私がアメーバアカウントを取得したのは、2012年頃だったと記憶している。当時存在した某政治系ブログのコメント欄がアカウント保持者でなくては受け付けない設定だったので、当時そのブログに感銘を受け賛同のコメントを送りたいと思った私は、迷わずアカウントを取得。

 

今は無きその政治系ブログは、当時ウェブ上で勢いを増しつつあったネトウヨ共を軽妙かつウイットに富んだスタンスで弄り倒し、バカにしつつ批判するという所謂「アンチネトウヨ」ブログであった。私は自身を右寄りの思想保持者であると自負(自己規定)していたが、頭が悪くしょーもない劣化保守の権化=ネトウヨが大っきらいだったので、そのブログの趣旨には大いに賛同を示したのだった。

 

それ以来、アメブロ界隈においてはもっぱらアンチネトウヨ系ブロガーの皆さんと交流を持ち、彼等のブログにコメントをさせて頂きつつ、偶にしょーもないネトウヨブロガーをからかいに行ったりしつつも、自身のブログ設営に関しては断固否定し続けてきた。だって見るからにめんどくさそうなんだもん。

 

でも、様々なアンチネトウヨブロガ-さんと交流を重ねていくにつれ、次第にとある疑念が私の脳裏を去来するようになった。

 

 

それは「アンチネトウヨ界隈において“ラム夫はガチガチの保守である”と誤解されているのでは?」という疑念。

 

私は「思想的にはやや右寄りに過ぎず、強いて言えば中道右派である」と度々自己紹介してきたつもりだが、どうもその微妙なニュアンスが文字制限のあるコメント欄においては伝えきれないな、というもどかしさは折に触れるたび感じてはいた。

 

因みに私は自分自身を“保守”であると明言したことは一度も無いし、“真性保守”と呼ぶべき人種は現代日本においてはツチノコ並みに“幻の種”であると思っている。

にもかかわらず様々な場で「保守のラム夫さん」と呼ばれる事に、ある種の気恥ずかしさのようなものを感じ続けていた。

 

最近では、とある人物(ネトウヨ返りした元リベラル)から「ラム夫さんはネトウヨでも評価すべきところはちゃんとする人だ」とも言われた。いや、ネトウヨなんぞを“評価”した覚えは全く無いのだが・・・。誤解だ!!

さらに直近では、私が尊敬するリベラルの方から「ラム夫さんは保守とおっしゃるので私からは遠い存在かと思っていました」とも打ち明けられてしまった。う~ん“遠い存在”とまで仰られるとは・・・。ちょっとショック。

 

やはりコメント欄のみにおいて、自身の“立ち位置”を明確化する事に限界があるのは間違いなさそうだ。

 

ここ数カ月で私の中では、「アンチネトウヨ界隈において“自分の思想的立ち位置はこうです”という旨を予め明言しておく必要があるのではないか?」という思いが日増しに強くなってきた。

 

私はアンチネトウヨ諸氏が一様に抱く反レイシズム主義に関しては全面的に賛同している。だが、だからと言って彼等の言う事・やる事全てにおいて盲目的に賛同する事などはあり得ない。

 

アンチネトウヨ界隈においても様々な方がいて、ハッキリ言って玉石混合である。奇妙な人も少なからずいる。

 

メインアカウントで語る際には良識ぶりつつも、サブアカウントにおいてはネトウヨを罵倒し挑発、自身のブログにネトウヨを誘導しIPアドレスを抜き取り、脅迫めいた文言でネトウヨに圧力をかける事を目論むアンチネトウヨ氏がいた。

ネトウヨを罵倒し挑発するまでは良い。しかしIPアドレスを抜き取り脅すという手法には全く賛同できなかった。それは言論においてネトウヨには勝てないと自ら白状しているに等しいからだ。

 

なによりも別人を装ってそのような手段を取ろうという陰湿さ・卑劣さにはさすがに辟易した。わざわざ別人として活動を図ったのは、己の目論見が卑劣な手段である事を彼が自覚していたからに違いないのだ。私はそのブロガー氏を名指しで「なぜわざわざ別人を装うのだ?それは卑劣に過ぎるだろう、堂々と言論で戦えばよいではないか?」と某ブログコメ欄にて批判した。

 

すると、どういうわけか私がアメアカ取得するきっかけとなったブログの管理者(ちなみに女性である)が、私に対し抗議のメッセージを送信してきた。後に知った事だが、彼女は件のアンチネトウヨ氏の強力な賛同者であった。彼女の抗議の内容は要約すると以下の通り。

 

 

「お前の彼への批判コメントを削除するように某ブログ主に依頼しろ。彼のやる事にお前は口出しをするな。お前などは我々の活動に対して何ら貢献していない。我々はとうにお前など仲間ではないと見限っている。お前が彼を名指しで批判した事をネトウヨ共は好意的に評価しているが、お前はさぞ気分が良いだろう。お前はJMNCの会員だと私は思っている。」

 

 

私は彼女のブログの読者であったが、彼女は勝手に私の事を“配下の人間”として序列・認識しているのだな、というのがこの抗議メッセージにより明確になった。

 

彼女はYAHOO知恵袋においてもネトウヨと“闘って”おり、度々私に対し“援軍要請”をしてくるような人だった。私はそんなところでネトウヨを虱潰しに叩く事の意義が見出せないと考えたので一貫して“援軍”を拒否してきたのだが、その事も彼女の心象を損ねる一因となったようだ。

なにより「お前はなにも貢献していない」というくだりが、相当なサブイボもんである。まるで仲間にひたすら“総括”を求め、凄惨な内ゲバに明け暮れた新左翼活動家のようなセリフ。お前は永田洋子か?

 

彼女は自分の意に沿わない人物、気に入らない人物をメッセージ機能等を駆使して周囲の者にパージさせる工作を謀るような人物でもあった。私の事も周囲に色々とふれて回っていたようだが、彼女のこういった行動原理は、本来のリベラリズムのそれとは程遠いものである事をここに明記しておこう。卑劣な手段でネトウヨに圧力をかけようとした某氏に関しても同様である。

 

彼女が「ブログを持たない一読者など序列としては最下層にあり、志を持ってブログで言論活動する者に対しあれこれ物申す資格など無い」というワケの分からん選民思想の類いに囚われているのは明らかであった。

 

ブログを運営する事で、あたかも自身は“一城の主”でありブログ読者は“配下の者”であると錯覚し、ブログ主が彼等に対し傲慢に振る舞う様は割とみられる現象であるが、ホントに馬鹿らしい。無名の民による匿名ブログに過ぎないのにね。しかもテメーの趣味の延長でしょ。勘違いしてはいかんね。

また、ある程度の規模に達した集団内においては、往々において彼女の様に「お前は貢献していない」と内輪を批判する人物が現れ、最後は集団を自壊に導いてしまうというのもありがちな現象である。

 

とはいえ、彼女に尊大な勘違いをさせてしまったのは私自身の振る舞いにも問題があったかもしれぬ、ブログを持たない事で「薄っぺらい奴」と彼女に思わせてしまったのではないかとも考え、この時はブログを起すモチベーションが最大限に高まった時期である。しかし諸般の事情もあり(主にめんどくさそうという理由によりw)、結局ブログ開設には至らず。2013年頃の出来事である。

 

 

 

それから約4年という月日が経ったが、なんだかんだで結局は遅まきながらのブログ開設に至った。

その理由は、やはり自己規定は文字として整理して記すべきではないか?という思いが根底にあり、また私が交流を持つ皆さんに対し、改めて「私の思想的立ち位置はこうです」と明示することは少なからず互いにとって有益であろうという思いによるものである。

 

まあ、生来めんどくさがりなので、ボチボチやっていきます。政治思想のことばかりじゃ堅苦しくなるので、趣味やスポーツ、他愛もない周辺ネタなども交えていこうかな。

 

次回は私の思想等について、つらつらと箇条書きしていく予定です。