「…まで 来た…」



ふと、小さな歌声を耳にした。



「”嘘”と”罪”に愛されて…」



バイト帰り、いつもの河川敷。



「うまく笑えないんだ…」



自転車を静かに止め、

すっかり夜に侵食された景色の中、

耳を澄ます。



「…僕は間違ってたのかい?

 でもね 人はいつも嘘をつく…」



誰かを呼ぶ歌…?

でも名前が聞き取れない。

鼻歌にしては、声があまりにも透き通っている。



「…君の言う通り

 誰もが綺麗なまま生きていけないんだね」



声が奏でる一文字一文字が

誰かに語りかけているような…

自分に言い聞かせているような…。


車のライトに照らされて、

一人の女性の横顔がちらっと見えた。

その表情は無表情に近いが、

微笑んでいるような、

哀しんでいるような、

ただすっと、

川の向こうを見据えていた。



「…霞む空は”嘘”と”疑い”で曇り

 こんな世界に誰がした?

 生きる程にまた哀しくなるだけで

 すこし歩き疲れたよ」



もう、その女性に手が届くような距離まで

気が付いたら近づいていた。

もはや彼女の奏でる詞に耳を奪われていたから、

何も考えられなかった。



「…誰も 傷つけるつもりなどなかったんだ

 今も 僕はまだ恨まれているかい?

 酷く 強い孤独を感じるんだ…」



はっとした。

誰かを呼ぶ歌…。



「ねぇマリア…

 もう一度 抱き締めてくれ」



「”マリア”…?」



思わず出してしまった声に、

歌声が止まる。

座っていた彼女は跳ねるように立ち上がり、

こっちを見て微笑んだ。



「そう、”Maria”。

 この曲のタイトル。」



柔らかいその声に、耳を奪われた。

優しいその瞳に、目を奪われた。

”マリア”という言葉に、思考を奪われた。

ただ、立ち尽くす…。

それを見て再び微笑んだ彼女は、

夜空を仰いでつぶやいた。



「マリア…、聖母マリア。

 全て赦し、全てを受け入れ、全てを愛す。

 与え続けるのは、無償の愛。

 私…、マリアになりたいんだ!」



「…は?」



今度は、呆気にとられた。

それを見て彼女は笑う。

でも不思議なのは、初対面とは思えないほどの

懐かしい雰囲気…

ここで二人居ることになんの違和感も感じさせない…

そんな、彼女が一瞬にして染めた空間に、

思わず笑いがこみ上げた。



「あんた…

 全てにおいて不思議すぎる! 謎!」



そう言われて一瞬、驚く顔を見せた彼女の表情は、

すぐに無邪気な笑いへと変わった。






「”命”を”運ぶ”ってことが”運命”なんだとしたら

 僕の逝く道はまっすぐに 君へと

 今繋がっているんだ」




彼女の奏でる”Maria”に、

壮絶な背景があることなど、

この時はまだ知る由もなかった…。