自分の態度、接し方、発言は、
そのまま相手から返される。
自分がとげとげしい態度をとれば、
相手もとげとげしくなってくる。
自分が虚勢を張れば、
相手も虚勢を張ってくる。
自分が相手を敵対視すれば、
相手も自分を敵対視する。
ことによっては、
出会う者、全てを敵にすることになってしまう。
自分が相手を嫌えば、
ほとんどが、相手も自分の事が嫌いだ。
自分が相手に殺気を持てば、
相手も自分に対して殺気を持ってくる。
このほとんどは、動物の防衛本能なのかもしれない。

でも、防衛本能だけではなく、
自分の心を裸にして、相手にさらけ出せば、
相手も徐々に自分に対して、心をさらけ出してくれる。

自分の態度、接し方、発言は、
他人にストレートに影響を与える。
人は複雑のようで、とても単純だと、
毎回思わされる。

何よりも、笑顔は相手を安心させる、
最強のコミュニケーションツールだ。

自分自身を見つめる手段として、
相手の態度を感じる事も1つの手なのかもしれない。

自分はこの事を常に大事にしていたが、
恐怖や不安に負けている時は、何も出来ていなかった...
人は恐怖や不安に負けている時こそ、
とげとげしくなり、虚勢を張り、敵対視をし、人を嫌い、
殺気までも持つ様になる。
それは強いとはいえない。

恐怖や不安を徐々に消し去る事が出来てきている自分は、
今度は、恐怖や不安を抱いている人を解放できるような、
相手を暖かく包み込み、安心させられる力を、
これから更につけていきたい。
前回の"とらわれてはいけない"の日記の続きだが、
『見まいとすれば心はますますとらわれる』とよく聞く。
自分の心が求めていることに関して、
見まいとすると、
心はますますそれにとらわれてしまう心理なのだ。
その場合、全部ひっくるめて自分なんだ、
それでいいんだと、
ありのままの自分を認める。
そしたらまた、自分にとっての希望を見つめることが出来る。

そう、ありのままの自分を認める。
そこからまた、自分はしっかり歩き始めることが出来る。
またまた、
以前、大好きな本に、
『一枚の葉にとらわれては、
 木は見えん。
 一本の樹にとらわれては、
 森は見えん。
 どこにも心を留めずに、
 見るともなく、
 全体を見る。
 それがどうやら、"見る"ということだ。』
と書かれていたことを思い出す。

去年、自分はとても幸せだったのに、
なぜ、あれほど、
過去にしがらみに負けてしまっていたのだろう。
と、自分の心の中をしっかり探った。
自分自身と見つめる力をもっと養うために。

辛い状況の中で、自分自身としっかり見つめる力を得れると、
どんな困難な問題でも、
問題を解決出来るのは簡単になると聞いた。
辛い状況の中で、自分を見つめることの方が、
人生でぶつかる問題よりも、
はるかに難しいことらしい...
言われてみれば、実にその通りだ。

辛い状況の中で、
自分自身をしっかり見つめるということは、
とても勇気がいるし、とても辛いことでもある。
だけれども、その辛い状況から抜け出した時、
強い心が生じるという。
本当にそうだ。
強い心が生まれてきているし、
大切なことを次々に改めて気づくことが出来た。

自分はとても幸せだったのに、
過去のしがらみに負けてしまっていたのだ。
それはオレが、一枚の葉か、
もしくは、一本の樹しか、見れていなかったのだ。
全体である森、言わば幸せを、
しっかり見れていなかったからだ。
全体を見れていなかった。
どうやら、"見る"ということを出来ていなかった...

心の病に陥ると、
恐怖と絶望が覆い、
何点かのことしか見れなくなると勉強した。
まさにその通りだった。

人に対してもそうだった。
外見を見て、
こういう人だと決めつけてしまったこともあった。
少し、その人と話して、
この人はこういう人だと決めつけてしまっていた。
もちろん、人間関係、合う合わないはあると思うが、
その一面しか見えてなくて、決めつけてしまうのは、
とても勿体ないことだ。

何か1つにとらわれてはいけない。
物事に対しても全体を見て、感じよう。
人に対しても全体を見てあげて、感じよう。
一枚の葉にとらわれず、
一本の樹にとらわれず、
全体の森を見る。
その時のその時の幸せであることを、
これからは、必ずしっかり見ていきたい。
そうでなければ、また後悔をしてしまうから...
もう後悔はしたくない。
人は幸せだった時の思い出や今ある幸福感が、
自分の中のエネルギーに変えていっているのではないかと、
最近思えた。
何かスピリチュアル的でもある考えかもしれないが、
この考えが気づけてから、
自分のまわりのアクティブな人達のエネルギーは、
一体どこから来ているのか、
自分にとったら、ずっととても不思議だったのが、
今なら納得が出来る。

自分の過去の幸せな思い出を見つける事は、
とても難しいと思っていたが、
そんな事はなかった。
いつでも、自分がとても辛い時に、
その都度に1人でも自分の味方になってくれた友がいたという事。
友が自分に、たくさんの友情を示してくれたという事。
母が幼少の頃の自分を抱いてくれている写真を見た事があるという事。
母と一緒に、カートを押して買い物をした記憶が少しあるという事。
愛している人がたくさんいろいろな事を教えてくれたという事。
愛している人がいつも自分を守ってくれていたという事。
愛している人がたくさん自分を愛してくれたという事。
この幸福感をしっかり感じて、
自分の中のエネルギーに変えていける。

そして、どんな事に対しても希望を持つ事は、
生きる為に必要だと、改めて思えた。
希望もエネルギーに変えてくれる。増してくれる。

今まで、幸福感も感じれず、希望も作れず、
過去の苦痛と恐怖と怒りと絶望の中、
我武者らに、もがくようによく生きてこれたなと思ってしまう。
今までは、完全に闇に負けてしまっていた。

そんなオレだったからこそ、
これからは誰よりも幸せになれるはずだ!!
と自分に言い聞かせていく。
幸いにも、今オレは生き方を変える選択が目の前にある。
幸福感や希望をしっかり持って生きよう!!
以前、大好きな本に、
『闇を知らぬ者に、光もまた無い。
 闇を抱えて生きろ。
 やがて光も見えるぞ。』
という言葉に20歳の頃、勇気を貰えて、
それからは、今だ見る事が出来なかった光を、未来を見るために、
闇を抱えながら、これからは違うんだという希望を胸に、
我武者らになって突き進んだ。
今までの人生を取り戻そうと突き進んだ。
今まで、どん底に這いつくばる経験をしたから、
当時、闇を抱える事になってしまったが、
人の気持ちが痛い程わかり、
どんな人にも優しく接していくことが出来た。
が、闇や恐怖を抱えていくというのは、
そうそう容易い事ではなかった。
闇や恐怖が次々に自分の心を蝕んでいく。
その後、次第に刺々しい人間になってしまった。
完全に自分の闇に、自分に負けていた...

闇を抱えて生きるとは、
ただ抱えていればいいだけの代物ではなかった。
闇の恐怖に向き合っても、その恐怖に呑まれず、
目を逸らさず、負けないで、
自分は大丈夫!!と、自信もって生きる事だった。

我武者らに進む事が必要だったのではなく、
一歩一歩自分の心と1つ1つ向き合って行く事が必要だった。
やはり近道をしようとすると、それが一番の遠回りなのかもしれない。
一番の遠回りだと思っていた事が、一番の近道なのかもしれない。
焦ってはいけない。
いや、むしろ、遠回り、近道など、存在すらしないのかもしれない。
誰かの基準で人生があるのではない、人各々の人生があるだけだ。
今までの過去を否定して、取り戻さなくてもいい。
もう充分とその過去の経験が血と肉となり、
自分を活かしてくれているのは間違いない。

ただ闇を抱えて生きるのではなく、
闇を抱えて生きるということは、
恐怖、怒り、悲しみに負けないための、
逆境を跳ね返す力を得るための行為なのだと、
今のオレなら、そう思えている。そして、オレはやれる。
これらに負けなければ、
自分の生きる意思が誰よりももっと強くなる!!
自分はどん底の闇を知っているからこそ、
自分は素晴らしい人生や未来を築けていけると、今は信じられる。
自分の人生を1つ1つ進んでいこう。
もう光はそこまで見えてきている。
自分はこういう人間なのだ、
自分はこうするしかなかった人間なのだ、
自分は人からこう言われているから、
そういう人間なのだ。
と思った時に、自分はどんな顔をしているのだろう。
その時の自分の顔を鏡で見てみる。

自分は笑顔になっている?
自分はいい目をしている?
自分は真顔になっている?
そうではなくて、
酷く暗い顔になっている。
酷く悲しい顔になっている。
酷く睨みつけている顔になっている。
そんな顔になっているのなら、
自分はそういう人間ではないのだ。
自分はそういう人間になっている事を望んでいないのだ。

自分はこうなのだと自信もって鏡の前に立ってみよう。
その時にいい顔になっていれば、それが本来の自分なのだ。
笑顔になれる自分を見つけていこう。
今日、ハリー•ポッターと秘密の部屋を観た。
この映画で好きな場面は、
ダンブルドア校長がハリーに、
『自分が本当に何者かを示すのは、
 持っている能力ではなく、
 自分がどのような選択をするかということなんじゃよ。』
という場面。
自分の大切な人も、この場面で、
どのように選択をするかの大切さを感じ取っていた。

物語の史上最強最悪の闇の魔法使いヴォルデモードと、
同じような不運な境遇、環境で育ち、
才知や行動の傾向などが類似しており、
更にヴォルデモードの力の一部も備わっている、
物語の主人公ハリー。
ハリーもヴォルデモードのように歩んで、
闇に呑まれてしまう闇の魔法使いになるのかは、
上記のダンブルドアの言葉のように、
ハリーの選択によって決まる事になる。

オレは以前から、
親から虐待を受けた子は、
親になったら、自分の子を虐待をしてしまう事や、
逆境の中で育った子は、その傷や、
親の愛情がなく、何かを欠落したまま成長していき、
今までの境遇や環境で、
大人になっても苦労の多い境遇に陥ってしまうなどなど、
そう感じていた。
人の人生は、運で作用されることがほとんどだと思っている。
自分は今まで生きてこれたことで、
本当になんて運がいい人間なんだと思える事がほとんどだ。
いいや、自分はたった独りの力で努力をして、
勝ち取ったんだと思いたい人は思うべきだが、
そのような人は本来の自分自身の力などをわかっていないと言える。
その環境で生まれ、そのまわりの人に育ててもらい、
そのまわりの人にたくさん助けられ、その境遇で生きて、
今のあなたがいる。
例え、逆境で生き、人生大逆転になれた人も、
そのきっかけを与えて貰えた環境や助けられた人がいなければ、
自分1人で全てやれた事なのか?
そうではない。
自分の環境やまわりにいた助けてもらった人々に、
大いに感謝するべきである。

ハリー•ポッターの話しで面白いのは、
ハリーの同級生ネビル•ロングボトムという少年がいる。
ネビルは忘れん坊な上、何をやっても失敗ばかりし、
自分に自信が全くない少年。
ネビルの両親は、
ネビルが1歳の時に、
両親は死喰い人から拷問を受けて心神喪失状態になったため、
以降、両親と別れて育っている。
運命により、ハリーに傷という形で額に"印"をつけられ、
ヴォルデモードを打ち破る力を持つ者になるわけだが、
実はもう1人、この運命を背負うかもしれなかった少年がいた。
それがネビルだ。
原作者は仮にネビルが選ばれていたとしても、
ヴォルデモードを倒していただろうと語っている。
そんなネビルは、何をやっても失敗が多いのは、
自信のなさと心が萎縮している事が反映しており、
精神的な問題が大きかったが、
その後、自ら自信をつけ、
後半はダンブルドア軍団の中心的な役割を果たすようになる。

この話しはフィクションだが、
人生とは、このちょっとした運命の分かれ道で、
その人の人生で背負うものが変わってくると思う。
それは本人が選べられるものではない。
がしかし、
このハリーとネビルは、闇に染まるかの選択を強いられるが、
彼らは闇と戦う事を選択する。
自分達がその後、どう生きていくのかは、
誰しもが自分で選択をする事が出来る。

例え、ハリーは闇の魔法使いになる資質を持っていたとしても、
ハリーが闇の魔法使いにならなかったのと同じ様に、
自分の資質がどうあれ、
自分の人生の生き方の選択はいくらでもあるのだ。

逆境の中で育ち、何かを欠落したまま成長してしまい、
大人になっても苦労の多い境遇に陥ってしまうのが現実だったが、
何かを欠落しているのか、していないのかではなく、
自分がどんな資質があるのか、ないのかではなく、
自分がどんな能力があるのか、ないのかではなく、
自分がどう生きていくのか選択する事が大切と、
上記にある言葉で、
ダンブルドア校長は言いたかったのだと思った。

"自分の性質 • 性格 • 資質 • 能力 = 自分の人生である"
という勘違いをしがちになってしまうが、
そんな事ではないと気づく事が出来た。
自分がどのようにして生きたいのかを決める事が、
一番大切な事なんだ。

あるブログの記事に、
ハリー•ポッターは
『何を選択するかで、自分の在り方が最終的に決まる。』
というのが、シリーズを通して一貫したテーマと書かれていた。
別のブログの記事では、
ハリー•ポッターの原作者は、
『人には逆境を跳ね返し、幸福になる選択をする力がある。』
と信じていると記してあった。
オレもこの言葉を信じる。
オレは、今でも何度も何度も闇に呑み込まれそうになるが、
これからは何度も何度も振り払う事が出来る。
自分も自分のまわりの人も幸せにするためだ。
オレはこの原作者の言葉を信じて、
自分がどのように生きるのかの選択を、
しっかり決める事が出来た。
今までの逆境があったからこそ、
自分は誰よりも幸福を得られる未来があると、
そういう選択し、これからの人生を生きていく。
何度も何度も植え付けられた恐怖は、
また再度起こるかもしれない恐怖へと変わり、
その恐怖がまた再度起こる原因を呼び起こす。
そして、また何度も何度も同じ恐怖を植え付け繰り返す。
永遠と恐怖から逃れられず、恐怖は次々に増幅をしていくだけ。
そして、また再度起こるかもしれない恐怖に、
怯えていかなければならない。
今まで、少しの光も見れなかった人は、通常の人よりも恐怖は絶望だ。

だけれども、しっかり今までの恐怖を見てみよう。
果たして、全てが全く同じ状況が本当に起きていたのか?
全てが全く同じ状況の事が起こりえるのか?
むしろ、この世のは、
全く同じ状況を持続する事程、とてつもなく難しいのだ。
そして、今まで何度も味わった、増幅し続けた恐怖が、
同じ状況と思わさすのだ。
また同じ状況になってしまったと思わさせられるのだ。

恐怖を打破する事は、己の人生を信じるしかない。
信じる為に自信をつけるしかない。
今立っている場所からちょっとずつ前へ進むしかない。
襲いくる恐怖の源と植え付けられた恐怖の波に、
身を縮こまるだけでは、いつか恐怖に飲まれ食い殺される。

今まで恐怖に怯えていたとしても、
その恐怖を今までずっと耐えていた事は事実。
あなたは恐怖を乗り越えられる器を持っている。
今だ光をも見れた事がない者でも、
目を瞑りながら一歩二歩だけでも進んでほしい。
全ては変わらなくとも、何か1つでも変わるはずだ。

正直今だ、子供自身がこの状況を打破する方法は、
いくら考えても見つかれない...
誰かが、大人が打破するしか救えない...

恐怖の源である、全く同じ状況になる事は必ず起こりえない。
恐怖にまた同じ事が起きたと言われても、もう耳をかさない。
時間は必要だが、自分を信じて前を進んでみよう。
今日、LOSTという、アメリカのドラマを観た。
以前からこのシリーズを観ているのだが、
登場人物の一人一人の過去の心情と、
今現在の心境をリンクする構成にもなっている為、
自分は更に登場人物に対して共感をしてしまう。

最近、このシリーズのドラマは複雑な時間軸が設定されており、
過去、現在、未来と行き来する事になり、
観てる側は混乱を招いていく...
SFなのか、なんといっていいジャンルなのだか、
わからなく、シーズン5まで観ているため、
そろそろ話しもくどくなってきたなと思いつつも、
ついつい引き込まれていってしまうドラマなのだが、
今日観た話し、"父の存在"は、思わず涙がほろっときた...

その登場人物の1人、マイルズは今まで父親の存在を全く知らなく、
もちろん顔すらも知らない。
マイルズは、自分の母に父の事を訪ねても、
何も教えようとはしない。
マイルズの母は、おまえの父はもう死んでいる。
おまえの父親は私達を捨てたのだと言うだけ。

オレも父の顔すら見た事もなければ、何も知らない。
自分が1歳か2歳の時に家を出ていっている。
母はオレが子供の頃、おまえを捨てて出ていったと言われていた。
今、自分の父が亡くなっているのか、生きているのかはわからないが、
たぶん、恐らく生きていると思う。

以前、オレは父を1度、本格的に自分1人で探した事があった。
父の両親である、自分にとったら、
本来祖父母にあたるお墓を探し求めた。
父方の祖母は、幼いオレの写真をいつまでも懐に入れて、
持ち歩いてくれていたそうだ。
何かしらこのお寺で、
自分の本当の父の親戚を見つけられるだろうと、
お寺の住職に頼んで、調べてもらい、
父の兄にあたる伯父の住所と電話番号を教えてもらえた。
何度も何度も伯父に電話をしたが、連絡がつかない。
伯父が住んでいたアパートに行っても誰もいない。
それから月日が経ち、お墓に行ってみると、
お墓に伯父の名前が彫られていた。
タイミング悪く、伯父は天国へ行ってしまっていた。
それからというものの、
父を捜すのを止めてしまっていた。
以前に聞いた話し、今はどうなっているのかは知らないが、
父は既に結婚しており、娘を2人いるとの事。
今更、新しい家庭を持っている父に、お父さんと呼んで、
名乗り出る事は、とてつもなく恐い...
今まで、何十年間、父からの連絡は一切ない。
父は自分から名乗り出ようとは一切思っていないだろう。
オレが2歳の時、たまたま母方の祖母に連れられて、
散歩している時に、自分の父と再会したらしいが、
オレの顔をまともに見ないで逃げるように去っていってしまったらしい。
オレの事を全く関心のない、
オレを利用する事しかない、あの母だったからこそ、
出ていってしまった父だけど、父にだけは、
年に一度だけでもいいから、かまってもらいたかった。
幼い頃から、いつかオレに会いに来てくれるのではないかと、
願っていたが、今でも来る事は一度もなかった。
そんな父の事を出来るだけ思い出さないようにしてきていた。

マイルズの話しに戻そう。
(ちなみにマイルズは超脇役です。LOL)
マイルズは死者と会話が出来る能力を持っており、
以前は、死者と会話出来る霊媒師として稼いでいた。
そんなある日、恐らく仕事は引退しているグレイという老男性に、
依頼される。
その内容は、
亡くなった息子が、私が愛していたと言う事を知っていたのか、
を息子に聞いて欲しいとの事。
恐らくグレイは生前の息子に全くの愛情を示していなく、
その事を息子を亡くしてから、とても気にしていると思われる。
マイルズの能力は、本人の遺体がないと、
死者と会話する事が出来ない。
マイルズは息子の遺体はどうしたのかとグレイに聞くと、
フットボールをしていた息子の遺体は火葬をして、
グランドに灰をまいたと言われた。
彼は遺体がないと、彼と会話が出来ないとグレイに言うが、
グレイから必死に頼まれると、
彼は会話が出来ないとわかっていながら、わかったといい。
目をキョロキョロ泳がしながら、追加料金をもらう。
(マイルズは本物の能力者なのに、度々追加料金をもらい、
 適当に依頼を済ませる事が今までも何度もあった...)
この依頼も、霊と交信しているような仕草をして、
亡くなった息子は、あなたが愛していることはずっと知っていたと、
グレイに適当な事を言って、依頼を済ませた。

がある日、
マイルズは、あるでかい依頼を受ける為、
アメリカから出なくてはいけなくなり、
なぜかまた、依頼を済ましたグレイの家に訪問しにくる。
なぜかあの時にもらった依頼料を全てグレイに返す為だ。
グレイにお金を返し、
マイルズは、私はあなたに嘘をついていたと告白する。
あなたの息子さんと会話は出来ていなかったのだと...
そしてグレイは、
『なぜ言うんだね、信じさせてほしかった...』と言う。
マイルズは、
『息子さんに悪い...
 愛していると伝えたきゃ、生前に言うべきなんだ。』
と言って去っていく。
マイルズは自分自身とグレイの息子と重ね合わしたのだろうか...

そんなマイルズはその後、そのでかい依頼を受けてしまった為、
登場人物達と共にある事で過去に来てしまった。
そこで、その過去で、マイルズは生前のマイルズの父と出会う。
生前の父と出会えたのに、マイルズは自分の父に何も興味を示さない。
一緒に過去に来た仲間のハーリーが、
彼と父がもっと接触出来るように、
おせっかいな事をするのだが、マイルズは煙たくする。
そこでハーリーは言う、
オレも親父と不仲だよと。
実はハーリーも子供の頃に父が蒸発してしまい、
数十年後、父と再会する事になる。
でもハーリーは、父に対して、やり直すチャンスを与えていた。
そして、自分が過去に来てしまった事で、
もう現在に戻れないかもしれない。
また父と離ればなれになった事で、自分も寂しいし、
親父も寂しいと思っていると言う。
でもマイルズは、
オレは赤ん坊の時から父を知らない、
だから親父の事は全く知らないし、知りたくもない、
やり直すだと?!とハーリーに言う。
そこでハーリーは、
スターウォーズに出てくるルークの話しをする。
(オレはスターウォーズを観た事がないから、わからないが...)
彼はダースベイダーが父だと知るのだが、
彼は話し合わず、戦って手を切り落とされる。
最後には和解するが、その代償は大きかった。
全部避けられたんだ、2人が話し合えば...
とマイルズに言って、ハーリーは去っていく。

マイルズは生前の父親の家にとぼとぼ歩いて向かう。
外から見える生前の父親の家の窓の中をこっそり見たのは、
そこでマイルズが見たのは、
とても可愛がりながら、
絵本を幼いマイルズに読んであげている父親の姿だった。
マイルズは目に涙を溜めながら、それをただずっと眺めていた。
それでこの話しは終わった。

オレの父は1度も接触もなければ、1度も連絡もしてこなかった。
オレの存在など、もうとっくに忘れている。
これからもオレに会いたいとも思わないだろう。
と実際はわからないが、今までずっとそう思っていた。
けど、このドラマのこの話しを観て、
もしかしたら、オレが生まれてきた時、
飛び跳ねるぐらいに喜んでくれたのではないか?!
優しく愛情たっぷりに抱いてくれてたのではないか?!
一緒に住んでいた時は、
お互いの将来を考えていてくれたのではないか?!
それを思っただけで涙が出てしまった。
もしかしたら、今もオレの事を気にかけてくれているのかも...
もしかしたら、会いたいと思ってくれているのに、
いろいろと踏ん切りがつかなくて、オレに会えないのかも...
真実がわかる事はできないけれど、
もしかしたら、そうなのかもしれない...
こう思えてきたら、また少し気持ちが楽になれた。

自分の心の整理が出来たら、
また再度、父を捜してみようと思う。
『愛していると伝えたきゃ、生前に言うべきなんだ。』
と言う、マイルズの言葉がずっと耳から離れない。
今までの人生も何か向こうからきた経験は1度もない。
全て、自分から行かなければ何も手に入らなかった。
父ももういい歳だ。
会いたいと思うなら、会える時に行かなければいけない。
どんな結末になろうが、
やはり会いに行くべきだと思えた。
結末がどちらにしろ、父に会えたら、
また自分の人生が豊かになる事は確かだろう。
気持ちを伝えよう。
"許す"という言葉は簡単に言えるが、
人が人を許すとは、人間の最大の課題ではないかと言えるぐらい、
とても難しい事だ。
これが全ての人間が出来れば、
今、世界で起きている全ての難問を解決出来るわけではないが、
いくつものの悲しい出来事を解決出来ると自分は信じている。
難しいだけに、人を許すという事は、
とても大事な事であり、とても人生の中で必要な事でもある。
悲しい歴史の連鎖さえ断つ事が出来る。
それは、誰もが歳をとっていけば、
否応無しに、人を許す事が出来なくて、
すごい後悔に陥ってしまった事、
更に悲しい思いをしてしまった事を思い知らされているだろう。

人が人を許すという事は、そう簡単なものではない事を、
オレはよくわかっている。
なぜなら、オレは母を長年許す事が出来なかったからだ。
いや、自分はいまだにちゃんと母を許せていなかった事を、
ある記事を読んで気づかされた。

大切な人から、
愛されない子供達に手を差し伸べようという、
MJ(Michael Jackson)が、
社会に広めようと設立した"Heal The Kids"の核となる、
Oxford Universityで講演した、
MJのスピーチのHPを教えてもらった。

マイケル•ジャクソン
オックスフォード大学での講演
(2001年3月6日)


内容はとても興味深かった。
以前から、MJが父親に対してのわだかまりがあると、
聞いていたのに、
MJの死後、日本のTVでMJの真相を少し観た時に、
生前のMUが父親と仲良くしているVTRを観て、
オレは、これはカメラが向けられているから、
MJが装っているだけだと思っていたが、
このHPの記事を読んでみたら、そうではない事に驚いた。
そんなMJに心の底から尊敬する事が出来た。
あの言葉を言えるMJは、やはりタダモノではない!!
どれほど難しい事か、自分ではよくわかるからだ。

MJは子供達誰もが愛されて欲しい為に言った言葉は、
全ては許す事から始まると語っていた。
自分が愛されていないと感じても親を許すようにと...
もう1度愛する方法を親達に教えてあげてくださいと...

以前のオレだったら、全く理解が出来なかった言葉だ。
果たして、幼い子供達がこれを言われて、
そんなに簡単に実行出来るのならしていると思う。
なぜなら、子供は愛されたいと思うから、
親に褒められたいと、
親に嬉しがってもらいたいと、必死にアクションを起こすのである。
実際、自分もとにかく必死に母親にアクションをした。
結果、すればする程、傷つくのが現実だった。
子供が出来る事は限度があり、親は一切振り向きはしなかった。
結局自分は、母を恨まなくなったのは、
成人した後の23歳あたりからだ。
それでは、"愛されない子供達に手を差し伸べよう"ではないのだ。
恐らく、そのような子達は、
自分のように、ある時期まで大人になるまで、
長年必死に耐えて待つしかないではないか...
そのような親に、子供がお互い愛していきましょうと、
長年アピールしていく事は、
どれだけ辛く苦しく耐えていなかければならないか、
自分は痛い程よくわかる。
大人になってからは、
自分の親も結局は自分と同じ、単なる未熟な人なんだと知ってから、
怒りや恨まなくなる人もいるんだと思う。
自分もその1人だ。

大の大人の両親が、少しの愛情も与えられない、
自由奔放の分からず屋だったら、
1度も愛情を注がれる事もない幼い子が、
そんなふうに考え、許し、親に愛情を教えられるのか?
この件に関しては、無謀な発言としか捉えられなかったが、
MJが伝えたい意図はとてもよくわかる。
そんな子供達が大人になってから、
苦しまなく生きていける方法ではあるとすごく思える。
そして、人が立派に成長したからこそ、
人を親を許す事が出来るのだと思う。
その許すという事に、オレは勘違いをしていた事が、
このMJのスピーチを読んで気づく事が出来た。

いつもこの"許す"というテーマを考える時に、
自分が中学生の頃、
母がオレに言った言葉を思い出す。
母は『人を許すという事はとても難しい事なの、
私は人を許せずにとても後悔をした、
あなたの本当の父を許す事が出来なかった。
人を許す事は本当に大切な事なのよ!!」
と言われた。
母は自分の都合のいいようにいつも嘘をついてきていて、
母は自分の本当の父と別れる前から、
男がいたらしく、この母の発言は、
いつも説得力がないのだが、
今でも鮮明に覚えている。

成人してからのある時期に、オレは親を許す事によって、
自分の辛い苦しみに終止符を打てるのではないのかと思い、
年に1回会うか会わないか、わからない母に会いに行った。
オレも母も自分から会いに行く事はない...
母はオレにお願い事をしにくるか、愚痴に言いたいときだけにくる。
祖父に用事があった時だけ、
たまたま祖父達と一緒に住んでいるオレに接触してくる。
オレもそんな母に『お母さん、あのね!!』なんて、
言えた試しがないし、自分の事を今まで話した事も一度もない。
そのある時期に、母に普通に接してみた、もう長年話してもいない為、
この時の母はオレに対して敬語を使って話していた。
自分はこの母の顔を見て、この母を許しますと、
心の底から恨みも憎しみも怒りも消していった。
がしかし、やはりこのような事をしても、
許す事が出来ても、辛く苦しい思いは続くだけだった。

でも、MJのスピーチを読んでいると、
許すという事は、それだけではないのだ。
オレは、心の底で母を許しますと、
心の底から恨みも憎しみも怒りも消しただけだったが、
実は、許すという事は、その先にまだあるのだ。
オレはただ、母を許しますという事だけで、
その後も、変わらずに母に何も接していない。
むしろ、今でも避けて生きている。
これでは、確かに本当に許した事にはならない。
許した後は、普通に母と接する事が必要だったのだ。
オレが母に愛情を教えるまでに至らなくても..,

改めてこのような事を、
自分は出来るのだろうかと思うと正直、躊躇する...
でも人は人を許して明るい未来へ進みだす事は、
とても大切な事だ。
もうこれ以上、苦しむ事もなく、
同じ過ちを繰り返してはいけない。

あのMJのスピーチに、
どこまでライターさんが関わったかは知らないが、
あのMJのスピーチは、
彼の真の心境を反映しているのは事実だとも言える。
MJは、父親が彼を抱きかかえてくれた事を鮮明に覚えていた。
MJは、父親が彼の大好きなドーナツを買ってきてくれた事を、
しっかり覚えている。
そして、父親の生い立ちを感じ、理解をし、
父親にとっての愛情とは何だったのかと理解をし、
彼は感じる事ができ、そして、父に対して理解を示した。
オレも以前、感じる事が出来ていた、
これが自分の母にとっての愛情表現だったのだと...
こういう愛情表現しか出来なかったのだと...
そもそも、オレの愛情表現も人から見れば、
狂っていると言われても過言ではない...
人との繋がりを感じる事が出来なく、絶望的な寂しさというか、
恐怖を感じた事は、恐らく誰もが、1度は体験していると思う。
オレは母と真逆で、両親ですら繋がりを持てなかった自分は、
人の繋がりに関して、愛している人にも親友にも、
通常の人よりも絶対的な繋がりを求めてしまっていた...
でもそれは、もっと人を信用すればいいのだと、今ならわかる。
自分の母が何度も何度も裏切ってたとしても、
自分の母が何度も何度も見放したとしても、
自分の母以外の人が必ずそうすると思って、
決めつけてはいけないんだ。
もっと人を信用してもいいんだ。
そして、今の母は昔の母とも決めつけてもいけない。
今の母に対しても信用をしてもいいんだ。
信用した事で酷い仕打ちがくるとか感じるのではなく、
自分が傷ついてしまうかとか感じるのではなく、
ただ、自分は母を信じたいのだという気持ちだけでいいのだ。
そしたら、自分はいちいち傷つく事はないのだ。
まずは自分の気持ちを素直に伝えていけばいいんだ。
これは自分が弱くなったとか、強くなったとかではなく、
人として素晴らしく成長をする為のステップアップだと感じている。

オレもMJのように、
母がオレにしてくれた事を鮮明に覚えているのは2つある。
母は愛情表現の仕方がわからなかった寂しい人間だとも、
以前からわかる事が出来ていた。
母はその事に関して、
子供達が自分に対して敵対心を向けられている事を恐れているし、
寂しい思いを、恐らく少しでも感じているはずだと、
今は思う事が出来ている。

これから、母に対して、当時止まったままの、
許す事の続きをしていこう。
本当の許す事を母にしていこう。
だから母に会いにいこう。
自分の苦しみから開放する為に、
人として素晴らしく成長出来る為に、
母もオレも明るい未来で生きられるように。