プラネタリウムに行く。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 11月12日(木)

 憧れに近い形としての興味はずっと小さな頃からもっていた。それが確かなものとして、星への興味が花開いたのは夜空の下をジョギングするようになった頃、一年と少し前だ。街灯や商業施設の照明、車のライトなんかで、決して華やかではないこの町にでも人工的な光がなくなることはない。そんな星がかすむ明るすぎる夜空でも、間近に感じれば、心をときめかせ思いをはせるには十分だった。

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 ようやく重たい腰を上げたのが今日だった。人工的光の一切ない、満天の星空を味わうのは容易ではなく、ならばプラネタリウムという方法がある。ずっと行きたいと思っていたのになかなかきっかけが掴めずいたところ、今日の寝坊の自己嫌悪感が「プラネタリウムに行こう」という思わぬ衝動に化けた。物心ついてからのはじめての本格的プラネタリウムだ。

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 幼少時から、特撮ヒーローや怪獣、合体ロボットなどの類に人並み以上の憧憬を抱くことはないまま大きくなった。そんな自分はしかし、プラネタリウムのど真ん中に居座る投影機、あの特殊な生きもののような独特のフォルムには並々ならぬ興味を寄せていた。

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 入場のアナウンスが響き、ドーム状の室内に入る。見えやすい席は反対側の方だと言う館員に導かれるがまま、投影機の横を通る。かつて恐れ半分に憧れたその孤高の「生きもの」は座ったままの姿勢でじっと天井をにらんでいる。もうとっくに大人である自分は、それが投影機、それ以上でも以下でもないことは理解しているくせに、目の前を通るときはどこか少し畏縮してしまった。しつれいします、と、小さく声に出てしまっていたかもしれない。

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 黒く輝く「生きもの」のぐるりを囲むように座席は並ぶ。座り心地のよい座席は、安心しきって背もたれに体を預けようものなら肝を冷やすことになる。座席は有無を言わさぬリクライニングが働き、星空はこうやって見るものだと、少々乱暴に正しい作法を教えてくれる。中央にでんと構える愛想のないご本尊といい、決してこびない歓待に、逆にそれが心を安心させてくれる気がした。

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 開演を待つ時間、室内はまだ明るく、円形の部屋の壁には「東西南北」の文字、そして周辺の景色が黒だけで描かれている。「これがこのあと盛り上げに一役買うのだな」と思えば、胸はまた少し高鳴りをみせた。

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 開演時間を迎える。この日の解説員がまず軽いあいさつをし、そして上演中のお願いを、天井に映し出したイラストと共に話す。最後に非常口についての説明をしたのだが、それは極めて簡潔だった。すなわち、「室内の西に一か所、東に一か所、南に一か所」といった具合。本来窓のない室内では方向感覚など失われ、東西南北などたちまちわからなくなる。だのに、方角を用いるという禁じ手は、なるほどここだから許されるのだなぁとボクはにやにやした。

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 上演がはじまってからは、とにかく夢中だった。女性解説員によるていねいな解説に、すべて従順に視線をきょろきょろ移す自分は、どれほど子どもじみていただろうか。今日得た星座を形成する星々、神話、天の川銀河やアンドロメダ銀河などの知識はずっと記憶に留めておくことはできないかもしれないけれど、しかし町中肉眼で認められる星空から離れて満天の星空を映し出してくれたときのあの感動はきっと、この先忘れてしまうことはないのでは。所詮はつくりものの星空だと揶揄する人もいるかもしれないが、投影機でつくりだす星空が本物に劣るとは自分は思わない。満天の星空が頭上に現れたとき、たしかに味わったことのない感動はあった。しかし、あまりの心地よさに不覚にもうつらうつらなり、そのとたん、ふっとなにか自分が宇宙の中に吸い込まれていくような怖さも感じた。そんな、たまらなく怖くなった瞬間に、解説員が説明を少し詰まらせることがあった。それではっと自分はもとの自分に戻ることができたのだが、ふと思った。これだけハイテクが進み、取り入れられているなかで解説だけは人間がするということは、見ている人が、宇宙の果てに持っていかれないようにつなぎとめるためなのかもしれない、と。今日のぶんで言えば、まさにその説明がもっとも適当なもののように思えてならなかった。

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 50分間はあっというまに過ぎていった。今日のこの体験を踏まえて今夜以降星を見てくださいと解説員は添えた。こんな町中ではドームに広がったような星はろくに見えないだろうが、そして見えたとしてもひとりでは星座を判別することはできないだろうが、昨日までとは目にうつる星はきっとちがうはずだと確信めいた気になった。上演後しばらく席を立たずに考えた。ひょっとすると、それぞれ自分自身は投影機なのではないだろうか。空を眺めて見える星は、自分の内にあるものが映し出されているのではないか。そしてそれを見て心が動くのならば、きっとどこかに飛ばされていくようなことはない。

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 帰りしな、畏縮しながらまたその「生きもの」の横を通るとき、黒く光る無骨なそれの口もとがきらりと光ったように思えた。