昨日、放射線治療の終了がなんだか寂しいと書いたけど、
寂しいついでにこれも思い出した。
サンティアゴ巡礼が終わる前もとても寂しくなったってこと。
ご存知の方も多いと思うけれど、
サンティアゴ・デ・コンポステーラはスペイン北部にある都市で、キリスト教の聖地でもあって、この地を目指して、徒歩、自転車、馬、車などで巡礼をする。
巡礼道はいくつか(いくつも?)あって、通る道が違っても、最後はサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着する。一応ここが巡礼の最終地。(その後、フィニステーレというところに続けて行くのもあるけど。)
そして出発地点も、あってないようなもの。
徒歩だと100Km以上歩くと、巡礼証明をもらうこともできるので、100km手前地点付近から歩く人々が多い。(自転車だと証明をもらうにはもっとキロ数が必要になる。)
一番有名で、一般的な道は、「フランス人の道」と呼ばれるところで、この途中のサリアという町から巡礼を始める人が多い。ここからだと約111Kmらしい。
私は、運動も好きではなかったし、歩くのも好きではなかった。
反対に、夫はバスや地下鉄に乗るよりも歩いた方が楽しいし、早いと思ってるタイプ。
で、彼は、もう、うんと若かった頃に、この巡礼を故郷の友達と行っていた。
その思い出がすばらしかったらしく、私とも一緒に歩きたい、というのだ。
しかも何年もかけて、そう言い続けていた。
しかもその巡礼は新婚旅行にすると!!!(ちなみに夫はカトリック洗礼を慣習のままに受けているけど、全然信仰はない。そういうスペイン人は多いと思う。彼の場合巡礼は信仰には基づかないそうだ。)
先日のブログにも書いたのだけど、私たちの入籍には何年かかかってしまったので、
巡礼新婚旅行!!も延期になっていた。
とは言え、新婚旅行が徒歩巡礼?それは、ちょっとなあ。。。でも彼のロマンであれば叶えてあげるべき?と千々悩む私だったのでした。
ちょうど結婚も延期になってたので、じゃあ、この辺で一度行ってみるか、としぶしぶ重い腰を上げて、巡礼の旅に出かけたのでした。
たぶん12年くらい前のこと。
とりあえずレオンのどこかから歩こうと決めて、レオン市から夜までにローカルバスで到着できる村に行き、その翌朝から歩くことになりました。
最初はしぶしぶ、いやいや歩いていた私。
サンティアゴまでは180㎞地点付近。
そんな距離歩けるわけない。。。できない。。。と。
初日から左ひざも痛むし(スペインで急激に太った時から痛むことが多くなった。)、暑いし。お腹も空くばかりだし。のども乾く。
一緒に行きたいと言っていた彼の方は、歩くのも早いから、どんどん前を行って
結果、私はほぼ一人で歩いていた。(彼は途中でビール飲んで待ってたりしてた。)
そんな数日があって。
それでも引き返すこともやめることもできずに、毎日歩いた私。
途中、アクシデント(私だけ😢)もあったりで、本当にたどり着けないと思っていた。
彼は、変に哲学的なので、「ゴールに到着が巡礼ではない。歩いて自分と対峙するのが巡礼。今回途中で終わっても問題はない。また来ればいいだけのこと。」と達観したことを言っていたけど。
私としては、始めたら終らせないとでしょ!!!と力が入ってしまって、やめるには悔しすぎ、と思っていた。
おまけに自分と対峙って、私の場合は、空腹とのどの渇き、疲労、リュックの重さと対峙しているだけだったような気もしてた。自分の内面なんて、つらい徒歩で見えないよって思っていた。
ところがである。
ここで書くのは長くなので、また後日書きたいなと思うけど、ある日、突然自分の心境の変化があった。
そして、道中、一時一緒に歩いたり、宿で出会う人々との刺激もあって、急に巡礼の旅が楽しくなったのだった。
で、とうとう、明朝ゴールという日の夕方、一緒に話をしていた人に、
「明日着いちゃうね。明日のゴールは本当に寂しい。ずっと歩き続けたい。」と私は伝えたのだ。
この時の状況をよく覚えている。
本当に、心からそう思ってた。
ずっとずっと歩きたい、メイクもしない、毎日毎日同じ洋服、暑いし、背中のリュックは重いけど。でも、このままでいいから歩きたいって思ってた。
翌日無事にゴールして、(アクシデントもあったので実際に歩いたのは160Kmほどになったと思う。)
巡礼証明も発行してもらえた。
大聖堂での到着者の為のミサにも参列した。そこで、日本からの巡礼者○人とも読み上げてもらって感動もした。(その数年前に巡礼をした友人は、ミサで名前を呼んでもらえた~と言っていたけど、私の時は、スペイン人は出身地、外国籍の人は国籍の読み上げだった。今はどうなのかな?)
ゴールは嬉しいものだけど。
同時に、ある種の寂寥感も生み出すものだなあ、と、明日放射線治療も終わる今思っている。
放射線治療もあと1回!
懐かしの巡礼証明書と巡礼手帳
やっぱり12年前の2012年でした。
この後、2016年にも数日だけだけど、夫と歩いている、でもフランス人の道ではなくて、
北の道(アストゥリアス地方の少しを歩いた。)右手に海、左手には緑の地に牛が草を食み、そのもっと左奥には山々が広がる、とてもとても美しい風景だった。
夫と言えば、私とは別に友人とも数回歩いている。
私は、いつか、ポルトガルの道を歩きたいなと思ってはいるけれど。いつになるかなあ。やることはたくさんある。元気でいないといけないのだ。