いい文章みつけた。

 

 

 

 これらは「週刊文春」(2月13日号)が報じた女優の鈴木杏樹(50)と喜多村緑郎(51)の不倫について、SNSに上げられていた声だ。鈴木は1998年6月に外科医と結婚したが、2013年に死別。一方、喜多村には2013年に結婚した妻である元宝塚歌劇団宙組トップスター・貴城けい(45)がいた。鈴木と喜多村が海辺の公園に腰を下ろし、コンビニで買ったフライドポテトを食べたり、その後、鈴木が運転する車で移動し、休憩料金約4000円のラブホテルで一時を過ごすといったデート模様も報じられている。

 俳優・東出昌大(31)と9歳下の女優・唐田えりか(22)との不倫が大きな話題となっているなかでの報道とあって、SNSや寄せられたコメントには両者を比較するものが目立った。それらのコメントには東出を断罪しつつも、鈴木には同情的であるものが少なくない。

 この2つの不倫への評価を分けた要因は何か。家族社会学が専門の兵庫教育大学大学院学校教育研究科の永田夏来氏に聞いた。

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世間が見るのは「どういう不倫なのか」

 不倫は基本的に当事者たちの問題です。にもかかわらず関係のない外野が盛り上がるというのは、彼らの人間模様に鏡を見るように自分の姿を見ているからでしょう。著名人の不倫騒動に、自分の問題を投影して話しているのです。

 それだけに「不倫をした」ことだけではなく「どういう不倫なのか」に世間の関心は集まります。東出さんの不倫は、文春オンラインの記事 「『東出・唐田不倫』はなぜ許されないのか 女性たちが激怒する“イクメンヅラ”3つのポイント」 にもあるように、“不倫の内容”に問題がありました。では杏樹さんへの批判をこれほどマイルドした要因はなんなのか。「プライベート売り」「純粋な関係性」「男女”逆転”現象」というキーワードから考えてみましょう。

不倫で見えた「プライベート売り」の代償

 杏樹さんと東出さんの評価を分けた大きな理由に、これまで「プライベート売り」をしてきたかどうかがあります。

 タレントさんや芸能活動を行う多くの人が、自分の暮らしや人柄を仕事に取り込んで利用しています。自分のプライベートの一部を商品として仕事で売っているわけです。たとえば、東出さんは3人の子どものお父さんとして、お風呂に入れたりオムツを替えたりといった育児だけでなく、料理や洗濯などの家事もこなすイクメンとしてメディアに登場していました。

 視聴者からすると「育児と仕事の両立に悪戦苦闘する杏さんは大変だけど、ともに頑張ってくれる東出さんがいてくれてよかった」と、私生活への期待やイメージを抱きやすい構図になっていた。家庭での姿を語ることで、社会的なイメージを構築し、結果、家族向けのコマーシャルなどにも多く起用されていました。

 それに比べ、杏樹さんは1998年6月に結婚されましたが、それまでほとんどプライベートが話題になることがありませんでした。本人もプライベートに関してメディアで多くを語らず、私生活と仕事とを切り離していた。杏樹さんには公私をきっちり分けてひとりの女優として活動している印象を持つ人が多かったようです。

  この違いによって、両者への「裏切られた」という気持ちに温度差が出たようにみえました。東出さんには私生活も含め共感していた人が多く、「自分の夫が同じことをしたら」「これが友達夫婦の話だったら」と、自分の世界と地続きの問題として考えた人が多かったのではないでしょうか。一方、杏樹さんの不倫報道は「女優さんの不倫」として、自分たちの世界とは距離のある話だとして受け止められたようです。

海辺デート、格安ラブホに見えた「純粋な関係性」

 杏樹さんへの批判を弱めている理由は他にも考えられます。それは彼女がこの不倫に「純粋な関係性」を求めていたように見えたことです。

「純粋な関係性」とはイギリスの社会学者であるギデンズの言葉です。経済的な目的や社会的な条件によってではなく、相手との関係性から得られる充実感によって、自発的にもちたいと思うような社会関係を指しています。

 杏樹さんの場合、喜多村さんよりもご自身のキャリアが上で、収入も多そうです。その上、デートも海辺の公園でコンビニで買ったものを囲みながら過ごすという、ごく普通のものだったと報じられています。視聴者には、杏樹さんが相手の社会的地位や財産などを求めて不倫に及んだようには見えなかったのではないでしょうか。

 つまり「一人の人間としてこの人と一緒にいたい」という気持ちから、喜多村さんと関係を築いているように見えた。地位や名誉というわかりやすい「利益」を目的とせず、一人の個人として「純粋な関係性」を求めたように思われたのです。不倫は許されないことだけれど、「純粋な関係性」を求めることにはどこか共感する、と感じる人は、少なからずいたと思います。

条件は「ロマンチックラブ・イデオロギー」を侵犯しないこと

 一方で東出さんの場合は、9歳年下で当時未成年だった唐田さんとの不倫。自分のプライドや支配欲を満たすという「利益」のために、恋愛感情を道具のように使って不倫をしているように見えた。それゆえに批判の熱が増してしまいました。

 ただ、この「純粋な関係性」が支持されるためには、1つ重要な条件があります。それは、夫婦の「ロマンチックラブ・イデオロギー」を侵犯しないことです。

鈴木杏樹の謝罪コメントに漂う“略奪婚”の気配

 ロマンチックラブ・イデオロギーとは、「かけがえのない相手と永遠の愛を誓って法的に結びつき、その愛の結晶として子供を授かる」という流れを恋愛と結婚の本質だとする考え方です。性と愛と生殖は結婚を媒介として一体であるというこの考え方は、日本においては戦後に獲得した自由の象徴でもありました。いまも恋愛・結婚・家族の王道だと考える人が多い。

 杏樹さんが2月6日に謝罪コメントを発表しましたが、それ以降、世間の風向きが変わりつつあります。その一因がコメントにあった《今年に入って、お相手から独り身になるつもりでいるというお話があり、お付き合いを意識するようになりました》という部分です。

「純粋な関係性」を求めた先に不倫があった、までなら仕方がないと擁護する人がいたとしても、その先に杏樹さんが”略奪婚”を想定していた可能性が見えてしまった。他人にとっての「かけがえのない相手」を奪い取るようなことは、ロマンチックラブ・イデオロギーを侵犯してしまいます。それは家族のあり方を揺るがす行いにほかならない。結果として、それまで擁護していた人も離れていってしまう一言だったと思います。

東出と杏樹には男女「逆転」現象が起きている

 今回興味深いのは、男女の「逆転」現象が起きていることです。

 これまで男性は不倫をしても「芸の肥やし」と批判されないことが多かった。杏さんのお父様でもある俳優の渡辺謙さんの不倫が報じられた際にも「世界の渡辺なんだから」と、世間の反応はかなりマイルドでした。むしろ不倫相手である一般女性への批判の方が厳しかった印象です。2016年に不倫が報じられたベッキーさんとゲスの極み乙女の川谷絵音さんにしても、ベッキーさんへの批判は川谷さんへのそれとは比べ物にならないほどに過熱していました。

 女性は貞節であるべきという価値観からか、こと不倫となると女性が批判の的になることが多かった。しかし今回は男性の東出さんには激しいバッシングが相次いでいる一方で、女性の杏樹さんにはどこか共感するような声まで出ている。男女への風当たりが変わってきています。

 これまで、お金を持っていて、社会的地位もある、子育てをしていない50代女性なんて認識もされていませんでした。しかし女性の社会進出が進んだ結果、あえていえば従来の意味で「男っぽい」女性も世の中にいるんだと認識されはじめました。そういう女性の存在に気づき、女性を男性と同様に自立した個人として捉え、「それだけお金も地位もあるなら歳をとってからも恋愛くらいするだろう」といった目で見るような人が出てきているのでしょう。

 実際には50代女性の多くが、子育てやパートなどに奔走するお母さんです。「鈴木杏樹さんみたいな女性」は現在でも日本にごくわずかでしょう。しかし少なくない人が自分の抱えている何かを杏樹さんに投影して、一種のあこがれやモデルケースのように感じているように見えます。

 逆に、これまで男性は「亭主元気で留守がいい」ともいわれ、家庭のことは妻に任せ、仕事にすべてを注ぎ込むことが望ましいとされてきました。しかしいまは「イクメン」であることを求められるようになってきている。ご存じの通り、それが果たされないと東出さんのように「父親のくせに不倫している暇があるなら家庭や子どもと向き合えよ」と強く批判されるのです。

 社会はいま、徐々に変化しています。そのため不倫という現象ひとつとっても、受け止められ方に差が生まれているのだと思います。東出さんと杏樹さんの不倫報道への世間の反応の背景に目を向けると、社会の変化が見えてくるのかもしれません。