。
結局、抗ヒスタミン剤を飲んでも痛みも腫れもひかなかった。
というより悪化していて、刺された箇所を中心に腫れていたのが、この翌日には足首から膝下5cmくらいまでの広範囲で真っ赤なのだ。
それでも、お昼過ぎまでは何とか歩いていた。休み休みだっだけれど。
その日の行程はあと5KMくらいというところで、私の気が抜けたのかなんなのか、そして夫と合流したこともあって、私はもう無理と思い始めた。
付近には村のバルが2軒並んでいて、公衆電話も備え付けられている。
当時2012年、今はもうわからないけれど、その当時は巡礼の道の村々、携帯がつながらないところが本当に多かった。だから緊急の連絡は携帯ではできないこともあって、だから、バルに公衆電話があったのを見て、私は助かった!タクシーを呼ぼうと思ったのだ。そうして病院へ行こうと思ったのだ。
しかしだ、、、どちらのバルの公衆電話もつながらなかった。お店の人も使えないよ、と、こともなげだ。
あと5KM。もう無理。今日は歩けない。そう頭が観念し始めたら足は動かない。
電話でタクシーは呼べない。この村に泊まるところはなさそう。
そうしたら、夫が、「わかった。今から俺が5KM先の村まで行って、タクシーを呼んで一緒にここまでくる。その間ここで待っていなさい。」と。
そうして夫は先を進んでいった。5KM先、山道、夫がここまで戻ってくるまでしばらく、バルのテラス席で待つことになった。
それから、タクシーと共に夫はやってきて、私はタクシーへ。
夫は一緒には乗らず、再び同じ道を歩くという!!!私には理解不可能だったけれど、彼の中では、急いで村まで行ったのは巡礼には入らないので、巡礼として歩き直す必要があったそうだ。。。(今思い出しても意味不明。緊急自体なんだけどなあ。)
私はタクシーで村の病院の救急へ行き、そこでお尻に注射をしてもらった。
明日の朝、まだ良くなっていなかったら、またここにいらっしゃいと言われた。
そして、この薬で眠くなるだろうから、迎えの人が来るまで待合室で寝てらっしゃいと、とてもやさしく接してもらった。
実はこの病院で驚いたこともあった。
というのも、病院の緊急受け付けで、私服で立ち話をしていた近所の人が、(そうとしか見えなかった)「私の甥は日本人と結婚をしていて、名前が○○○○っていうの、あなたと同じ町に住んでるのね。」と。
その、○○○〇さんは、なんと私と同じ職場の人だった!
受付を済ませて、診療室に入って、しばらく待っていたら、先ほどの近所の人風の女性が今度は白衣を来て入室してきた。
その日の緊急担当医だったのだ。
その方に診察をしてもらって、看護師さんに注射をしてもらい、診察は終わりだった。
それにしても、奇遇というか。
北スペインの小さな村の、救急病院でこんな出会いがあるとは!
続きはまた書きます!
放射線治療用の保湿クリームも2個目を購入。
こんなに贅沢に保湿しているのは人生で初めて。(いつもは無頓着だからね。)
同じメーカーでアロエ果汁96%というジェルもあったので合わせて購入。
前に買った時はこの商品に気が付かなかったのだけど、ジェルの商品説明に
放射線治療のケアに良しとあった。ちょっと遅い気もするけど使い始めました。
冷たくして使うととても心地いい。(ちょっと臭いけど。)