3月29日(月)
これが人なら人間不信になりかねないほど、昨日とは打って変わって今日は異常に寒かった。わずか4時間ほどの定点観測ではあったが、昼下がりから夕方を経て夜になる窓外の景色は実に様々な変化を見せた。ぱらぱらと雨が降ったかと思うと太陽が復活し、また降りはじめたかと思えばやがて雪に変わった。日本が誇るアルチザン、山下達郎氏によるエバーグリーンな名曲「クリスマスイブ」の一節に、「雨は夜更けすぎに雪へと変わるだろう」とある。昨年のちょうどそんな時期、ラジオかテレビか忘れたがとある気象屋が「気象学的にいえば、そのようなケースはほとんど稀である。逆のパターンならいざ知らず」というようなことを指摘しており、なんとも無粋な演出をするものだ、とその気象屋というよりかは番組プロデューサーに対して思ったことをふと思い出した。
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とにもかくにも、そんな「実はほとんど稀」な現象が観測された今日、帰る段になって一応落ち着いた窓外、どのような落着の形を迎えたのか期待を込めて外に出ると、がっかりした、なんという寒さ! 何度もいうが昨日の暖かさがまるで嘘で、切り落とした髪、きっちりそのぶんだけ確実に頭が寒い。こんなことならもうちょっとだけ散髪を我慢するんだった、とやったところで仕方のない後悔をしてみたところで、実は後悔するのは久しぶりかもしれない、そしてご無沙汰振りの後悔がこのような低俗なものであることは幸せだと思った。底冷えに至らしむる寒さに、そんなしょうもないことを考えている暇があればさっさと帰るべきだと気づき、キックでもってぽんこつ原付きのエンジンをかける。
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3日前くらいからだろうか、突然原付きのセルが作動しなくなった。何の前触れもなく、である。押してもウンともスンともいわなくなり、だからそれ以降、毎回面倒にもキックを仕掛けなければならない破目になった。以前、友だちに原付きのぽんこつぶりを話していると「どこが調子悪いん?」と尋ねられ、ボクはほとんど反射的に「逆にまともなところがない」と答えていた。そんな自分の言葉にハッと気づいた。さすがにもうここまでくると限界の限界なのかもしれない。魚でいえば骨まで出汁をとられ、さらに肥料にされるというくらい、十分すぎるほどよく乗っただろう。一緒に夏のコンクリートを滑ったり……、派手な思い出はそれくらいしかないけれど、地味ながらも一緒に過ごしてきた年月はかけがえのない宝物だ。近々、買い換えることになるだろう。
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帰宅してすぐブログを書きはじめ、このあたりまでくるとさすがに手の末端はほぼ正常なまでに「解凍」されたと感じる。このレベルの「末端冷え性」を催すことは最近ではもうなかった。そういえばこの「末端冷え性」もである。
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尾骶骨(小康状態)、めんちょう(悪化、サイみたいな角疑惑が浮上)、腫れ目(今日悪化)を現在の主軸に、思えば体の各所に不調がある。しかしこれは「歳のせい」などとは思っておらず、まぁ二十歳も超えれば誰もが複数の不調を抱えている、いわばそれでこそ正常と考えている――気づいているかいないか、意識するかしないか次第。だったら森羅万象いろいろと、「正常」とは一体なんだ、というのがここしばらくの問いである。正常な天候、正常な作動具合、正常な体調、精神。正常な人間。世の中みんな異常であって、どういうわけかそれが集まったところが「正常」と呼ばれているだけなのだ。「正常」とされている集団を解体してみたらば、最小単位は全員異常。そしてそれは悪いことでもなんでもなく、そういうものなのだ。みんなみんな異常。正常なものなんてひとつもない。今日の異常な寒さだって、おそらく一年のデータになればバランスをとるための重要な寒さを記録した一日、ということになっているのだろう。みんな異常で、それでいい。