今日は私が最初に好きになった作曲家で、尊敬していた都倉俊一さんと、
NHK「レッツゴーヤング」内のユニット、サンデーズのお話、
更に、大好きだった女性アイドルの事も含めたお話を書きます。
「その後の人生を変えてしまうような言葉」や「出来事」って、
誰にでもあると思うんですよ。もちろん私にもありました。
私の場合、ソレは天馬ルミ子親衛隊長のKさんからの電話でした。
「天馬ルミ子ファンクラブの者ですが、明日のレッツゴーヤングの
収録にご招待したいのですが、NHKホールまで来られますか?」
・・・あ~あ、とうとう書いちゃった。
ちなみにこの電話は、高校1年になったばかりの頃でしたが、
私はココで大切な事実をカミング・アウトしなければいけませんね。
私は天馬ルミ子親衛隊、通称PSK(Pegasus and Silver Knight)の、
副隊長をやっていた時期があったのです!
大好きだったんですよ~、天馬ルミ子が。知っていますか?天馬ルミ子。
初めて好きになった女性アイドル、それが天馬ルミ子さんでした。
私にもそんな時代があったのです。アイドルに夢中になっていたことと、
親衛隊に入っていることを、みんなには馬鹿にされましたけどね。(笑)
中3の1月にデビューしたんですけど、その頃好きだった2コ下の子に、
どこか似ていたんですよね~。でもその後はその子の事はすっかり忘れ、
天馬ルミ子が私にとってのリアルになってしまいました。
それまでは親衛隊っていう言葉すら聞いた事がありませんでしたが、
そんなの入るに決まっています!だって大好きだったから。
入ってみると、おやビックリ!それまでアイドルや芸能人というのは、
テレビの前で応援するモノだとばかり思っていたのに、
手紙を書けば返事が来る、普通に話ができる、並んで歩く、
イベント会場まで一緒に電車で行く、喫茶店で一緒に休憩する、
一緒に食事をする、テレビ局の収録スタジオに入る、電話で話をする
(家に電話を掛けるなんて、マジに非常識だよね~)、
隣りにいれば、洋服の脇からブラジャーの前から後ろまで丸見えでした。
コレは刺激が強すぎたよなぁ。高校1年だったしね~♪
更に大晦日のピンクレディーの特番で、水着で歌うアイドルの後ろで、
踊ったりもしていました。手を伸ばせば簡単に届く距離に、
ビキニ姿のピンクレディーや天馬ルミ子がいるのです!いい時代でした。
おっと!またいつもの通り、話がそれてる!!
天馬ルミ子はNHK総合で、毎週日曜日の午後6時から放送していた、
若者向けの音楽番組「レッツゴーヤング」の中で結成されていた、
サンデーズというユニットのメンバーでした。「レッツヤン」は以前、
フィンガー5が出演した時に、観覧しに行った事があり、
それ以来好きで見ていたのですが、中3になったばかりの頃、
司会者がそれまでの鈴木ヒロミツから都倉俊一さんに変更になりました。
ハテ?都倉俊一?誰だか分からないけど、カッコいいお兄ちゃんだな。
でも私は音楽が大好きでしたから、すぐに気が付いたのです。そう!
「個人授業」、「恋のアメリカン・フットボール」、「華麗なうわさ」、
その頃も大好きなままだったフィンガー5の曲を作った人です。
歌本をパラパラとめくってみると、あるわあるわ、いたる所に、
「作曲:都倉俊一」の文字が!そうか!そんな凄い人なんだ!
既に趣味で作曲をしていた私は、ソレを切っ掛けに都倉俊一にハマり、
作曲家としての目標になって行き、尊敬もしていました。
都倉俊一が作り出すメロディーやサウンドは、とても美しく、
既に好きだったビートルズ同様に、すっかり魅了させられてしましました。
ファンの集いも行きましたが、自身のアルバムを無料でくれる方でした。
弟子になりたくて自宅まで押し掛けた事もありました。いやマジでね!
もちろんココでも都倉俊一が作曲したレコードを集め、コレクター魂を
遺憾なく発揮していました。もちろん「都倉俊一」名義のソロ曲や、
「都倉俊一グランド・オーケストラ」にも酔いしれましたね。
そんな都倉俊一と天馬ルミ子が出演していた「レッツヤン」は、
親衛隊でもあったし、常に観に行っていましたが、気が付くと
天馬ルミ子だけでなく、レギュラー出演していたサンデーズに、
かなり好感を持っていたのでした。その頃サンデーズは私にとって、
すっかり「擬似友達」な存在になっていたのです。楽しそうだったしね。
サンデーズはその後何年も、メンバーチェンジしながら続いて行く事に
なるのですが、私がハマっていたのは都倉俊一が司会をしていた、
初代サンデーズの時代がメインですから、天馬ルミ子の他、狩人や、
太川陽介、川崎麻世、五十嵐夕紀、香坂みゆき、渋谷哲平、倉田まり子
といったメンバーがいました。そしてサンデーズのメンバーが歌う曲、
発売する曲には、ことごとく「作曲:都倉俊一」と書かれていました。
だから私の中では「都倉俊一」、「サンデーズ」、「天馬ルミ子」は、
極普通に1本の線で繋がった思い出になっているワケです。
話を最初に戻します。
何故その電話が、その後の私の人生を変えてしまったのか?
私は中学時代、吹奏楽部に入っていて、かなり熱心に活動していました。
正確には小5の「音楽クラブ」からなのですが、高校受験にあたっても、
吹奏楽部の活動が盛んだった関東第一高等学校を選んでいたのです。
ですが天馬ルミ子親衛隊の活動が面白すぎて、ソレに時間を割きたくて、
吹奏楽部は退部する事にしました。当時男子校でしたから(今は共学)、
やめるのは大変でしたよ。かかと落とし50発とか喰らいましたから。
天馬ルミ子との出逢いは、芸能界を興味を持つ切っ掛けでもあったし、
都倉俊一との出逢いは、その後の音楽観を変えてしまいました。また、
「レッツヤン」から都倉俊一が降板し、天馬ルミ子が引退しても、
「レッツヤン」から離れたくなかったので、サンデーズの新メンバーの、
ある人の親衛隊長にもなりました。本当は好きじゃなかったのに…です。
その歌手のFCの会報も作っていました。原稿もレイアウトも全部です。
その為放課後は、頻繁に六本木にある所属事務所に通っていました。
その事務所はヴォイストレーニングもやっており、その場所で、
ヴォイストレーニングのイロハも学びました。また、そこの生徒だった
女の子達と知り合った事が、その後始めた「Holliday Records」の
夜明けに繋がって行きます。また、その頃の会報作りの経験が、
コンプリート・ビートルズ・ファン・クラブのスタッフ時代に
思う存分生かされましたし、そこで大滝詠一や山下達郎を知った事が、
後の作曲家という職業に、段々と繋がって行ったのです。
更にその歌手が所属するレコード会社も六本木にあり、
しょっちゅう出入りしていて仲良くしていたのも、後に役立ちました。
その電話がなければ、千代田工科芸術専門学校へ入学しなかったし、
バンド活動をする事もなかったんじゃないかと思います。
更にその後、私の人生を変える友人にも出逢えなかったハズだし、
そうなるとウルトラマンを好きになる事も、西新宿麺もありませんでした。
だからこそその後、フィンガー5のファン限定のラーメンサイトである、
「ら~ちゃんずのお部屋」も存在したのですから、その電話がなければ、
私の人生は間違いなく、全然違うモノになっていたハズです。
天馬ルミ子は当時、私が思っていたようには人気が出なかったみたいで、
シングル4~5枚で一旦引退してしまいましたが
(引退後もしばらくの間手紙を送り続け、何度もお返事を頂きました。
それらのお返事は全て、未だに私の大切な宝物です)、
現在はここアメブロなどを利用して、独自の活動を続けています。
更にサンデーズのみなさんの現在も、全員把握していたりします。
1度好きになった事や人に対しては、私は結構しつこいのです。
…と、いつもよりは少し短めですが(ウソかもしれませんが)、
まだまだ話し足りない気持ちを強引に抑えて、
今日はこの辺にしておこうと思います。バイバイ!
★最後に、「私が大好きな都倉俊一が作った曲ベスト30」
を書いておきます。コレも苦労して選曲しました★
This is my song●都倉俊一
抱擁●都倉俊一
砂時計●都倉俊一
メッセージ●都倉俊一
素敵なセンセーション●ウインズ
リヨンの星座●都倉俊一グランド・オーケストラ
五番街のマリーへ●ペドロ&カプリシャス
ジョニィへの伝言●ペドロ&カプリシャス
私の歌●松崎しげる
逃避行●麻生よう子
きりきり舞い●山本リンダ
渚のシンドバッド●ピンクレディー
あずさ2号●狩人
卒業メッセージ●狩人
Lui-Lui(ルイ・ルイ)●太川陽介
青春鋪道●香坂みゆき
まわれ恋の風車●香坂みゆき
教えてください、神様●天馬ルミ子
暗くなるまで待って●川崎麻世
Deep(ディープ)●渋谷哲平
ワル!(泣くのはおよし)●五十嵐夕紀
グラジュエーション●倉田まり子
How ワンダフル!●倉田まり子
June 浪漫●倉田まり子
NO.1●柏原よし恵
BOY●クリッパー
私のハートはストップモーション●桑江知子
Hello Mr.Spring -辛く愛して-●桑江知子
Last Song●内山田洋とクールファイブ
リタに片想い●レイフ・ギャレット
※順不同です。すみません!フィンガー5の曲は省きました。
フィンガー5を入れてしまうと、30では納まらなくなりますので!
またこの「ベスト30」は、予告なく更新する事があります。
(mixiへのオリジナル掲載日:2007年06月25日)