図書館のある風景2(下)。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 1月15日(金)

(続きです)

 扉を開けると白を基調とした縦長の部屋だった。ふたり掛けの机がひたすら並ぶだけという作りで、読書室というより「自習室」と呼ぶ方がはるかに適切であると思えた。定員52人の部屋、午後2時ならまだ空席は半分ほどあり適当なところに腰を落ち着かせた。それから読書に没頭すること2時間を過ぎたあたりから、高校の制服姿が多く散見されるようになった。彼らは皆一様に着席後しばらく携帯電話をいじると、各種参考書を取り出し自習に取り掛かった。そうかぁ、と思う。大学受験の時期である。「図書館で勉強」とはいつの時代も定番のひとつと言えるだろう。受験勉強、彼らを見て自分の当時を思い出してみて、しかし自分には図書館で勉強をした記憶というものがないことに気がついた。受験勉強の定番とはいくつもあって、図書館は利用しなかったというだけで、「自宅で勉強」という自分はまた別の定番を採っていただけの話である。

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 簡単に言えば「自宅で勉強」というスタイル、しかしきちんと当時から集中力が乏しかった自分は、ひとつどころで何時間も集中することが困難な性質で、放課後少しだけ教室に残って勉強し、自転車での帰宅途中にある中学当時お世話になった塾の一室を貸してもらいまた少しだけ勉強、そしてようやく「自宅で勉強」という忙しない受験生だったのだ。

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 なるほどなぁ、と机にかじりつく前方の席に座る高校生を見て思う。あのとき図書館で受験勉強をしたものだ――、という思い出があることは、正直少しうらやましい。

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 高校最終学年に肩書きが変わったとたん、志望する大学や学部、専攻など具体的にはまったくの不明瞭ながらも、時期がきたため親や先生から背中を突き飛ばされるようにして受験勉強の世界に足を踏み入れた高校生。受験勉強って、何をするものなのだろう。わからないけれど、とりあえず図書館だろう、というように放課後の図書館通いがはじまって、とりあえず英単語の暗記本や、買ったばかりの評判の参考書などを開き、間もなく飽きたら階下の図書館にあそびにいく。ふだんなら来ることもない図書館でも、勉強と天秤にかけてみればこの上なく魅力的に映るものだ。時間つぶしに本棚をじぐざぐに歩き回り、ふと目に留まった読みやすそうな本を開き、ぱらぱらとめくっていくうちに足が疲れたなと思えば時計は2時間も進んでいた。そうして毎日の図書館通いがたのしみになっていき、そんな彼は、彼女は、未来の作家や天文学者なのかもしれない。

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 図書館で受験勉強をする、という分かれ道を選んだ人にはそんなことがあったかもしれない、そして、もしも自分が図書館で受験勉強をする高校生だったならば、自分こそがそうだったのかもしれない、などと考えているうちに、ますます現役の彼らをうらやましいと思う気持ちが湧いてきた。けれど、自分のあの珍妙な受験勉強も素晴らしい思い出であることは間違いない。どれかひとつの道しか通れなかったのだ。ならば自分の選んだ道こそが正しかったと思いたい。どの道を通ったかではなく、その道を通った先に何にたどり着こうとしているかが重要なのだ。

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 読みかけの小説はいつからか、しおりひもをはさんだ状態で閉じられていた。腕時計に目を落とすと、いつのまにかまたずいぶんと時間が過ぎていた。あることないこと頭のなかで考えていると、気がつけば「自習室」はほぼ満席で、まだ続々と入室してくる制服姿に老兵は席を譲ることにして部屋を後にしたのだった。がんばれ受験生。ボクも、がんばる。





今日のかばんの中身

サウスポイント よしもとばなな

世界の果てのビートルズ ミカエル・ニエミ 岩本正恵訳

すらすら読める方丈記 中野孝次

三谷幸喜のありふれた生活 三谷幸喜