伊東甲子太郎と御陵衛士(高台寺党)のその後


前回ご説明したのは 
第二次長州討伐から 伊東甲子太郎が
独断で行動を 起こしはじめ 
御陵衛士を 結成し 新選組を 離脱した
ところまでです

さて こののち 
伊東甲子太郎と御陵衛士は どのような
運命を たどるのでしょうか?


【尊王倒幕派から 信用されない 御陵衛士】

新選組を脱退した 伊東甲子太郎は
尊王倒幕運動に 加わろうとしますが

元新選組幹部で ある 伊東甲子太郎のことを
尊王倒幕派の人たちは 警戒して信用しませんでした

そして 伊東甲子太郎が 何も出来ないままに
大政奉還(たいせいほうかん)が行われ
幕府は消滅し始めます

尊王倒幕派にとっては 大成果でしたが
伊東甲子太郎にとっては 何もしないままに
時代が 変わりつつあることに
焦りを募らせていきます

この状況を挽回するために
伊東甲子太郎が 計画したのが
近藤勇を初めとする 新選組幹部の暗殺でした

強風の日を選んで 新選組屯所を 焼き討ちにし
その混乱の中幹部らを 討ち取り

伊東甲子太郎が 新選組局長に就任し
組織ごと 尊王倒幕集団に 
変えてしまおうと いうものでした

成功すれば 尊王倒幕派の人たちも
伊東を 見る目が変わって
信用を得られ 尊王倒幕運動に関われると
思ったからでした


この 伊東の計画が 新選組に洩れます
どうして洩れたのでしょうか??


そうです スパイとして 御陵衛士に
侵入していた 斎藤一が この暗殺計画を知り
御陵衛士を逃げ出して
新選組にこの内容を 伝えたのです


伊東たちは 斎藤が 逃げたことを
怪しみませんでした

斎藤は逃げるときに 御陵衛士の資金150両を
持ち逃げしており

伊藤たちは 斎藤が 女に現を抜かして
金を持って逃げたのだろうと
そう思って 斎藤を 疑ってなかったのですね
「またか」と言う感じだったようです

近藤勇や土方歳三も
伊東から 御陵衛士を作ると言われたときに
「斎藤をお連れください」と 言っています

私は思います

この斎藤一のことを 
女好きな 男だったのでは?と

このエピソードから 史実においても
そんな話が 出ているのですが

私は 斎藤は スパイとして御陵衛士に
入隊するときから いざというときに
どうやって 逃げるか 考えた上での
ことだったと思います

それで 女好きで金を貢いでいるような
イメージを 御陵衛士に 
焼き付けていたのでは ないでしょうか?

実際に そんな芝居をも
したのかも しれません


さて この新選組幹部 暗殺計画の報告を
斎藤から受けた 土方は

「御陵衛士屯所を大砲で撃ち 
 夜襲をかけ一気に葬ってしまおう」と

言い出しましたが

既に幕臣となっていた近藤は
ことが大きくなりすぎると これをなだめました


実は これから 5ヶ月ほど前
新撰組総員に 幕臣取り立ての内示がありました

局長の近藤勇は「見廻組与頭格」
これは将軍に お目見えすることができる格式です

これにより近藤勇は 直参旗本となりました
幼い頃から夢見ていた 立身出世が
この幕臣取り立てで かなったのでした

副長の土方歳三は
将軍にお目見えできないものの「見廻組肝煎格」
沖田ら副長助勤は「見廻組格」となりました

新撰組はこれを受けることを決めました
新撰組にはこれまで 幕臣取り立てについて打診されながら
隊内の大半を占める 尊王攘夷思想者を考慮し
受け入れなかった 過去がありましたが
これにより 尊王攘夷集団新撰組 は自他とも認める
完全な 佐幕派の一員となりました


話を戻します

近藤たちは 斎藤に名前を変えるように言い
しばらく 別の処で匿い
御陵衛士に 捕まらないように 配慮し

伊東甲子太郎の 暗殺計画を考えます

この斉藤一 のちに新選組の局長にまで
なります

そんな人が 女に貢ぐ為だけに
御陵衛士のお金を持って逃げたり しないと思います
やはり すべて 御陵衛士を 安心させる為の
策略だと 私は思います


新撰組は ことを大きくせずに
伊東甲子太郎を暗殺する作戦を考えます

これまで 表面上はかたくなに
新撰組との友好関係を保ってきた 御陵衛士は 
以前から
新撰組に 活動資金の用立てを申し入れていました

近藤は これを利用しました

暗殺を決行したこの日
活動資金の件を含めて
国事について 意見を交換したいと申し入れ
近藤の妾邸に 伊東を招くことにしました

夕方になり伊東は
たった一人の従者を伴っただけで現れました

これは
近藤暗殺計画が 新撰組に漏れたことを
知らない証拠であり
斎藤のスパイ作戦の成功を 意味するものでありました


慶応3年(1867年)11月18日

伊東は近藤に呼ばれ 妾宅にて接待を受けます

酔わされた伊東は 
帰り道である 油小路の本光寺門前にて

新選組隊士の
大石鍬次郎(おおいしくわじろう)
宮川信吉(みやがわのぶきち)
横倉甚五郎(よこくらじんごろう)
岸島芳太郎(きしじま よしたろう)ら
数名により暗殺されました

伊東甲子太郎にとどめを刺したのは
大石鍬次郎(おおいしくわじろう)と
されています

伊東甲子太郎(享年33)

伊東の遺体は路上に放置され 
御陵衛士を誘い出す 手段として使われます

後に 伊東を収容に来た 御陵衛士は 
待ち伏せていた新選組と戦闘となり
藤堂平助らが戦死しています

これを『油小路事件』といいます


こののち 生き残った この御陵衛士の残党が 
近藤勇を 鉄砲で撃ち
近藤勇の暗殺を 企てることに なってゆくのです
 

【個人的見解】

どのドラマや 大河や 小説をみても
この伊東甲子太郎は 悪者扱いで登場し
暗殺されて行きます

それを 新選組に肩を持つ 一方的な
考えだと 批判する方もおられます

私は思います
個人的に 私は 伊東甲子太郎と 藤堂平助ら側に
問題が あったと思います

入隊するときに 藤堂平助は 新選組のことを
ちゃんと いいこと 悪いこと 話したのでしょうか?

尊皇攘夷思想派だという いいことしか
言ってないのではないでしょうか?

話を聞いて 納得して入隊したと 言われていますが

新選組が 「会津藩預かり」として
幕府の元 働いていた事実を 
伊東甲子太郎が 知らない訳が ありません

入隊して 近藤勇や土方歳三が 幕府よりと知り
反発をもったと 書かれているものが
多いのですが

私は 伊東甲子太郎は 最初から わかっていて
新選組を 自分の いいように 利用しようとし
あるいは 新選組を 乗っ取ろうとして
入隊したのでは ないかと思います

百姓あがりの者が幹部であり
よそ者の集まりの新選組を
伊東甲子太郎は なめてかかっていたのだと
私は思います

結果 真っ直ぐに 職務を 行っている
近藤勇や 土方歳三を 倒幕派に
丸め込むことが できず
画策をはじめて いったのでは ないかと思います

こうして 新選組が 内部闘争に
追われていた間に

大きく歴史は動き
幕府は 力尽きていくのです・・・・


長い説明に お付き合いくださり
ありがとうございました


明日からは また お話しに戻ります・・・・