まずは、悪天候などで被災された皆様へのお見舞いと、亡くなられた方へのご冥福を心からお祈り申し上げます。

また、被災された地域の日常を取り戻すための支援にご尽力されている皆様に敬意を表します。

 

今回、日本サッカー界の象徴となる1968年メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日本代表チームと同じ年に

日本サッカー殿堂入りをさせていただけることになりました。

私を日本サッカー殿堂入りに投票してくださった皆様へ感謝を申し上げます

 

この名誉ある日本サッカー殿堂入りの喜び、誇らしさを、

亡くなった母と初音、妻の俊子、ファビアノ、ファビアナ、ブラジルの家族、

そしてこれまで私を支えてくださったすべての人に捧げます。

 

20歳の時、母を助けたいという思いだけで日本に来ました。

来日当初は、辛く、悲しみや寂しさと向き合う日々でした。

日本のプロスポーツが野球だけの時代に、外国籍のサッカー選手が社会的にリスペクトされることはなく、今の時代では想像できない理不尽さに

耐えることは簡単なことではありませんでした。

サッカーの環境も、今とは違い土のグラウンド、歓声や声援の少ない場所でした。

ですが、松木安太郎をはじめ、数少ないファンや理解者の支えがあり、

ブラジルの母や、家族を守るために必死にプレイし続けていました。

所属していた読売クラブは、私の悲しみや、辛さを包み込んでくれる家族のような存在で、

その家族と共に勝負にこだわり勝ち続けることで、自分たちの社会での存在感を高めていきました。

そのようなひたむきな姿勢を日本サッカーリーグで対戦する相手選手が認めてくれるようになり、

彼らと共に日本サッカーの素晴らしさを世界に見せつけたい。

いつしか、そのような思いを持つようになっていました。

そのころから海外の選手に日本サッカーを軽く見られることに怒りに近いものを感じるようになったことを覚えています。

自分の人生を懸けている日本サッカー、仲間と共に発展させてきた日本サッカー。

私はサッカー人生のすべてを日本サッカーに捧げてきました。

 

今回の日本サッカー殿堂入りは、私のサッカー人生の誇りとなります。

 

ですが、私の情熱は冷めることはありません。

2020年にはオリンピック・パラリンピックが生まれ育ったリオデジャネイロから東京にやってきます。

日本社会が見失いかけている大切なものを取り戻す機会になるはずです。

サッカーはFIFAワールドカップ優勝という目標に挑む4年間が始まります。

ビーチサッカー日本代表監督として果たさなければならない使命もあります。

そして、フットサル界にも多くの課題を見つけています。

 

2016年末の脳梗塞から回復し、生かされている意味を日々考えています。

魂で日本サッカーを愛しているラモス瑠偉は、これからも強く訴えていきます。

きっと、みなさんも、そういったラモス瑠偉に期待してくださっていると思いますので・・・。

 

心から感謝の気持ちを込めて

ラモス瑠偉