アンテロープ

************ 序 ************

連載をひき受ける。


2003年2月でした。

角川書店ASUKA編集部の倉持佳子氏から電話連絡をもらい、「ASUKAでガイナックス原作の連載をしないか」と誘われました。

タイトルは「ぷちぷり*ユーシィ」です。
NHK・BS放送で放送されるとのことでした。

私は他社作家で、角川デビューではありませんので、いわゆる簡単なスカウトということになります。

角川の作家さんも含めて5~6人でコンペがあるというので、数枚の鉛筆ラフ画を送りましたところ、私に決定したのだそうです。ありがたいことです。

************ その壱 ************

原稿料の打ち合わせ。


連載の打ち合わせをしに、3月に編集部に行った時のことです。

原稿料の話になりました。

私はそれまで、すでにエニックスで10代でデビューしており5年ほど描いていて、新人の6000円からスタートして、その時点では、8000円の原稿料をもらっておりました。
2003年に新しく出来た出版社のマッグガーデンからも9000円で打診されていたので、
「最低限、エニックスと同額の8000円でお願いします。」と言いました。

倉持氏は「あなたは『ASUKAでは新人』だから、うちの新人の4000円しか渡せない」と言いました。

「その代わり、エニックスやマッグガーデンのうちのような小規模出版と違って、うちの角川のような大手では『必ず単行本にするから』、それまでは我慢してほしい。」と。

つまり、単行本にする=印税ですね。

漫画家の連載では原稿料はほとんどアシスタント代などに消えて手元にはほとんど残りません。

印税が入ってようやく収入になるという形です。

倉持氏は単行本(印税)の確約を条件に提示しました。

わたしはこの「単行本の発行確約」を条件に原稿料契約を了承しました。

単行本は1巻~2巻とのことです。

ここで、まず大きな問題が起きます。

【 この時点で、角川書店側から、契約書類をもらっていません。 】

*あとで問題になるのがこれです。

会社同士の契約では契約書が必須と思われていますが、この漫画業界では、このような口頭契約が通常です。

契約書類などは作らないのが通例です。

他の出版社でも契約書なんて聞いたことないです。

あとあと父から何故契約書をつくらかなったのか。それは落ち度だ。と言われましたが、そういう業界なんです。

いわば編集者と作家との信用問題なんですね。

************ その弐 ************

連載準備スタート。


ASUKAの「ぷちぷり*ユーシィ」は、3月から準備に入り、6月発売の7月号の連載スタート、準備48Pセンターカラーと並行して、
別部署のスニーカー文庫(こちらにもASUKAとは別の担当編集者がおり、新しい編集さんの柏井伸一郎さんという方です)で、番外編読みきりの小説の挿絵カラー込みで、約10ページを始めました。

どちらも締め切りは6月頭とのことなので約3カ月あり、だいぶ余裕はありました。

普通、こんなに余裕があるのは、連載準備期間くらいです。

ただ、前置きとして、私は最初のプロット(物語の脚本づくりのようなもの)が本当に苦手なので、(しかも原作つきなので、打ち合わせしてもらえないと先へ進めない)これには時間を割いてほしいとくれぐれも言っておきました。
ネームとは漫画の下絵の下絵のような、コマで割った簡単な絵のものです。

プロットとネームの細かい打ち合わせ、直しが続きます。
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なんとかかんとか、ほぼ順調にネームはまとまり、5月末から作画に取り掛かりました。

*具体的な締め切りは聞いていません。

*あと、編集部の机も近いのに、お願いしてるのにASUKAの倉持氏とスニーカー文庫の柏井氏は連携・連絡作画調整を取ってくれません(TT)。。。

B4サイズのプロ用原稿用紙に下絵を起こしながら移してゆきます。

6月頭からアシスタントさんが入ります。

友人の天野こずえさんのアシスタントさんが3人、永咲文葉さんと手代木史織さん、東浜竜ちぃさんが助っ人に来てくれました。
他はASUKAのデビュー予備軍生と、プロアシさんと、専門学校からの派遣生です。

全部で約10日ほどの作画で6人ほど、入れ替わり立ち替わり来てくれたと思います。

だいたい、3人~4人毎日いたと思います。布団は常備4人分です。

みんな性格の良い素直な子たちばかりでしたが、やはり多分に未熟なところや、意思の疎通の不一致などもあり、
申し訳ないと思いながらも訂正してもらったりするときは、こちらも少し気が引けてしまいます。。。

また、自分の作画を進めながらの指示なので、かなり精神的にきつきつです。
食事の支度なども出来あいのお弁当の買い出しをその都度頼んだりします。

わたしはこの時は、カラー3ページを含む約60ページを、毎日睡眠時間4時間くらいで約10日ほどかけて仕上げたと思います。
(アシさんは6時間睡眠)
この回の時は、まだ時間的にも精神的にも余裕があり、アシスタントさんたちと一緒に1日2回の食事もとれました。
楽しく描けたのはこの回だけですね。。。

のべ40人ほどのアシスタントさんが携わった計算です。
通常、漫画家の原稿料×日数と言われていますが、私は4000円なので、申し訳なくて持ち出しで、6000円(研修生)~8000円(基本)~12000円(プロアシ)支払いました。食費も作家持ちです。

かなりな金銭的負担ですね。

(結果、全てあとの示談で角川に不足残額を支払ってもらっても200万円ほどの赤字でした。)

なんとか仕上げて渡しました。
唯一平和だったひとときです。。。☆

(慣れない環境と毎日人に囲まれて、それなりの緊張ストレスはありましたが。。。)


************ その参 ************

連絡が、こない。


6月半ば、第1話の原稿を渡しました。

その後。。。、6月が過ぎ。。。、7月に入って。。。。。。入って。。。入った。。。??
その間、待っている間、本当にこれは連載だったのかどうか、徐々に不安は増してゆき、延々と不安にさいなまれました。

プロット(一番最初の作業)が苦手で遅いとは言ってあるはず。。。何気に電話の音や、窓から聞こえる遮断機の音が恐ろしくすら感じられてきてしまいました。

7月に入って。。。。。。。倉持氏からようやく電話がはいりました。

倉持氏からの第一報は「アンケート、7位(真中らへん)だったわよ!中学生以下では5位(中の上)よ!」でした。

あの。。。それはともかく、もう締め切りまで2週間切ってるような気がするんですけれど。。。
怖くて確認できません><

とりあえず、連載らしいです。。。(ほ)

で、

しかし1話目の原稿引き渡しから半月以上放置され、
ようやく連絡があった、2003年7月の連載2話目の打ち合わせの最中に、

突然、なんの前触れもなく、


「あんたは漫画描けなくなっても、水商売で稼げるからいいわよね~」


と言われました。


いきなりでとてもショックでした。。。

 
「『 わたしが漫画描けなくなったら 』 ってどういうイミ。。。??

コレ、約束通りのちゃんとした連載じゃないの。。。???

なんで一ヶ月かけて仕上げなければならない仕事の打ち合わせスタート時点で半月しかないの。。。?

水商売ってナニ?

どういうイミなの。。。??

こんな状態で、本当に連載最後まで面倒みてもらえるの。。。???」

と、絶望的不安は、徐々にマックスに。。。

さらに翌月、やはり月一の連載にも関わらず、原稿の引き渡しから、わずか一ヶ月の期間のうちの2週間以上も連絡のない打ち合わせに、

さらに不安に陥り、第3話目の8月にして

日々差し迫ってくる締め切りに、作画レベルの低下は絶対に避けなければという責任感(世の中では作画、内容などが悪ければ全部作家の責任ですから)と、重圧感を感じ、

不眠、動悸、柱の角に頭を打ち付けるなど、自傷、

さらには深夜徘徊し、仕事場の隣の線路に迷い込んで、自殺衝動を持って座り込むなどの、鬱状態を引き起こしたのでありました。。。(TT)

************ その四 ************

最低な作画レベル。


9月。

第4話(一巻分)の原稿がたまり、さらに連載続行とのこと。

大変ありがたいことですが、ASUKAの倉持氏の編集能力と、私のすり減った精神状態からすると、これ以上深入りする前に終わらせた方が、お互いのために良かったと、確信しています。

連載も徐々に劣化し、連絡はさらに遅くなってゆき、とうとう作画時間がぎりぎりになってしまい、B4判プロ漫画家原稿用紙から、A4版同人誌漫画原稿用紙で描くことになりました。

原稿用紙のサイズを小さくすることで、少しでも線を減らして早く仕上げさせようという倉持氏の魂胆です。

確かに作画は時間的にも作業的にも楽にはなりますが、線の荒が目立つ、汚い原寸サイズのものになってしまいます。。。

漫画家として不名誉なことでもあります。

むろん反対しましたが、「編集者権限」とのこと。

この時期の原稿は見返したくもありません。

アシスタントさんを寝かしたあと、涙をぬぐいながら線をひたすら引きました。。。


************ その伍 ************

もう、描けない。


単行本をまとめることになりました。

が。

タイトルに「1巻」という巻数をつけないと。

それって2巻がないってことじゃないの。。。!?

今やっている連載は。。。?

約束が、違う。。。???


倉持氏は笑顔で「大丈夫よ。私に任せておきなさい。」としか答えません。

もう、何を信用してよいのか分かりません。

ユーシィの単行本の表紙を描き上げた後、連絡不十分のため、わずか8時間でスニーカー文庫の表紙を描くことに。。。

都築由浩様には本当に申し訳ありませんとしか言いようがありません。。。(TT)



11月。




漫画は、もうまともには描けませんでした。。。





8ページの4コマのみでのごまかし。







12月。





同じく。



************ その六 ************

オワルトキ。


年明けて1月。

なんとか原稿を仕上げ。
あの小さいサイズの原稿用紙です。

この月、なんと父が世界不思議発見で旅行に当選したので、付き添うことに。

旅行が月末近くなので、18日までにプロットの打ち合わせをしてほしいと申し出ました。(今までも何度も何度も早くしてほしいと言ったけど、無視されています。。。)


してくれました。倉持。。。


。。。今まで何度言ってもしてくれてなかったんじゃないのかよ。





そんなわけで、旅行で8日留守したにもかかわらず、原稿完成。(でも小さい原稿用紙)

しかし、旅行先のショートホームステイ先で、父が得意げに、娘は「漫画家なんだ」と現地ホストに紹介したため、吐きそうになってダウン。
地球の裏側で、漫画という単語なんか聞きたくもなかったですさ。

精神状態、今思うにこの頃、かなり重度の鬱。自殺寸前。

翌月、アニメの放映終了と同時に連載も完結。
漫画はページ不足で内容的には全然完結していなくて、みるからに打ち切りっぽいけど、完結なんだそう。


************ その七 ************

ここであの【 問題 】が。


倉持氏は単行本(印税)の確約を条件に原稿料を提示しました。

【 この時点(2003年3月)で、角川書店側から、契約書類をもらっていません。 】


編集部に電話かけても、もう終わったこと、とか、どうしようもないことなのよ、とかまるで知らん顔です。
むしろ泣き落とし攻撃でカウンター。。。!!

だったらなんであの原稿料で連載続けさせたのさー!勝手ばっかいってんじゃねえぞっと。

こっちも引きさがりません。

ようやく編集長が出てきたと思ったら、やけにすんなりじゃあ「完結版」を出しましょうということに。

それで、出しました。

表紙描きなおして「完結版」を。



契約書付きで。



でもですねー、第2版刷る時、催促していなかったらこれも印税、まるっとピンはねされるところでした。




アニメコミック事業部 コミックグループ
吉田誠氏いわく、「忘れていた」、だそうです。




印税をねぇ。。。??


忘れる。。。


ありえないでしょう。。。




実は内緒で、第3版の重版とかがあったりして。
もしそんなのがあったら、裁判モノですなー(笑)。

角川書店は本当に信用のならない会社です。
編集者も根っから腐っています。


作家捕まえて「水商売女」呼ばわりとかねー、何なのもう、って。

よくやるわ。ありえない。
ふーん、って感じ、で。で。

************ その八 ************

いい度胸していますね。


2008年10月。

少し体調も良くなってきたので

スニーカー文庫に「復帰したい」っていったら

ASUKAと揉めたから駄目だって。

あのー、私、被害者なんですけど。。。

何の権限があってそういうこと言えるんでしょうね。

私が角川書店に対して加害者だというなら
ぜひ、この場で言ってみてもらいたい。

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ふぁ~!ほんとにサイってイです、ね!!


続く。。。?