自分の中で心が萎んだ気がした。

消費税増税問題。

私の周囲の人達、友人からの意見、聞く限り「不満はあれども、致し方なし」が大勢を占めている模様。

私はどこかで自分の考えが先見的で、政府と最後まで対峙すべきだと、国民の大半は、そう考えるだろうと確信していた。

違った。

自分たちが多少、我慢すれば済むこと。そう考える人達が多いらしい。

なぜ?

私の問い掛けはカラカラ虚しく音を鳴らすのみ。

国民性。

これ程、悪政に虐げられても尚、こらえる…。

日本では暴動が起きない。その訳が充分理解出来る。

しかし、この先に光明はないことは認め覚悟して欲しい。

今、判断を誤れば、自分の身にに災いが直結することを理解していた方が賢明かと。

新年早々、私は頭を垂れる。

「みんなだって、色々 考えているし、事情もあるでしょう」

奥さんは、私をなだめる。

新聞は何を伝えた?
TVは何を伝えた?
マスコミは何を伝えた?
ジャーナリストは何を伝えた?
専門家は何を伝えた。

すべては情報の選択力、判断力、分析力…。

考えることを放棄してはいないか?

思考停止に陥っていないか。

皆さんの描く、この国の未来のかたちは、いかなるものか?

本当に考えていますか?

自分たちが我慢すれば…。

すべては次世代、その次、またその次へ…。

想像して下さい。

皆さんが去った後の未来の日本を。

個々の問題か。

もう随分前の、落合恵子さんの講演会での言葉を ふと思い出していた。

『老いて行くことが「怖い」と思う社会にしてはならない』

その言葉が、急に私を打つ。考えて見れば不思議だ。

私はボランティア活動を活発にしてはいたが、福祉関係の職業に就くことは考えなかった…。

死の淵を見なければ…。

そうそう、落合恵子さんの言葉から何十年。日本は見事な超高齢社会になり、正に老いることが「怖い」社会になってしまった。

現場にいる私たちも、特別養護老人ホームには、正直なところ違和感を持ちながら働いている。

老人福祉の基本は在宅介護であると私は考える。

教科書みたいですいません。

特別養護老人ホームも悪いところばかりじゃない。

先月まで在籍していた職場は、職員一人ひとりのクオリティーも高く、サービス提供の質は頗る高かったと自負していた。

ちょっと横道に逸れるが私が以前勤務していた、福祉畑でしか世界を知らない職員たちとよくもめた。

なぜか。福祉畑でやってきた職員は福祉とボランティアを勘違い?間違えている?

自分たちはとても崇高な仕事をしている、と考えていた。

だから私のように、はなから対象者を「お客様」のように考え「サービスを提供する」と表現することにかなりの違和感を感じていたらしい。

それも、今では笑い話か。オールドタイプの皆さん、元気かなぁ。

そうです。在宅介護です。老人ホームはあくまでも身寄りない方々の最後の砦であって、家族が元気でいる、または介護可能な状態にあっても、老人ホームを選択する…。

仕事をしながらの介護は想像を絶する負担が襲う。しかし、介護を受ける方々が住み慣れた場所で介護を受けるのが自然だ。
現行の日本の福祉形態はいびつだ。国や地方自治体が本気で改革しなければ更に「老いることが怖い国」になるだろう。

現場の人間として声はあげてゆく。しかし、政治の領域までには…。

歯痒い。職員の給与や待遇改善も急務だ。

今の政府では何年かかっても「怖い」社会が続くだろう。

これから。

原発反対を唱えると、学者や識者が「安定した電力供給が損なわれる」と必死に原発を守ろうとする。

じゃあ、真っ正面から答えてくれ。

福島第一原発が稼動していない今、なぜ東京は停電しない?

必要だったから、東京のために福島第一原発を造ったはずだよね。

東京の電力の無駄な垂れ流しが福島原発事故の根底にあるかのような、人の良心に付け込むすり替えは、官僚の思い通りか。

私たちは東京の電力供給の不足を福島に託したりしない。

大体、なぜ東京に原発を造らない?

答えは簡単だ。

危険だからだろ?

政治家も官僚も、そろそろ「嘘」はよせ。

表向きは「原子力発電」だろうが、裏は「核武装」に他ならない。

原子力発電が一体、発電量のナンパーセントを担っているのか。

約30パーセントって言ってたけれど、多分 それを遥かに下回る発電量だろう。

なぜなら「核武装」していただけで、そもそも「発電」なんて「目的」なんかじゃないのだから。

嘘はばれるよ。

また、白々しく「冬場には更なる節電を 東京電力」とまぁ、ぬけぬけと。

東京電力は今日も行く。命を踏みにじって今日も行く…