あれから4年経ちました。
今日、5度目の3月29日を迎えました。
実はすっかり3月29日、という日を忘れてました。
昨晩お風呂に入っていた時、何気にふと、思い出したのです。
明日は3月29日だと
昨年の3月29日は、すっかり忘れ、とうに過ぎた
4月になってから思い出しました。

そういう意味では、2012年3月29日、シコリが気になって
訪れた病院で、エコーとマンモ検査しただけで
『ほぼ間違いなく乳がんです』とイキナリ医師に言われた
あのショックは、もう2度と這い上がれないだろうと、
ドン底に落ちた私の心の傷は、来年は生きてないかも
しれないだろうと、死を確実に意識した私は、

もう立ち直ったのかもしれません。
あの時受けた心の傷は、既に癒えたのかもしれません。

2012年のあの年、無治療を決心した時、私は5年生きられたら
いいと思っていました。何の知識もない私が、無治療の人の
ブログを読んだり、本を読んで、5年は生きられるだろうと
思ってました。しかし無治療を続けていたら、私は
5年どころか、3年も生きられなかったのかもしれません。

あの頃の私は

思慮深くなく、知人の言うことを疑いもせず、全てを盲信して
いた、愚かな人間だったのでしょう。

そして私は
自分自身を、私が無治療に走ることのきっかけとなった知人を、
ずっと許すことができませんでした。

そんな私が少し前、ブロ友さんと話す機会がありました。

私は、

私にとって一番望む大切なことは、
乳がんであっても、普通に働いて暮らせること。
共存して生きていくこと。治ることは望んではいない。
治ることは私にとって重要なことではない。

そんなことを語ってました。

このことは、本当は、
私の深い底に隠れていた本心は、私は治ることを自分に許して
いなかったことだと、ふと、気がついたのです。

2年間も無治療を続けた私は、当然、治るはずもなく、
そして完治を望むことは、おこがましいこと。自業自得。
だから私はあの時の選択の代償を、一生背負い、
生きていかなくてはいけないと、自分自身に強いていた
のではないのでは?そう思ったのです。

勿論、私が完治することは奇跡に等しいことです。

5度目の桜の季節、私が治ってもいいのだと
そう思ってもいいのだと、自身を許すこととしました。
奇跡がおころうと、おこらなくとも、
私が治ることを自身に許すこと、それが大切なこと。

ブロ友さんからメールで頂いた言葉

『治っても、治らなくても幸せです。
ならば治ってもいい。
私にとって「治ってもいい」は「生きていていい」
に繋がります。』

『治ってもいい』この言葉が
心ににズシンと響いたのです。

ありがとうございます。



ぴょん『最近食べ過ぎで…………お腹パンパンだにゃあ』