4月30日(金)
風邪風邪とかまびすしいブログは本日でもって最後にすることを誓う。この宣言、「そのくらいの気持ちで……」という意思表明の意味合いも多少はあるが、実際に完治まではあと一歩という手応えがあってのものだ。いうなれば、暴漢(風邪)はもう通り過ぎたのだ、今は巻き起こった砂塵が収まるのをじっとこらえているという段階。例えなどはどうでもよい。ただ、前回(10月19日ぶん参照)は風邪を一羽の鳥と見立て、現在のような状況は「尾を長くひいている」というふうに表現しており、そちらのほうが幾分センスがよい。
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今日も帰りはコンビニに立ち寄り、気休めのど飴と、定番中の定番ラクトアイスをいそいそと買い込んだ。「アイスも値上がりしているんだなぁ」とはこの一週間で知ったこと。せっかく買ったラクトアイスを帰るまでに溶かしてしまってはつまらない。急いで帰ろうとまたぐだけの国道二号線に差しかかったところで、珍しく渋滞ができていた。しかしそこは機動力に富む原付き。すいすいと前に躍り出てみればたくさんの警察が巻尺などでもってせっせと作業しており、傍らには不安そうな顔した若い男性。交通事故? との予想はしたたかに的中し、数メートル先にフロントバンパーが大破した軽自動車が歩道に乗り上げてくたびれていた。詳しく見たわけではないけれど、他自動車との衝突事故ではなく(事故車はその一台だけだった)、近くの壁や電柱などにもぶつかった痕跡が見当たらなかった。謎の大破、と頭のなかで片付けることにして、思考は展開する。
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ある期間の事故件数を観測した時間で割り算すれば、一秒ないし一分あたりに何件事故が起こっているか算出することが可能だ。交通事故に限らない。世界中で、一秒の間に死んでいる人数、生まれる人数。宝くじで億万長者になった人数、破産した人数。データさえあればなんだって可能だ。ならば、この今しがた事故を起こした若い男性も、そんな「一秒あたりに……」を真実にするための「必要な加害者」であったという見方ができなくもなく、そう考えれば被・加害者といういい方ができるのではないだろうか(「被害者」とは微妙にちがう)。むろん起こしたくて事故を起こしたはずがない。誰もが注意して運転しているなかで、事故とはくじ引きのように降りかかってくるものなのかもしれない。まったく、不憫としかいいようがない。
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今日は物をよく落とす日だった。こんな日は危険だ、と今一度交通状況に気をつけながら帰宅を果たし、カフェラテと共にラクトアイスをたのしんだ。ラジオでも聞こう、と自然とスイッチに手が伸びたことが、体調がもと通りに戻りつつあることを示唆している。aikoの最新のシングル曲「向かいあわせ」が流れていて、聴き入る。特に贔屓の歌手ではないけれど、なんだかこの曲はとてもきゅんときてかわいいから好きだ。そしてしばらくしてアジカンの「ソラニン」が流れる。これはすでにiPodで何度も聴いた曲だけど、こうやって不意に耳にすることで改めて良さがわかることはある。久々に音楽を聴いた、という気分で、それは言葉にしがたい晴れやかな気分だった。それから、実に5日ぶりにiPodを取り出し、Radioheadの「KID A」を聴いた。これまで聴いたなかでいちばん良かった。
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今日の場合でいえば、音楽か。僕たちは簡単に気分が浮き沈みし、そしてそうなった気分を簡単に沈めることも浮き上がらせることもできる。良いと思っていたら簡単に悪くなったりし、悪いと思っていたら簡単に良くなったりする。浮沈は激動だ。長く同じ状態であることなどない。と、ときどき悟るのだけれど、じきにまた忘れてそれをくり返す。それで、ようやく板についたころに全うするのが天寿なのかもしれない。