3月28日(土)
移動手段はもっぱら原付きだ。遠出をするとき、家の車は他に必要な人がだいたいいつもいるためその都合上なかなか使えず、電車を利用するにしても、2キロほどにある最寄り駅まで行くにはどうしても原付きに頼らざるを得ない。自転車でもいいのだが、一度でも原付きの楽さという甘い味を知ってしまえば、なかなか人力は選択肢に入らない。
その、大事な大事な原付きが、ここにきて調子が悪くなってきた。ただこれは、謂われなき不調というものでもなく、4年間来る日も来る日も酷使に耐えてきた結果の、そろそろ寿命を迎えても仕方がないという種類のものだと考えられる。その証拠に、ところどころにもガタがきている。最近新しく取り替えてもらったタイヤ以外は、まともな見た目の部分はないと言ってもいいくらい。
今回、不調なところは左ウィンカー。押してもその部分だけ上手く働かなくなった。以前にも一度あったのだが、そのときはすぐに持ち直してくれたのだが、今回はそうもいかない。やっかいなのは、ウィンカーが出せなくなった原付きで、おいそれと公道を走り回ってもいいほどこの国の法律は甘くないことだ。それに加えて自分自身、日ごろから正しくウィンカーを出さない車には腹を立てている手前、自分がその種類の人間になることなんて耐えられない。それは走行中なのだが、自分の左ウィンカーが動かないことが発覚したときは、焦りの気持ちと罪悪感と、情けなさが胸に迫ってきた。
それでそのとき、ただちに走行を中止したのかと問われれば、そのまま走り続けた。一応気持ち程度の手信号はした。でも、不備が分かっても走行をやめなかった事実は変わらない。このとき、車が少なかったということもあるが、少しならいいかという甘い考えが働いたのだ。悪いことをしているという自覚はあった。暴走行為の。だけど、エンジンを停止して押して歩く苦労をする気にはなれなかったのだ。ごめんなさい。これでまたひとつ、天国への道が遠のいた。
懺悔はまだ続く。今日もだ。今日も、不備を知っていながら、なおもそれに乗って走ってしまった。ごめんなさい。ただ、以前はガソリンを入れるとどういうわけか治ったのだ。その前例があったので、今回もガソリンを入れるために乗ったのだ。でも、悲しすぎることに今回は新鮮なガソリンを満タンに入れても治らなかった。信じていた薬を投与しても治らなかったことと、無為な暴走をしてしまったことのダブルの悲しさが胸に押し寄せ、寒空の下泣いてしまいそうになった。でもそれは、目下のところ望んでいる種類の涙ではないため、ただ悲しいだけの涙。
さあそれで、その健常ではない原付きを帰りはどうしたかと言うと、乗って帰った。ごめんなさい。3つめの悪事だ。仏の顔も三度までと言うが、まだぎりぎり仏様はお許しを下さるかもしれないが、仏様以外なら、三度目はもう許せる域を超えている。そしてこの地上には残念なことに仏様以外のほうが多く、仏様に許されていると言っても、実質世俗のものすべてから憎まれるべき人間となってしまったことだろう。
ただ、ひとつ言い訳をさせてもらうとすれば、いけしゃあしゃあと乗り回していたわけでは決してない。つまり、左折を必要としないように乗ったのだ。理論の上では、左ウィンカーの必要がない走行ならば当面は乗っても構わないと考えた。だから、脳内ナビをフル稼働させ、なんとか左折を最小限に抑えられるよう努力して原付きを走らせた。その結果、用事ないコンビニに入るなど多少強引なところもあったが、不正な左折は危険性のないと思われる箇所での2回に抑えることができた。そのときも、羞恥心を捨て、力いっぱい手信号を駆使し、危険をできる限り少なくするよう努めたつもりだ。
もちろん安全を何よりも考えた。自分のではない、周りのだ。その上で言う言葉だが、少したのしかった。右折だけでも、なんとかなるものなのだと。
ただし、ここまで。明日、早急に修理に出してきます。ほんとうに、すみませんでした。