生前に犯した悪行が、その人物が死んだからと言ってチャラになるなんて都合のよい話はない。
私の痛み、憎しみは増すばかりだ。
私は父の兄、つまりは私にとって「叔父」に当たる人物に酷い仕打ちを受け続けた。
私自身の過失か何かで仕打ちを受けるならまだしも「鬱病」の真っ最中に「お前は怠けているだけだ」やら「仕事も出来ないなら生きている価値もない」そして更に「お前は一族の恥だ」とまで言われた。
「鬱病」で沈む私はなすすべもなく。無抵抗で、まるでサンドバックの状態で、ひたすら耐えるしかなかった。
私が「死」を選んだ背景にはこの「叔父」の存在が少なからず起因していることは事実だ。
その「叔父」が昨年、胃がんで呆気なく逝った。
私が私を苦しめた叔父が死んで喜んでいると思っていた身内は少なくなかった。
待て待て。
私は「逃げやがったな!」と憤りは増幅する。
「許してあげてね」
「もうやめにしてあげなよ」
身内の人々は口々に言う。
私は叔父の通夜も告別式も、当然行かずに仕事をしていた。
「お前のためにやったことだ」私の父は、そう言う。
父は私と叔父の間で何があったのかを知らない。
そして、今ももちろん、墓参りに行くはずがない。
「許してあげなよ」
なんて無責任な…。
私は大抵、死者に鞭打つようなことは好まないし、しない。
しかし、この叔父は全く持って別次元の話。
私は「叔父を憎む」ことをやめたりしない。
もし、私が死を迎えて叔父がいる世界と繋がっていたら…。
今度は手加減はしない。
皆さんも、自分が辛く悲しい日々の中で、その辛さ悲しみを全く理解もせずに、ひたすら批難し続ける輩に出会うことがあるかと思います。
許さなくていいのです。
そして、その輩が死んだからと言って悪行をチャラにする必要なんかない。
ちゃんと、ケリをつけるまで「憎しみ」を忘れる必要などないのだ。