強制的にN氏とお別れを企んだその季節はちょうどクリスマスシーズン。仕事的には繁忙期。
日本を離れようと密かに準備していたあたりには、あまりの多忙にそれはもう単調不良のオンパレード。
なかなか治らない心因性の上半身の湿疹。そして、めまい、耳鳴り、指先の痺れ、喉の閉塞感、月経過多、過食、不眠の再来。私の場合、前兆は大体耳鳴りだった。
今回の体調不良の目玉は、月経過多であった。夜用の一番大きなものが日中1時間くらいしかもたない。この時初めて、その当時はまだ珍しかったオムツ型の生理用品をありがたいと思った。
月経過多が始まった際、以前20代半ばで患った高度異形成が再発したかと、いや、今度こそはガン化したかと背中がヒュッとしたが、そうではなかったことだけは一瞬嬉しかった。すぐに不健康なことには違いないと気づき、気持ちが沈んだ。
健康保険のありがたみを感じつつ、近所の個人病院に何箇所か行くも『ストレスからですね。体を休めて、ストレッサーから離れてください』いや、私も離れたい。離れたいのに向こうからやって来るんです・・
このまま日本を離れていいのだろうかと不安になる。しつこいようだが、健康に不安があるというのはなんて不便で、健康でい続けるっていうのはなんて難しいんだろう。苛立ちが募る。
環境の変化には人一倍強い自信がある。けど、こちらできちんと保険に入っていこうと決める。保険料は高いけど、お守りみたいなものだ。
渡航するための予防接種後もいちいち寝込む。そして再就職のための健康診断で治療が必要な貧血も見つかる。ポンコツである。結局、治療してからの渡航となった。
この頃、再就職先に申し訳ないとそればかりを考えていた。そんなこと、考えても仕方がないのに。