ただ人に恐怖感を与えてしまうのは、
未熟の証拠。

自分の性根をしっかり示すことは必要。
またそれが人のコミュニケーションなのだと思う。
不可解な行動は、人を不安にさせ、警戒させ、恐怖を抱かせ、
そして、反感を呼ぶ。

そして、自分の心の持ち方を相手に伝えるということは、
相手が大事な人なら尚更、とても必要なことである。

人は、自分自身を見つめてこそ、
人といいコミュニケーションがとれるのだと思う。
人は、1つのとらわれで、己の舵がきかなくなる。
そのまま大きな恐怖の波に呑まれてしまう。

何もとらわれなく、全体を見る事ができるときは、
妙に自分の心はとても静かになる。
とても冷静な自分になれる。
ついに2月に突入!!
先月の目標の反省。
先月の目標は

•WEBの基礎知識を習得
•DTPの基礎知識を復習
•EXCELでの受注書制作を覚える
•中学二年生英語を終える
•1日1回は外へ出る

評価は

△WEBの基礎知識を習得
◎DTPの基礎知識を復習
◎EXCELでの受注書制作を覚える
△中学二年生英語を終える
◎1日1回は外へ出る

△WEBの基礎知識を習得
DTPの基礎知識の復習が思った以上に、
時間がかかりすぎた...
WEBの覚える事が来月に持ち越し!!

◎DTPの基礎知識を復習
一通り全て終えることができて卒業。
より理解が深めることが出来たし、
やっぱりWEBの知識にも通じる!!

◎EXCELでの受注書制作
不慣れなWindowsにも何度か触れることが出来てよかった。
受注書制作に関する機能は一通りすぐ把握出来たし、
ひとまず、EXCELは卒業!!

△中学二年生英語を終える
英語の単語、ボキャブラリーは少し増やせたが、
大事な文法の勉強の時間が思った以上にとれなかった...
リスニングも勉強出来てないし...
復習した文法は自信もって使えているけど、
復習していない文法は、やっぱり自信がないのか、
使う事がまずないから、余計にまた忘れていく...

◎1日1回は外へ出る
ヒッキー気味だったけど、
外で勉強する方法を学べてから、
効率的で、集中できる事に気づけて、
毎日外へ出る事になった。
このまま、2月でも持続!!

今月は、まだまだ、いろいろな準備段階で、
上手く効率良くいろいろ出来なかったな...
自分の最大の力の30%~40%ぐらいしか出せなかった...
来月は徐々に徐々に、50%~60%の力を出せるようにしていきたい!!



今月の目標

•WEBの基礎知識から応用知識を取得
•自分のHPを作成する
•友人のR&Bシンガーから依頼されたCDジャケット作成する
•中学二年生英語から中学三年生英語の前半を終わらせる
•スケジュールをしっかり決めて、その内容通りに物事を進める

•WEBの基礎知識から応用知識を取得
早くWEBの基礎を覚えて、
フラッシュとプログラム言語を覚えなくちゃ!!
作品を作くる時期がどんどん遅れてしまう...

•自分のHPを作成する
まずは自分のHPを作って、
知人の英会話スクールのHP、
友人のラーメン屋のHP、
友人が服のブランドを立ち上げるから、
そのブランドのHP、
時間があるようなら、
その他の友人が活動していることのHPを次々作って、
作品を増やしていきたい。

•友人のR&Bシンガーから依頼されたCDジャケット作成する
今回の依頼内容は、ジェケットのみの作成だから、
20日間で全てを終わらせる予定にする。
だけどれも、素材がプロのカメラマンが撮影した写真でもなく、
その他の素材もちゃんと用意されていないのが悩みの種...
以前に知人のフィーメルラッパーのCDジェケットの全てのパーツ、
ポスターやフライヤーなど、全て一人で作ったから、
今回もやり遂げるぜ!!

•中学二年生英語から中学三年生英語の前半を終わらせる
とにかく、基本となる中学生の英語は、
今のうちに全て把握しときたい。
こつこつ勉強したことで、
いつか仕事でも活用できる日を望んでいる☆

•スケジュールをしっかり決めて、その内容通りに物事を進める
今のうちに、納期がある感覚を思い出して、
いつでも現場の感覚にしとけるように、
時間厳守、予定通りに物事を運べるようにしとこう!!

と小学生のような日記になったが、
2月も更に頑張るぜ!!
自分で言うのは、どうかと思うが、
自分は今まで、反面教師である母を見て育ったため、
曲がったことが大嫌いで、適当にする人も大嫌いで、
自分はすごい生真面目になり、損の役回りが多く嫌だった。
そんな無責任な母を見て、
自分は無責任な事が出来なく、
いつも正面から受け止めようとするため、
心が悲鳴をあげて辛く嫌だった。
幼児期、人に適当に扱われていたので、
人に対しては、誠実でなきゃ嫌な面があり、
それが、時に皆からの攻撃対象になるのがもう嫌だった。
様々な経験をしてきて、もともと感受性が強く、
その人その人の苦しい、辛い、悲しいという、
人の感情をとても理解出来るから、
人にはとても優しく出来るが、
自分自身に対して、
気持ちを共通してくれる人がいない寂しさが辛く、
繊細な自分が苦しく嫌だった。
そして、
物事を深くたくさん考えてしまう自分に疲れて嫌いだった。

とにかく、人が自分の事だけを考えて生きるのには、
上記にあげた事は必要はないだろう。
以前までは、世間の評価は、そういう自分の事だけを考えて、
一生懸命頑張っている人に、評価が高いと感じていた...
世間は、要は結果や成果しか見ようとしない。
自分はもっと、不真面目で、自分の事を一番に考えて、
感受性など無視出来て、適当に出来る人間になりたかった。
それがNYにいた時にピークになり、
そして、それらを試してみた。
刺々しくして、誰々は好き!!誰々は嫌い!!とか、
困っている人を見ても、
自分の私利私欲を考えるようにしてみたり、
物事も深く考えずに、全てこんなもんでしょ!!
というふうに考える様にして、
人にはわざとキツい事を言ったりもした。
確かに、確かにとてつもなく心は楽になれたけど、
生きてて気持ち良くなかった...
逆にとても苦しく辛かった...
無理にそういう生き方をして、
それが辛くて辛くて、なぜか人前で何度も泣いた...
そして、全てではないが、NYに住んでいる日本人達の価値観に、
無理に合わせてしまっていた自分もいた...

でも、そのおかげで気づけたのは、
そのままの自分でいいんだという事。
生真面目で誠実の人は、人から信用される。
人から信用されることには、自分はものすごい自信がある。
繊細だから出来た仕事もたくさんあった。
深く物事を考えられるから、
素晴らしい事に関して、
更に素晴らしさがを感じる事が出来る、理解出来る。
そして、いつも突破口を見つける事が出来た。
責任感が強いから、人から任される仕事もあった。
自分の性格は、みんなから求められる人ではないか!!
と素直に思った!!w

今まで、自分の性格に対して、
ネガティブ面しか、見てあげられなかった...
ただちょっと、意識を変えてあげればいい。

自分は心の病にもなった事があるし、
うつにもなった事がある。
自分のような人で、
しかも頑張り屋さんは、うつになりやすいタイプだそうだ。

もともと、不真面目で自分の事しか考えなく、
繊細でもなく、深く物事を考えず、
責任感がない人は、
絶対に、うつにはならないそうだ。

世間ではうつは、弱者がなると思われがちだが、
それは間違いで、
単なる、頑張り屋さんで、生真面目で、誠実で、
繊細で、深く物事を考えられる人で、責任感がある人だ。
そして、うつにかかることは、
更に強い心を手に入れる為の試練だと自分は思っている。
なにせ、うつまでなる人は逃げるタイプではなく、
うつになるまで、真剣に頭の中で取り組んだ結果だと思う。
本当の弱者って、うつになる前に、
現実逃避をして逃げると思うのだが。
うつは、自分の命を投げ出す程の辛さなだけにそう思う。

何も性格を無理に変える事はないのだ。
変える前に、自分自身と見つめ合って、
少し意識を変えた角度から自分を見てあげる。
全ての性格は、長所短所によって構成されているため、
これも表裏一体だ。
どれが良くて悪くもない。
そのままでいいのだ。
ただ、その性格をいい方向に持っていくのは、
自分次第なのだ。

これを機に、自分の意識を更にいい方向へ持っていこう。
笑うというのは、本当にスゴいと思った今日この頃...
以前までは、TVを全く観ないので、
お笑いなどに全く興味がなかった自分だが、
最近、ちょろちょろお笑い番組を観るのが好きになった。
とは言っても、
前々から人よりもすぐに笑ってしまう自分いるなのだが。

お笑いの中でも、好きになれないのは、
人をネタにして笑いをとろうとする人。
こういう芸人は、長くは持たないと、自分で勝手に思っている...w
逆に自分をネタにする人は、本当に面白い。
自分自身をしっかり見ている。
自分自身を客観的に見れる人にとったら、
日常の洞察力も、容易く出来ると思う。
そもそも、笑いは、通常の事が通常に起こっても、
何も笑いは起きない。
通常の事に意外性が起こった時に、人は思わず笑いが生じる。
様々な事柄の洞察力で、人は笑いをとれるし、人は笑うのだと思う。
自分の持論だが、たくさん笑える人は頭がいいと思うし、
やはり、笑いをとれる人も頭がいいと思ってしまう。

以前、TVで千原Jrの話しを思い出す。
『自分の嫌な過去、悲しい過去を、笑いに出来る気持ち良さ、
 オレは芸人になれて本当に良かった。』
と、とても生き生きとした顔で話していた。
それを見て、オレは彼がとても羨ましかったのを覚えている。
この時には気づかなかったが、
彼には"変換力"が備わっていた。
お笑い芸人にとったら、
人生が不幸であればあるほど、笑いのネタとしては美味しいらしい。
この"変換力"、"頭の切り替え"を更に磨きをかけたいと思った。

そんな自分を笑えるのには、"メタ認知力"が必要らしいです。
メタ認知能力 ←※参考にどうぞ

とても仲のよい友人がとても落ち込んでいた時に、
実は自分も落ち込んでいるのだが、それを出さず、
友人が元気を取り戻すまで、ニッコリと笑って、
友人を励ましていたら、
知らぬ間に自分も元気になったという経験はありませんか?
人を励ます言葉は、実は自分にも言い聞かせていたりして...w
人って単純だなと思うときがあるんだけど、
意味もなく、ニッコリと笑顔を作ると、
別に何も楽しくないのに、心がなんだか楽しくなる。
本で読んだのだが、人にはこういう笑いの"自己回復力"が備わっているらしい。
毎日、笑顔でいることは、とても大切なんだと思えた。

最近、笑顔が少ない自分、
徐々に笑顔を作れる生活にしていこう。
人は他人を比べてたがる。
自分は以前までは、人嫌いな部分もあり、
他人に興味を抱くこともあまりなかったのだが、
なぜか、人と比べてしまう自分がいた...
人と比べても何も意味がないとは知っているのにも関わらず。

この他人を比べるという行為には様々な起因があるだろうが、
オレは大きく2つにわかれるのではないかと思う。
その1つは、他人の劣っているところを比べて、
己を安心したいプライドが高い、上から目線タイプ。
もう1つは、オレがそうだったのだが、
自分自身の自信の無さや、自分の存在の後ろめたさで、
他人の優れているところを比べて、
人を羨み全てを謙遜する、下から目線タイプ。

オレがNYにいた頃に、ある事を感じた。
マンハッタンの南に位置する、
Lower Manhattanには、ニューヨーク証券取引所がある、
ウォールストリートから西に歩いて行くと、
ブロードウェイと繋がっているのだが、
そこには、綺麗なスーツをビシッと決めて歩いている、
ビジネスマンもいれば、
方や、その歩道の横にホームレスが座り込んで物乞いをしている。
初めて、ここに着いたばかりのうちは、
マンハッタンには観光客が多くて、どの人が地元の人だが、
区別がつかなかったが、
それでもスーツ姿のビジネスマンとホームレスの人の区別は唯一できた。

そのストリートを歩き止まって、ふと空を見た。
そして、自分を客観的に見る。
そして、もっともっと自分を遠くから、空から見下ろしてみる。
そこから見えたのは、
綺麗なスーツをビシッと決めて歩いている人も、
歩道の横に座り込んで物乞いをしている人も、
そして自分も、同じ点でしかなかった。
人の社会としての観点だけから見れば、
違いははっきりとわかるが、
それだけにとらわれるのではなく、
もっと広い観点から見たら、同じ点であり、
ただの同じ人間。
もっと広い観点から見れば、同じ生物。
ただそれだけの事。

"視界"にとらわれるのではなく、
もっと自分を解き放すこと。
それはどういうことかというと、
目で見れる範囲だけを見るのではなく、
考えられる範囲や知識の範囲にとらわれるのではなく、
もっともっと己を自由にしてあげること。

いつしか人を比べることをしなくなった。
そして、人を更に受け止められるようになれた。
そして、徐々に徐々に人を好きになれるようになれた。
これは自分を認める事が出来たからだと思う。
人は自分を認める事で他人も認める事ができ、
受け入れる事ができる。

何か1つにとらわれるのではなく、
もっと己を解き放してあげていきたい。
特に創作活動をしている人には大切なことだと思う。
自分達が思っている以上、世の理は無限のように広い...
今まで、感受性が強いことが、とてつもなく嫌だった...
自分は、外部からのインプットを強烈にたくさん受け止める為、
アウトプットである感情もたくさん出てしまう。
以前は皆から、感情の起伏が激しいヤツと言われ続け、
その言葉がうざったく思い、
何も感じないように生きようと思ったが、
とにかく、幼児期の頃から様々な角度から物事を考えていたのが癖で、
頭が勝手に様々なことを考えてしまうのだ。

でも最近、ある事を知ることができた。
あえて詳しい事は省くが、
それは、
"感情の幅が広い人程、不確実性への適応力が高い"
ということらしい。
なにも、感情の幅が広いことは悪いことではなく、
むしろ、脳の活動を活発にしてくれる、優れた能力であることを知れた。

そして、以前、信用出来る人から、
とても嬉しいことを言われたことがある。
それは
『あなたの感情の起伏が激しいということは、
 あなたは通常の人よりも何倍も人生を楽しんでいることになる。』

今の感受性、感情の幅を大切にしていこうと思った。
ふと思う。
自分は人から頼まれることがよくある。
かと言って、自分の事なのに、
オレに全てを任せようなんて事じゃなければ、
その人はただの甘えではなく、
オレを必要としてくれているんだ。
そして、人から頼まれる事は、
気持ち的に嬉しい事でもある。
そして、頼んでくれた人が喜んでくれたら、
オレも本当に嬉しい。

その逆を思う。
オレは人に頼む事は、そうそうない。
なんでも、1から自分で調べて、自分で起こす。
一見、素晴らしいと思うが、
果たして、本当に素晴らしいのか?
なんでも自分1人でやるということは、
とても寂しい人生ではないか?
1人で物事を進め、問題解決をするのは素晴らしいことだが、
この多様化した時代に、たった1人でやれることなど、
できるのか?
そう、人間ただ1人でやれることなど、たかが知れている。

では、なぜ、今までオレは人に頼み事をしなかったんだろう。

幼児期に、唯一の頼みの綱である母に、
全て出来ないと拒否されたから?
引き取ってもらった、当時の祖父に、
1から10までの自分の育児費を言われて、
何も頼めなかったから?
自分の相談をしても、ほとんどの人が苦笑いをして、
冷ややかな目で見られてきたから?

いつしか自分は大の人嫌いになった...
ましてや、これ以上出来るだけ心が揺れたくもないから、
人と接したくもなかった...
他人の事をとにかく知りたくなかった...
いつしか人を全く信用できなくなった...

そして、人と接しなければ接しない程、
他人が恐怖だった。
今までの事と、他人の恐怖で、
いつしか全て自分1人でやればいいと思うようになっていた。

オレは頼み事をしなかったではなく、
オレは頼み事が出来なかったんだ...

友人達はまわりの人の力やコネクションで、
進んでいく人達がたくさんいた。
自分はいつも1人で寂しいが、
コツコツ自分1人で道を切り開いていった。
だから、当時はそれが自信に繋がっていた。
がしかし、人嫌いは一層増していき、
他人の恐怖も一層増していった。

オレが人に頼めないのも、
これもやはり、恐怖からのものだった。
その恐怖を振り払う為に、
自分は1人でもなんでも出来ると自分自身に言い張っていた。
なんとも若輩なオレ...
このことでも、恐怖やいろいろな事にとらわれてしまっていた。
そして、自分1人でやれてきたわけでもないのに...

そして、少し時が過ぎてから、
1人でやってこれたわけではないと、
いつも思うようになったのに、
その頃もまだ、人に対して警戒心が強く、
人の力を借りるのがとても恐かった...

それに思う。
人に物事を頼むということは、
とてつもなく、勇気がいること。
こういう人は、オレだけではなく、結構いるのではないだろうか?
頼むことは甘えだって、厳しく判断する人もいるだろう。
それは状況によって様々だし、
人にとって頼み事もそれぞれだが、
やはり人は、決して1人では生きていけない...
この根本的なことをオレは知らぬうちに、
どこかに忘れてきてしまったんだろう。
結局人間は1人だ。
としか思えなかった。
これはとてつもなく間違いだと、
今なら、はっきり言い切れる。
なぜなら、本当に1人きりだとしたら、
恐らく今、オレは生きてはいない...

そして、心を開けた人には、
精神面に関して、とても頼りすぎていた...
これもいかがなものか...
心を開けた人しか頼めないのでは、いけない...

最近、これを改めて気づいて、
少しずつ、人に頼めるようになった。
最近、人から技術を教わっている。
他人のお願いや頼みばかりを聞くのではなく、
自分もお願いをする立場に少しずつなれてきた。
これからは、持ちつ持たれつでやれるようにしていきたい。

今まで、人を信用できなく、
人は、ただの恐怖でしかなかったが、
大切な人にたくさんの愛情をもらって、
たくさんの事を教えてもらって、
たくさん気づく事が出来たから、
恐怖を振り払うことができて、
今じゃ、人に頼み事もできる。
人の力を借りることを、今なら、なんのためらいもなく、
頭を下げてお願いができる。
そしてまた、心が軽くなった。
本当に本当にありがとう...

人に頼まないで、1人でやっていくのではなく、
時には人の力を借りて、それでお互いの相乗効果に生じたら、
なんと素晴らしいんだろう。

自分1人ではなく、
人と一緒に築けていける喜びをこれからたくさん学びたい。

今までの独りだった時間が長かったぶん、
誰よりもこの喜びに気づけて、感じることができるだろう。
どんな人間でも恐怖は抱く。
経験や知識をつめばつむ程、
様々な事柄の恐さを知っていくだろう。
恐怖を知らぬ者は未熟でもある。
そして、恐さを知らなければ、
生物として、生きてはいけない。
危険予測が出来なければ、とてつもなく危ない。

恐怖といっても、ただの言葉であり、
人によっては様々だ。

人生、時には、
その恐怖に立ち向かわなければならない場面が、
たくさんある。
そんな時、恐怖から目を逸らすと、
恐怖は我がもの顔で、心の中を埋め尽くす。
恐怖は増幅していく一方だ。
ましてや、なぜ自分が恐怖として感じているのかを、
把握できなければ、
その恐怖の正体がわからなければ、
尚更、恐怖の渦の中に呑み込まれていく。

人は正体がわからないモノ、
未知なるモノに対して、不安や恐怖を知る。
だけれども、正体を知ると、
人は安心をするものだ。

恐怖の正体を暴けばいいのだ。

これをヒントに、
自分は、恐怖から目を逸らさず、
受け止め、心の傍らに置いて、しっかり恐怖の全体を見て、
それで、恐怖の正体を掴むことが出来た。

恐怖の正体を知り、
その恐怖に立ち向かうことができて初めて、
それがどうやら、人の心の強さらしい。

もともと、自分は心の強さなどは求めてはいなかった。
強いも弱いも、表裏一体の存在だから...
誰かと比べて、自分は強いというのも興味もなければ、
そんなものはいらない。
以前は、何に対しても揺らがない心になりたくて、
それで、心の強さが欲しくて、
我武者らに強さを求めたが、それが心を歪ませる要因でもあった。
人間、心が揺らいで当然...
人間、心が揺らいで正常なのだ...
心が揺らいだら、
その時、その時に、自分自身の声を聞いてあげればいいのだ。
そして、その恐怖の正体を暴いていけばいいのだ。
心が揺らがない人間は、完全無欠のように思えるが、
人として、とても大切である、
大事であるものをたくさん失ってしまうだろう。

ただ、自分は大切な人を守れる強さをもっと手に入れたい。

大切な人がいるということは、
それが弱みにもなってしまうのだが、
その弱みがあるからこそ、
人は大切な人を守りたい、大切にしたい、大事にしたい、
だから、自分の心に負けないように、
頑張れるんだ。

もう、心が歪むだけの、
自分だけの1人の我の強さなんて、いらない。

自我の強さなんかよりも、とても素晴らしいことだ。

人がいて、相手がいて、
他者に暖かく包み込める心の強さをもっと欲しい。
これからも、そうなれるように日々、取り組んでいく。
今の自分の一番の最大の敵は焦心。
心が少し揺らぐと、焦燥してしまう。

床に就いて、その1日の思考が思い巡る時、
今でも少し、心が揺らいでしまう。
でも、もう既に闇からの勧誘の囁きが聞こえなくなった。
もう闇に呑まれる事がなくなった。
心のど真ん中に確かな希望がある。

闇を抱えて生きるということが、
知らないうちに、なくなっていた。
闇は知っているが、闇を抱えずに生きる。
というようになれた。
こんなことは生まれてきて、初めてのことだ。

がしかし、今だに、心が揺らぐと少し焦りが生じてくる。
まだまだ自信が形成されていないからなのか...?
まだまだ新しい気持ちに慣れていないのか...?
心が揺らぐことのないように、
心のど真ん中に盤石の意思が欲しい...

一枚の葉にとらわれてはいけない...
たくさんの知識を得た、
たくさんの技量を習得した、
と言っても、それで人間が成長しているわけではない。
その知識と技量を使いこなせる、心が成長しなければ、
全ては宝の持ち腐れになってしまう。

毎日毎日、自分自身と向き合って、
自分の心をセルフコントロール出来る力を、
徐々に徐々に習得していきたい。
自分自身を克己し、
自分自身を上手にマインドコントロールする事が、
今の自分にとても重要なこと。

でも、一本の樹にとらわれてはいけない...
心技体。知識、技量、心、
この3つをバランス良く、自分を育てていこう。
自然の重要な理であるバランスを、
これからは、自分にも身につけていこう。
何に対しても均衡が大切なのは、
今までたくさんの経験で学べることが出来た。
自分自身の調和を得れれば、
また一歩、幸せになれると信じている。
やれることを、1つ1つやっていく。