かわいそう 可哀想に

この言葉を、面と向かって言われると

気持ちがこもっていても

私は、嬉しくありません



他人の誰かを見て かわいそうだと

心の中で思うのは、自由です



でも私は、自分の事を

辛い事はあったけど

可哀想ではないと思ってます



確かに辛かった 大変な人生だった

でも他人からかわいそうと言われたくない



覚えてはいませんが、過去に私は

誰かにそう言われたのでしょうか



その言葉を、誰かに言う時

その人は上からその人を見ている気がします


安全な、大丈夫な所から言ってるんだと

言われた方は思ってしまうんです



もし、気持ちを込めて言われても

何度も何度も繰り返しそう言われたら 

色んな人に言われたら

自分が劣っているように

時には馬鹿にされてるように感じます



被害妄想かもしれません

でも私は可哀想ではない、そう思って

折れないように生きてきました






その言葉を使うのはきっと

そう言われる事の少ない幸せな人




かわいそう、かわいそうと言われて

嬉しい人もまれにいるかも知れない



でも、私が人の事を

かわいそうだと言うとしたら

近い関係だったり

小さな傷、すぐ消える傷、一瞬の不幸の場合



ずっと続く深い悲しみに、その言葉は

追い討ちをかける可能性があります



私が誰かに〝可哀想な人″

直接言うのは


人の気持ちををワザと

  傷つける人です