この投稿をInstagramで見る

私が来日したのが 43年前の 1977年4月29日🇧🇷🇯🇵 お母さんを助けたいとの思いでブラジルから一番遠い国の日本🇯🇵のサッカークラブ「読売クラブ」に入団をすることを決意しました。 来日当初、日本での生活は言葉や食事、文化の違いで辛い日もありましたが、お母さんを助けるために、家族を守るために必死でプレイをしました。 チームタイトルや個人タイトルを獲得することで読売クラブに恩返しをしようと努力をしました。その結果が写真のトロフィーやメダルです。 読売クラブへの恩返しの気持ちもあり、1989年に日本国籍を取得して、日本ナンバーワン、アジアでチャンピオンのクラブの一員としてプレイしました。 日本サッカーリーグで5度のチャンピオン。 読売クラブから生まれたヴェルディ(読売ヴェルディ、ヴェルディ川崎)でも、Jリーグで2度のチャンピオン、Jリーグカップで3度優勝。 1990年に日本代表に選ばれてからは キリンカップ初優勝。 ダイナスティカップ初優勝。 アジアカップ初優勝。 アジアアフリカ選手権初優勝。 現役引退の時は 国立競技場で引退試合。 指導者になってからは ビーチサッカー日本代表として AFCアジア選手権で3度の優勝。 FIFAビーチサッカーW杯5回出場。 2度のベスト4、2度のベスト8。 日本サッカー殿堂にも選んでいただきました。 素晴らしい仲間、たくさんの人たちのおかげで今があります。 本当にありがとうございます。 心から感謝をしています。 心から愛する日本、日本サッカー、読売クラブの歴史を受け継ぐ東京ヴェルディ、大好きなみなさんのために、まだまだ、がんばります! 厳しい日が続いていますが、こころをひとつに乗り越えていきましょう。

ラモス瑠偉 RuyRamos(@ruyramos10official)がシェアした投稿 -