日本と居住国を行き来しつつ、病気持ちながらも穏やかに忙しく暮らしていたある日。
2019年末、今もまだ世界の人々を煩わす流行病の大流行がやってきたのである。
国内ではその情報が知らされず、Yahooニュースで見たのは横浜中華街勤務の方が確か日本での初報道だったように記憶している。
あれよあれよといううちに世界中で流行が始まり、ありとあらゆる業態がダメになっていき、もちろん私の仕事も無期限で営業所を閉めるという話に。
さて、どうしよう。こちらでは当然休業手当のようなものはない。そのような保証があるのは、駐在で来ている企業の方たちのみと言っていいと思う。ある日突然収入がなくなる。これは私だけでなく、現地採用の日本人はほぼみんな無職状態になった。
当然、帰国を考える人も多かった。当然である。生活ができないわけだから。
そこは私は決断が早かった。営業所を休業すると言われたその日に帰国用の片道チケットを押さえ、国際引っ越しの見積もりを頼んで申し込みをした。
そのことを当然、現地のトップに伝え、再会を約束し、感謝の意を手紙で綴った。ただ、受けた御恩はきっちりお返しできたと思う。感慨深いものがあったが、それより帰国の準備である。
次の週には家を解約し、引っ越しを手配し、本帰国の運びと相なった。様子を見ていたら、帰国できなくなると踏んだからだ。大当たりだった。帰国した2週間後に居住していた国の空港が閉鎖に近い状態になった。
これで晴れて日本在住(実家住まい)となったわけだが、また仕事探しも一からであった。とほほ。
でも、持病の病院にもいつでも行けるし、体調悪くなってもドキドキしなくていいし、流行病は怖いし、これに罹ると私の持病だとやばいみたいだし、まぁよかった。
環境が変わってまたストレス過多になりそうだが、親との相性が悪いので、早々に家探しをした。両親は2人とも退職をし暇なせいか、娘の一挙一動が気になりすぎるようである。少し離れている方がお互い幸せだと再確認。
でもまぁ、一旦身を置ける場所があるということだけはありがたいと思う。それは親に感謝。