手品。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 12月4日(金)

 昨日木曜日も、雨が止むのを待ってから図書館に行ってきた。これほど気分の高揚する些細なことは今、他にはちょっと見当たらない。「いったい今日はどんな本と縁を持って、ちょっとだけ幅が広がるのだろう」というわくわく感だ。ちなみに前回は道化師、ピエロに関しての本だった。実際いちばん気になっていた謎「なぜピエロは泣き化粧なのか」についての決定的な回答は得られなかったけれど、ヨーロッパと日本でのピエロの捉え方や日本における今と昔の「ピエロ」の隠喩のちがい、それにまつわる都市伝説的小話などを知ることができて実りは大変多かった。大学時、完全なる「ジャケ買い」感覚で受講した「魔女狩り」という講義の匂いに似たものが、繰るページから香り、「ならばピエロだって十分に学問となり得るな」と、まぼろしの教壇に立ち概説している自分の姿は、とんだピエロだった。

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 そして昨日は、運良く書架に在宅していた、贔屓の作家さんのキューバ旅行記をまずはにやにやしながら読みふけった後、おもしろそうな本を探して本棚のあぜ道を練り歩いていると、手品関係の本が集められた一角で足が止まった。

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 こればかりはほんとうにさいころのようなもので、実に際してみなくてはどの区画に興味を惹かれるのかわからない。手品、マジック、奇術……と、自分のなかにそんな興味があったかと洗ってみたが差し当たり見当たらなかった。陰鬱な天気とか元気にはしゃぎ回る子どもの声とか凝りを感じる左肩、その日その瞬間の自分や自分の周りのもろもろが複雑に絡まりあって、それが結集した先に生まれ出たものが、どうやら「手品」だったらしい。それは奇跡の産物で、ならば俄然尊くて愛すべき興味に思えてき、前回に続き、決して身を助けてはくれないような本に強く引き寄せられる運びとなった。一応図書館への道中、今日読むであろう本の予想では数学か物理学関連の(なるべく易しそうな)本と見積もっていたのだが、まったく賽は投げてみなくてはわからない。

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 それにしても偶然か必然か、「ピエロ」ときて次が「手品」だ。そこに少なからずの関連性は見出せそう。前回で道化師や香具師の背景を学び、今回で彼らの芸のひとつを学んだ。さすれば次はもっと、玉乗りやパントマイムなどといった曲芸か? そういえば昨日、サーカスにまつわる本にも留まる目があった。……そんなふうにエンターテイナー道が見えているならわかりやすくて、かつおもしろそうなのだが、残念ながらそうなりたいわけではないことは明瞭としている。手品の本と言っても、やり方ではなく、知りたいのはその原理の方なのだ。

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 そういうわけで昨日は、「トリック」と、「奇術考」と題名のつく本2冊と、こちらは興味の出自がはっきりしている小説の都合3冊を借りて帰ることにした。返却日は2週間後。だからここからは「手品」に浸る2週間と言うことができる。2週間というのは誰にとっても貴重な時間だ。それをこの度、一瞬の、しかし一度きりの偶然による縁によってつながった「手品」に捧げることになったのだ。こうやって、一瞬の縁によって自分たちはぐるぐる廻っているみたいに思えてくる。そしてそれらのほとんどが、まるでどこから出てきたのかわからない。だけど確かにそれはあるわけで、その結果として各々の現在があるのだ。人間が生み出す最大の手品とは、縁、なのかもしれない。