4月28日(水)
風邪ひきブログも本日で3日目である。一体いつまで続くのだろうか。願わくばこれでもって打ち切り、また明日から話題探しにうんうん唸る日々に戻りたいと思ってやまない次第である。
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今日もまた昨日、一昨日とほぼ同じ一日。昨日から変わったことといえば、伸び放題になっている髭面(実際はちょこちょこと生えてきているだけ)と、痛みがひいたのどに代わり味覚を奪う鼻づまりが台頭したこと。体のだるさ・重さは相変わらずで、固くなった体はさらにその強度を増す。
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このような生活は、求めようがないことから自然とたのしみが少ない。しかし人間には与えられた環境のなかでそれなりに工面してやり過ごす能力が備わっているものなのか、こんな日々でもささやかなたのしみを持っている。そのひとつが、帰宅途中に買うアイスクリームである。「帰りにコンビニで選べる、帰ってからそれを食べられる」と思えばどれだけしんどいときでも奮起することができ、今や衰弱した自分を支える唯一の希望は「その日のアイス」といっても過言ではない。
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そうして今日も夕方、ベッドに沈み込む前にラクトアイスを恍惚浮かべて堪能したのだった。連休の真っ只中よりも前夜の方がうれしいのと同じく、食べる直前舌先までラクトアイスを運んだ瞬間がもっとも至極のひと時なのである。だけれど矜持というべきか、理性はきちんと保っている。これをもって最大のたのしみとする自分に感じる淋しさが止め処なく、もしも向こう5年のラクトアイスと引きかえに今すぐ風邪を治してやろうと神様が取引を持ちかけてきようものならば二つ返事で応じるだろう。そのくらい風邪に対する嫌悪感を持ち、同時にラクトアイスに対する愛を持つのが自分なのである。しかし実際の神様はそのような取引の場に現れるほど暇ではなく、今日もまた比肩するもの見つけがたい種類のペーソスを羽織っては病床のラクトアイスに舌鼓を打ったのだった。そしてその顛末は、忌々しき鼻づまりによって無味無臭のまま終わったのだった。
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ここ2、3日、帰宅後午後6時半ごろから3時間ほどは無理やり眠るようにしている。そのため家族と夕食の席を一にすることはなく、夕食は10時前からひとりで少量を摂る。母は息子が風邪をひいている、そしてその病状は芳しくないものだということを知っているはずである。そんななか今日のメニューときたらステーキと刺身だ。絶句を浮かべる息子に母はアといって、声を出して笑いながら「今の体によくないものばっかりやな」。まぁでも食べなさい、と母はいう。フライパンでお肉適当に焼きなさいね、と。するとどこかから物好きな父が駆けつけてき、曰く「肉は強火で一気に焼けよ。それから最初は動かすな」。体によくなさそうやなと僕が肩をすくめるも父は聞いておらず、「て」と「ぺ」の中間くらいの音という独特の擬音語でもって火の当て方を指南してきた。焼肉もその範囲内で、アウトドアなものに昔から目がない父なのだ。
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後に父はいった。風邪は、薬じゃないんや。十分すぎると思うほどの食事と、睡眠。それで一発や! 医学が行き届いていない世界の話ならばそうかもしれないが、と思いながら僕はなかがずいぶんレアに焼きあがった牛肉や、一緒に焼いたにんにく、生の刺身などを父に見せつけるように次々と平らげ、そのあと隠れて薬を飲んだのだった。世間は静かにゴールデンウィークを迎える。