その年は本当に仕事が忙しくて、忙しいと何も考えなくていいから幸せだな、なんて呟いたりしていた。

 

 

実家の問題、職場の人間関係、老後の問題、いつまでこの国で働くかの決断、、、

 

 

考えればいくらでも思いつく人生の問題点。よもやここに健康問題が乗っかってくるとは思わなかった。

 

 

ある夜、背中が熱いので目が覚めた。背中が燃えているようにカーーっとした。なんだこれは?唐辛子塗られたみたいだ。現実的に唐辛子を塗られることなんてない。

 

 

そのうち、なんていうかネオンのグラデーションみたいに上から下、下から上、とその熱さが上下し出した。それが強くなったり弱くなったり。これは普通じゃない。それだけはわかった。

 

 

眠れないまま朝を迎え、会社に出社し数日後から有休をとった。現地のクリニックでもよかったが、万が一高額医療だった場合海外での保険が打ち切られてしまう。日本での健康保険は払い続けていたので、まずは一時帰国することにした。

 

 

大きな病院に行き、またしても窓口で病状を伝えたがうーーーんと首を捻られたので、以前免疫障害で引っかかったことを伝えると内分泌科にまわされた。

 

 

血液検査ですぐに診断はおりた。リウマチ発症であった。だが、まだそこまで数値は悪くないので、投薬は2週間に一回抗免疫剤を自己注射するというもの。

 

 

そこで海外に住んでいることを伝えると、3〜4ヶ月に一回は検診を受けて、注射を受けとるようにと言われる。うわーチケット代にお給料が消える。もう本帰国を考えるべきなんだろうか。チケット代は安いものがいくらでもあるが、休みの問題もある。

 

 

どうしていつもこうなんだろう。どうしていつも人生でいい時に邪魔が入るんだろう。なぜ私なんだろう。1人で慎ましく生きていたいだけなのに、なぜなんだという思いが湧き上がっては消え、湧き上がっては消えた。そう、死ぬ病気ではない。

 

 

しかもまだ軽いと言われた。みんな痛みと闘っているけど、あなたは痛くないでしょ?よかったじゃん、とまで。その時は何言ってんだこの人?と思ったが、落ち着いて見れば確かにそうである。

 

 

とりあえず、3ヶ月分の薬を持って格安航空券で買った飛行機に乗った。自己注射は別に痛くはなかったが、アレルギーが出るので痒いのが嫌だった。

 

 

いよいよこの国なのか、それとも帰国するのか決断を迫られる。会社にも事情を話さないといけないだろう。交渉する話術もないし、そういう物事の進め方は好まないのでそのままありのままを話す。

 

 

会社からの答えは『航空券代のみ4ヶ月に1回往復負担するので、雇用契約を更新せよ』であった。ありがたかった。正直泣いた。この会社に貢献しようと心から思った。

 

 

贅沢のように感じられたので、家はコンパクトにした。1人だし、1LDKで十分である。荷物も少ない。

 

 

忙しないが、そこから日本との往復生活の始まりである。