骨が折れやすい難病、骨形成不全症の息子がいる我が家。
夫が書いた文章にじーんときたので転載します。

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4月初旬にあった保育所の入所式。去年は途中入所だったので、今年が入所式でした。

一年近くお世話になっている保育所。とても親身に、手厚い保育をしてくれる素晴らしい保育所です。

先日保育所でお楽しみ会があった日の連絡ノートには、こんな出来事があったと書かれていました。

「お楽しみ会の最後にあった、かけっこ。保育士が息子ちゃんの名前を呼ぶ時、一瞬間が空きました。息子ちゃんは次は自分の名前が呼ばれるのを待っていたのだと思います。間が空き、怒った表情に変わりました。怒った顔で保育士を睨んでました。その保育士に謝られると笑顔になり、その後ベビーカーに乗ってかけっこに参加しました」

きっと保育所の先生は、まだハイハイしか出来ない息子の名前を呼んで良いのか、迷ったのでしょう。
他の走り回れる1歳児と一緒の空間に降ろして、怪我などしないか心配だったのでしょう。

でも、息子は参加したかった。「おれも参加させろ!」と意思表示が出来た。そして、息子の参加を躊躇した先生が謝ってくれたので許すことが出来た。

妻はこの出来事に切なさを感じて少し泣いていました。

息子が生まれ、医師から易骨折性の難病で今後歩けるかどうかわからない…と知らされたとき私は「今後、この子はどれだけ悔しい思いをしてどれだけ多くの葛藤に悩むのだろう?」と、彼に与えられた人生の困難さを想って涙しました。

しかし息子は一歳にして、もう自分で道を切り拓いている。

先生は、息子の意思表示をしっかりキャッチし、息子でも安全に参加出来る方法を選んで実施してくれたのです。

日本社会には障害児・者を見て、敬遠する雰囲気があります。

それは障害児・者の多くが、福祉や教育の制度上、健常児・者から隔離されてきた歴史があるからです。

多くの健常児・者にとって障害児・者は、今もなお見慣れていない、接し慣れていない対象とされる場合が多いでしょう。

例えば子ども同士のことでも
「障害児を怪我させちゃいけないから、(健常児で動き回る)うちの子は近づけないようにしなきゃ」
と考える人がいます。

確かに健常児・者と障害児・者を隔離すれば、保育や教育、労働の環境を安全なものに整えるのは簡単かもしれません。

でも障害児・者とその家族は、私達を遠巻きに見て欲しい訳ではないのです。

私達がして欲しいのは、すぐ隣に立って【どうしたら一緒に生きていける?】と考えることです。

フレディみかこさんの著作「僕はイエローで、ホワイトで、ちょっぴりブルー」の一節には『多様性はうんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う』
と書かれています。

ハンデがある人とない人、または社会的少数派の人達が多数派である人達と同じ空間で、円滑に過ごせるようにするには、物理的バリアと精神的バリアを取り外していく必要があり、それはとても大変で面倒くさい過程かもしれません。

それでも皆さんには傍に立って、一緒に考えて欲しいのです。
息子の保育所の先生方は一緒に考えてくれます。

息子はまだ話せる言葉が少ないのに、大人である保育士に問題点を気づかせ、考えてもらい、妥協点を見つけることが出来た。これは凄いことです。

骨は弱いけれど、心はしなやかな強さを持つ、笑顔が可愛い自慢の大切な息子です。