この方の話は私が直接関わった方ではなく、どちらかというと
間接的に、共通の知り合いを通じて関わったAさんの話。

共通の知り合いMさんは、市内でランチの美味しい飲食店を
営んでました。そんなMさんのお店に私はちょくちょく
通ってました。

Mさんは私がが乳がんであること、2年間無治療であったこと
2014年春から治療を始めたことを知ってます。
AさんもMさんのお客さん。

そしてAさん、年代は多分アラ還、この方も私と同じ乳がん、
ただし無治療歴5年だったか6年で、私より長い。
ある日AさんはMさんに相談を。何処かいい
ホスピス知ってます?と言ったのだそうです。

自分が乳がんを告知された時の話。
担当医の言い方がショックであったこと。
乳房を切除することが如何に当たり前で
当然のごとく説明を受けたそうです。思い直して次の病院へ
行ったけれど、そこの病院で同じ性を持つ女性の
医師からも、似たような対応を受け、『2度と病院へ行くまい』
と強い決心をしたそうです。

全てはMさんから聞いた話で、何処でどういう経緯で
ホスピスをの話をされてのかよく記憶してないけれど、
(若干、時系列も間違ってるかも)
頑なに無治療を訴えるAさんに家族の方達は困り果てて
いるようでした。そして最近は痛みも出るようになり、
よく患部に手を当てていたそうです。

Aさんは市外から来てたので、私のように煩雑にお店を訪れて
ませんが、MさんはAさんのことがずっと気になってました。
そして私に
『Aさんにらむままさんの話していいかな?』と聞いて来ました。
そのころ私は無治療に既に別れを告げ、標準治療を行ってました。
私は『私の話をして役に立つならいいよ』続けて
『痛み止めだけ病院で処方してもらうこともできるしね』

そこでMさんは、こういうお客さんがいると、私のことを
かいつまんで話したようでした。
それから、とにかく病院へ行った方がいいと。
『治療したくないんだったら痛み止めだけでも処方して
もらうこともできるらしいから』と
私の通っている病院と主治医の名前を伝えたそうです。

その後Aさんの店に通う足は少しばかり途絶え、
『あれからAさんどうしたんだろう?』という声も遠のいた頃

朗報が……………
『Aさんの病院へ行ったらしいよ』
時間はかかったらしいようですが
Aさんは私の主治医のもとへ足を運んだのです。
そして、ホルモン治療か抗がん剤治療どちらか忘れたけれど
治療が功を奏し、今度手術することに決まったと
Mさんに報告があったそうです。

満面の笑み、
その言葉を発するさんの笑顔が、眼に浮かぶようです。

後日主治医の診察の時、
『こんな患者さん来ませんでしたか?』と
その話をしてみたところ
その患者さんが来た時、叱りましたよ。と
主治医はちょっと笑いながら言いました。
その後、Aさんには別の病院を紹介したそうです。

ホスピスを探していた頃のAさん、きっと死ぬことばかり
考えていたのでしょう。Aさん自身もそうですが
家族の方達も辛かったでしょうね。
同じ辛さ痛みを感じるのなら、その先に『生』を
見つめていたいものです。

頑なに拘り続けたAさんの心が何処で解れたのか
わかりませんが、心の底にまだ生きていたいと云う気持ちが
強く残っていたからかもしれません。

『生きていたいと強く思うこと』
とても大切なこと
良かったですね。Aさん