ドキドキするけど ドンといけ。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 9月3日(木)

 通常木曜日は何もなく、だからこそできるだけ外出の予定は入れずに、そしていつもより少しだけ早起きをして一日中家に缶詰めすることが多く、今日などはまさにそういう日。どんなことをするにしても気分や調子が乗るときがあれば乗らないときもあり、乗っているときならば何も言うことはないが、例え乗らないときでも強引にでも向き合い続け、無理やりにでも従事させる。効率が上がらないときはのろのろでもいいから、それを「時間をかける」というものでカバーする。それができるのが木曜日ということだ。「乗らないときは思い切って離れてみる」というのも正解だろうけれど、根気強く続けてエンジンのかかりを待つというのだって正解。「0から1は生まれない」を叩き込まれ続け、いいかげんそれが身についてきたのだろうか、ならば後者「根気強くもがく」を選択し、そういうわけで朝(と言ってもみんなと変わらないくらいの時間からだけど)からしこしこと亀のような格好で机にかじりついている。

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 そして夕方になろうかという今現在、エンジンは未だにすんすん言うだけでどうにもかかってくれない。大ざっぱなものだけれど頭の中には大きなバケツのような容器がでんとあって、その日その時間までに良い時間を過ごせてきたと思えたらそのぶんだけ鮮やかな色とりどりのビタミン・カラーをしたボールが詰まっていくイメージがある。稀なのだが、一日の終わりにバケツを覗くと溢れんばかりに色とりどりのボールが詰まっているような日があって、なんともたのしいバケツの中身をざばーっと頭からかぶってはキャアキャア飛び跳ねるのは何よりもたのしい瞬間だ。すべて妄想の中の話。そのバケツの密度は要するに一日の充実度を計るバロメーターになっているのだが、夕方現在、そのバケツを覗いてみても大してボールは詰まっていない。まだまだ時間はあるから焦ってなどいないのだが、これまでの時間を思えばお粗末な中身に少しだけ悲しくなる。がんばろう、と思いながらも心とは裏腹に今こうしてブログへと逃避行している最中であって、いつにも増して難易度が高そうな今日のぶんを書き終え次第、速やかに「もがき」に戻ろうと思う。

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 憂うべくはいつだって「集中力の欠如」であって、仮に集中力がもっと身につけばいちいち「まだエンジンが…」などと余計なことに目移りしないわけで、没頭、という理想的な状態を得ることができるのだが。

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 そんなことを考えながらぽかんと窓の外を眺めていたら、何軒か隣からピアノが鳴っているのに気がついた。しかし聞こえてきたそれは「弾きはじめ」ではなく、よくよく思い返せばボクとほとんど同じくらいの朝からずうっと鳴っているものだ。何時間も聞こえ続けていたら聴覚は麻痺するのか、すっかり何の変哲もない(失礼な意味合いではないですよ)生活音の一部と化していた。途中数十分のインターバルはあるものの、おそらく奏者はひとりの主婦で、その間にしっかりと家事をこなしてはまたピアノに戻っているのかと。そう考えると、ものすごい集中力だ。推測でしかないのだが、聞こえてくる曲は童謡や小学校低学年が歌う歌の伴奏のようなものばかりで、これが例えばショパンやリストだったなら「あぁ近いうちにコンクールが控えていてとにかく練習しないといけないのだな」と、「必要に迫られた集中力」という解釈で納得できるのだが(それでも十分すごい)、ごく単調な童謡などだ、おそらく趣味の範囲内だろう。それでこの集中力とは、ご近所さんは恐れ入る。

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 刺激を受ければ奮発できるという愚かな人間が自分、こんな身近な刺激を見過ごすわけにはいかなくて、――ふたを開けてみないと分からないけれど、どうやらエンジンがかかるきっかけにようやくたどり着いた模様。

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 例えば人類のはじまりがボクたったひとりだとしたら、まず子孫を残せないということもあるけれど、それ以前に誰からも刺激を受けられず奮発できていないかもしれないから、そういう意味で誰かが必要で、もしもボクひとりだったら早々と人間の歴史は終わっていたかもしれない。ご近所さん、ありがとう。ボクも早く強くなります。


BGM

『ドキドキドン! 一年生』 ぶんけかな