あれはいつのことだったか、NHK総合TVの金曜時代劇でやってましたね「天晴れ夜十郎」。その原作です。

なにせ「講談」なもんだから、作者が時々顔を出す訳です。そうするってぇと、下手な作家がやったひにゃ、しらけっちまってどうにもフォローのしようがなくなる訳ですが、この作者はその点すごいね。

文章のテンポを崩すことなく自然に流れてくとこなんざぁ、物書きとしての力量とセンスを感じさせます。


昭和の人間が江戸時代にタイムスリップしたってのもかなりすごい話ですが、この夜十郎ってのがまたさばけたいい男でねぇ、時々「スタンス」だの「時事問題」だの「ジャイアンツ」だのと江戸の人間にとっちゃあ妙ちきりんなことを言い出してもそこはそれ、天性のおっとりした風情と男気で江戸っ子を惹きつけていきます。
脇役たちも皆いなせで小粋な奴等ばかりで、特に気に入ってるのは夜十郎の恋女房となるお絹と、悪人のゆすりたかりを生業とする知恵袋、河内山宗俊です。

TVシリーズでは花魁の三千歳(みちとせ)もけっこう活躍してたんですが、小説ではあまりぱっとしませんでしたね。ともあれ、この「人が動いておはなしを作る」ってとこが好きですね、文句なしに楽しいSF時代活劇とでも申しましょうか。


あと、ストーリーに直接の関係はないけれど、たまーに出てくる夜十郎とお絹の秘め事のところなどは、これはもう・・・いえ、特に具体的なことはなにもありゃしません。現在のそっち方面からは考えられないぐらい平易な単語だったりするのですが、あっけらかんとしたエロティシズム漂うあたりはもう春画の世界。

これが代名詞だらけの睦言で書かれた部分の色っぽいことといったら・・・(くす)


NHKは突然「およね平吉時穴道行(およねへいきちときあなのみちゆき)」(作者は同じ半村良)とかも放送してしまうので侮れません。しかもいつ製作したんだか判んないぐらい(倉庫に眠ってたのか?ってぐらい)若い寺尾聡さんと由美かおるさんですしね・・・。

個人的に半村良の時代小説もSF小説も大好きなので、ドラマ化大いに希望します。


「上弦の月を喰べる獅子」夢枕獏、を読み終えました。

読む前は、厚いな、と思ってましたが、なんだかどんどん進んで、まるで"読まされている"という感じでした。

螺旋収集家の男と宮沢賢治という不思議な取り合わせ。
螺旋収集家の男は、建物に現れた自分にしか見えない螺旋階段を昇ってゆき、宮沢賢治は冷たい螺旋の風の中に身をまかせる。

そして二人は一人となり、始原の海から砂浜へ、そして山の高みへと歩き出す。

なんのこっちゃわからんでしょ?
説明できないんだよね、この小説のストーリィ。

うちの法事で読まれるお経は、「南無妙法蓮華経」から始まっており、ずーっと中国語っぽい発音が続くんだけど、途中で調子が変わる部分がある。
その中に「タターガタ」とか「アーガタ」とか出てくるのは知ってた。
たぶん、その話。

陰と陽、縁と業、女性と男性、時間と空間、植物と動物、死と生、ゼロと存在、進化と宇宙、インナースペースとアウタースペース…
たぶん、そんなような話。
死んだらどうなるのかな、とか、宇宙はどうなってるのかな、とか、夜遅くに叫びたくなるような過去の罪は消えるのかな、とか、隠し続けた感情が昇華する時は来るのかな、とか。その他いろいろ。

問いは答えを内包している、と言ったのは寺山修司だけど、問いと答えは同じもの、とこの本には書いてある。
それでいったら、わたしは「問い」だ。まだその段階にいる。

とても抹香臭く聞こえるかもしれないが、仏教の根本(ヒンドゥー教も入る)をSF的にポップに描いた、唯一無二の小説だと思う。
するすると読みやすく、暗くもないし明るくもないニュートラル。
なのにワクワク。なんでだろう?

寝る前に少しずつ読んでいたのだけれど、何故かいつも安らかに眠りにつくことができた。
緩やかで安らかな螺旋が、ずっと天にまで続いているような。
そして自分と同じような螺旋が、ずっと隣にいるような。
町田町蔵、「メシ食うな」イヌ、ですね。あぁ懐かしい青春。 この小説の主人公は、くだらない男である。どうしようもないぐうたらで、ヨメにも愛想尽かされて逃げられるし、仕事も全然やる気ないしで、毎日をだらだら過ごしている、クズみたいな奴だ。 でも、ちょっと外に出れば、もっともっと変てこりんな常識人が溢れていて全くヤんなっちゃう。罵詈雑言を言いたい時だってあるし、ぶん殴ってやりたい奴もいるけどやっぱそれは反社会的行為だったりするから、ぐっとこらえてしまう、ちょっとナーバスな主人公は、どう考えても暑過ぎる旅館の部屋でも、エアコンの側に「触らないで下さい」とか書いてあると「あぁ、触っちゃいけないんだな、怒られちゃうんだな」などと考えてしまう小心者なんだろう。(←これはわたしのこと) この小説はパンクだよ。誰が何と言おうと、そこいらの餓鬼がやってる「パンク」と称したへなへなの音楽なんかより、ずっとパンクだ。
これは旅行の本に入れるべきものだろうか。様々な国における口と舌と胃袋の記憶。話すこと(理性及び感情)と食べること(本能)が同じ箇所で行われていることに、初めて気づき、驚いた。対して、目はけっこう傲慢な器官だ。
書き手はたぶん、とても公正な人なのだと思う。ニュースや慰問など、目で見るだけで感傷や同情に酔うことはとても恥ずかしいと知っている。実際に現地に行き(それだけでも途方もなくエネルギーを必要とする地域)、話を聞き、彼らと同じ食事を食べる。暖かく、ちょっと楽天的なのにどこかクールな食事の時間は、書き手の文章にも似ている。肩をいからせたところが全く無いのに、凄味のある本だ。

脱疽という病気にかかり、手足を切り取りながらも役者として生きる女方、田之助のお話。

おいおい笑い事じゃないよ、とも思うのだが、艶と軽みがめっぽう面白い。「脱疽の役者」と聞いて「エノケン」を思い出したあたしゃやっぱり婆ァだね。


にしても、そんなことになりながらも一人の方がいいのかねぇ、と思う向きもあるだろうが、一人でいるのは気楽だし、自由だ。いろいろ不自由でも一人の方がいいったらいいんだよ、という気持ちは何か判る気がする。


両足あるより片足の方が色っぽいってとこに反応してしまったのって・・・ちょっと変態?