早々に帰国をし、完全な陰性が認められるまで(陰性が出てから2週間が経過するまで)当たり前だが自宅からは出なかった。
中には陰性が出てすぐに外に出て友人と会いたがったりする人を見聞きしていたが、私はまだ未知のウイルスを自分が保有していたら、ということも大いに恐怖だったし、まず人の目が怖かった。
私が海外に居住していたことを知るひとは少ないけれど、もし知っている人に会ったら?きっと物理的にも関係的にも距離を取られてしまうし、何より迷惑だと思った。他人の心配を増やすのはやめようと思ったのだ。
幸い実家だし、実家には毎月いくらか渡していたが、それでも自分で部屋を借りるよりかは安かった。ありがたいことだが、早く仕事を見つけ、そして早く引っ越しをしたいと毎日のように考えた。
感染ピークの合間に就職活動をし、某電機メーカーの孫会社に就職ができた。私のような未経験に近い人間でも、事務職として雇用してくださったこの会社に感謝している。
だが、久しぶりの日本での仕事、初めての事務職、自宅からの近くない通勤距離に心身ともに疲れ切っていた。その頃、次の感染ピークがくる前にと引っ越しもしていたのだった。
この久しぶりの日本の住まいは正直大ハズレであった。条件はぴったりあっていて、利便性も良かったが、過干渉の女大家さん付きだったのだ。
想像してほしい。週5日クッタクタになってやっとお休みかと思ったら、土曜日朝9時にインターホンが鳴る。どうせセールスだなとうとうとしていると、外から自分の名前を呼ばれるのである。
何事かと思ってドアを開けると、『こんにちは。今ね、物件の電球とか空き部屋とか点検して回ってるの。お手洗い貸してくださる?トシでトイレ近くなっちゃって』なぜ、我が家なのか。そしてなぜこの時間なのか。いや本当になぜ我が家なのか。このコロナ禍になぜよりによってお手洗いなのか。
だが私は店子である。次はないと思いつつ、お手洗いを貸した。『アラ、綺麗に使ってるわね』・・・次回は絶対居留守を使おうと心に決めた。彼女が出て行った後、ドアからお手洗いを死ぬほど気が違えたように消毒した。
その後も当たり前のように月2くらいの間隔で彼女は現れた。居留守を死守した。地上階で良かったと思った。1階だったら目も当てられない。管理会社に相談したが、お話ししておきますけど大家さんだから、の一言で片付けられた。引っ越しでお金を使いたくなかった私は平日は来ないしね、と楽観しようと自分を騙した。
あと彼女が私以外の入居者のポストをオープンする現場を目撃してしまったので、ポストに施錠をすることにした。小さな南京錠を買ってつけた。この物件の空室募集が絶えない理由がわかった瞬間だった。
職場でも1人この40過ぎの私にわかりやすいセクハラを仕掛けてくる中年男性がいたが、とことん塩対応でやり過ごした。もう少しでお下品な言葉が口をついて出そうになるが、我慢した。無反応だと余計イラつくらしく、どんどん嫌がらせの域にエスカレートしていった。
気がつくと、不正出血と頭痛が止まらなくなった。ここまできてるのに、理由がわからなくて、疲れだな!とまた自分を騙した。でももしかしたら、また高度異形成が再発したかもしれない?とこのコロナ禍の中検査に行くことにしたが、結果は問題なし。心因性と言われてしまった。
いよいよもって血が止まらなくなった。頭痛もバファリンが効かない。貧血でふわふわするほどになって、初めて引っ越そうと思った。会社は辞められはしないが、家は引っ越せるからだ。まずストレス要因を減らさなくては。このままだと本当に病気になってしまうだろう。
運悪く、家探しと時を同じくしてコロナの感染ピークがやってきてしまった。今はデルタよりもまだオミクロンの方が死亡率が低いとわかるが、やはり感染は怖かった。医療従事者の方を煩わせるのも申し訳なかったので、結局ここには更新まで2年住むこととなった。
住環境、ストレス耐性のない私には本当に大事。