「口づけて まだやめないで…
命が燃え尽きるまで 愛に溺れさせて」
前を歩く彼女が歌う、力強く口ずさまれる詞。
「仮にそれで 死ぬのなら
このまま生きてるより怖くなんかない…」
今日の曲は、自虐的だ。
冷めた温もりで雑に埋められた、心の虚しさ。
多分、彼女がマリアに出逢う以前の詞だろう。
「ただ愛されたかった……」
ふと、途中で歌が途切れた。
彼女は首をかしげながら両腕を組んでいる。
そしてくるっと振り向いたと思えば、
探るように目を合わせてきて、一言。
「…誰だっけ?」
顔を覗き込んで聞いてきた彼女の表情は、
さっきと違って柔らかく、落ち着いていた。
「へ?」
思わず上ずってしまった声は案の定笑われたが、
それは久しぶりに見る彼女の笑顔だった。
「あたしの事、知りたいんでしょ?
だったら先に、あなたの事を教えてよ。
あたし、あなたの名前すら知らないって
いま気が付いたの。」
そう言って無邪気に笑いかけてきてくれた彼女が、
ただ純粋に可愛らしいと思った。
自己紹介はずっと質問攻めで、
名前・生年月日・職業はもちろん、
なぜか身長・体重・家族構成まで言わされた。
他には食べ物の好き嫌いや、映画に音楽、趣味と言った
ありふれた質問もあれば、
答えに詰まるような不思議な質問もいくつかされた。
「じゃあこれが最後ね。
”人”の”為”と書いて”偽り”という漢字になります。
では、”人の為”になる”偽り”とは一体何?
リュージの考えをお聞かせください。」
一体何処へ向かっているのかわからない道を、
彼女のペースに合わせながらゆっくりと進む。
横でコトバを投げかける彼女は、考える事に集中しているのか、
視線は前を向いたままだ。
年齢を告げた後に名前が呼び捨てになったのを見ると、
おそらく彼女の方が年上なのだろう。
…にしても、だ。
さっきの質問といい、この質問といい、
明らかに模範解答なんてないような質問ばかりしてくる。
無理やり搾り出した答えなんかを聞いて、
一体彼女は何がしたいんだろう…。
「うーん…。
偽る事で誰かが傷付くのを回避できるのかもしれない。
”知りたくなかった”と絶望させる事から逃れるために、
偽る事を”人の為”と、
正当化する事もできなくはない…。」
自分でも納得のできる解答ではなかった。
溜め息混じりに「ほぅ…」と呟いた彼女の顔に
なんとなく気まずさを感じたので、
「でもやっぱり偽る事を正当化したくはない」と
付け加えた。
彼女は曖昧に頷いてから黙り込んでしまったので、
それ以上声をかけようとは思わなかった。
たぶん頭の中でいろんな事を整理しているのだろう。
無言の誘導に従って歩いていると、
辺りは入り組んだ住宅街へと景色を変えていた。
「”知りたくなかった”と思った真実なんてない。」
十字路を右に曲がろうとする彼女が突然口を開く。
「知る事で、たとえ大きな何かを失う事になったとしても、
あたしは真実を求める。
真実の中で失う明日よりも、
偽りの中で得られる昨日の方が恐い。」
夜の闇が、そのコトバを静かに溶かしていった。
街灯に照らされたその横顔は無表情に近かったが、
一瞬歪んだ瞳に現れた、殺した感情。
ある建物の前で彼女の足が止まった。
「着いたよ」と呟きながら、真っ直ぐにこちらを見てきた。
正直…、
目先の看板が目に入った瞬間、
踏み込んだ事をほんの少し後悔した。
「教えてあげるよ、リュージ。
あなたの知りたがってる、ハルカちゃんを。」
”ハルカ”…。
それはマリア、君の名前かい?
微笑みを浮かべる彼女に手を引かれ、
僕達は開かれたラブホテルの扉の中へと入っていった。