7月23日(木)
下書きとは、清書の前に試みに書くことであって、まったくはじめの段階では、箇条書きに近い形でも何でもいいから、とりあえずばーっと材料をひとつひとつ見えるように散らかすのも一案だ。あとはそれを組み立てて、なんとなく形になったらひたすら完成に向けてブラッシュアップする。それが終わればできあがり。これはもう何にでも当てはまると言っても過言ではないであろう極意、というか王道、というか当たり前の道すじ。
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ボクのいちばん身近な例で言えば、この毎日のブログ。これまで書いてきたものをたまに無作為に読み返してみたら、長ったらしい上に駄文であるものが本当に多いと感じる。
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ふだん書くとき、パソコンの“Word”を開いてキーボードの上に指を押さえぬよう離さぬようの絶妙な力加減で乗せ、しばらく「なに書こう」と頭の中で考える。そしてテーマが決まればそこからわりと一気呵成に書きあげるということが多い。頭の中でなんとなく考えがあるとは言え、ほとんど指と同時進行で、つまりいきなり清書に入っている。逆にテーマに困る日ほど、頭の中を無邪気に飛び回っている種々雑多なことを無理やり捕まえて、それをとりとめもなく画面の下の方に挙げていき、その中からテーマ候補が見つかればそのまま下書きへと移り、それを経てようやく清書に至る。テーマとして成熟していなかったはずなのに、最終的には後者の方が「おやおや」と感心するものができあがっていたりする。事このブログに関しては、下書きをしてからきちんと書いた方が断然いいものができあがっている。自分の中では一応、最後のあがきとしての下書きのつもりなのだが、「最後のあがき」だなんてとんでもない、実はこれこそがまずはじめにすること、「最初のあがき」なのだ。
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そんなことは、なんとなくだが分かっていた。しかし、分かっていながらも意識に上げず実践してこなかったのは、きっと「面倒だから」の一言に集約することができる。確かに、ある程度下書きをすることによって、ブログに費やすことになる時間と精神力は、それをしないときに比べて1.5~2倍ほどになる。だけど、それを面倒と思い下書きを省略し、結局後に読み返したときに自分の駄文才ぶりに愕然としてしまうなんて、こんなに愚かな男のお話はない。
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今回この「まいにち文章」をはじめる段に、「推敲は重ねないため駄文となるのは規定路線、見た目より中身!」みたいな若々しいことを豪語していたが、ここでその方針を少し変更しようかと思う。気持ちばかりだが(そう本当に…)忙しい自分、やはり毎日毎日1時間以上をこれに費やすことは難しいと思う。だから毎日下書きをした上で推敲も重ねたものを書くという約束はできないが、少なくともこれまで以上に、具体的に言えば週の半分以上は、きちんと世に出す前の準備を整えた上での文章を更新していこうと思う。ブログを軽視しての引用ではないが、「獅子は兎を狩るのにも全力を尽くす」という言葉がある。今の自分がやれることはどれも大したことではないが、どれも等閑にしてはいけないものたち。どうせするなら、毎日のブログの重要性をここでもう一段階上げて取り組んでみようと思う。やること毎に使う筋肉はちがって、「これをやっていればまぁ大丈夫」というようなものはないと分かった。だけど、そこで培われる意識みたいなものは大きな容器に一緒くたにちゃんと蓄積されていくことも分かった。ならばせめて、意識の容器をもっともっと豊かにするためにできることはやっていこうと思う次第だ。
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言葉にすればやっぱり陳腐で当たり前すぎることになってしまうけれど、これからの自分に掲げるスローガンはこれだ、「準備はしっかりね」。