産んだ言葉は孝行する。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 3月24日(火)

 言葉にする、ということはとても大事だ。言葉で上手く伝えられるということは、そのことについて正しく理解できているということにもなるし、言葉にしていくなかで、自分の思っていることがどんどん明確になっていくこともある。思考している段階のものなんて、自分の中で具体化していると思っていてもその時点ではまだまだ抽象的なもので、いまいち正体がつかみきれていないことがほとんどだ。だからそれを、言葉にしたり文章にしたり、とにかくアウトプットして自分の中から外に出してみてこそ、全貌が明らかになったり確認ができたりする。それが想定外の結果を引き起こしてくれることだってある。

 星についてがひとつそうだった。近頃興味を持っていて、関連する文献を読みあさって、とにかく知識を詰め込んだ。それを先日、興味を持って話を聞きたがってくれた友達に話してみると、はじめは調子が良かったが、すぐにあやふやになってき、しまいにはなんだかよく分からなくなっていた。確かに理解したつもりで本を閉じたはずだったものの、実際はそれを自分のものにはしきれていなかったということが、そのときはじめて分かった。

 そして昨日、春になり新生活がはじまるにあたり、これまでは近くにいた友達が遠くに拠点を移すことになったことから、とりあえずは最後ということでゆっくりと話をした。そこで話の流れから、いろいろとそいつに思っていたことを言ったり、言ってもらったりということになった。最初はこっ恥ずかしかったものの、ちょっとだけがんばって言いはじめてみると良い意味で箍(たが)がゆるみ、すごく素直になることができた。いつだってはじめのきっかけが大変なのだけど、それさえ越えれば、後に続くように、もともと持っていた思いはどんどん言葉となり外に飛び出してきた。そして言葉にしていくうちに「あぁ自分はこんなふうに思っていたのか」ともわかってくるし、それを踏まえてさらに言葉が続いてきた。すると、それを受けた友達からもたくさんの言葉が返ってき、互いの言葉は連鎖反応を起こし、そこには本当に良い時間が流れていた。恥ずかしさはやはり残っていたけれど、それ以上にすっきりとした気持ちになれていた。

 今日だってまた然り。昔はたくさんたくさん話をしていた友達と、久しぶりに再会してゆっくりと話をした。時の経過は許しを与えてくれるもので、当時は話しにくかったことや訊きにくかったことでも、案外簡単にすることができた。すると、その前と後では自分の中でそいつとの距離がぐっと近づいたと感じることができた。言葉にしてみた結果だ。

 ここ数日で特に、「言葉にする」ということがとても重要だと知った。それは頭の中だけで思うことよりも格段に難しいことだけど、上手い下手はさほど問題ではなく、言葉にするときの勇気は、否応なしに背中を押してくれるものだと知った。それはときにはものすごくエネルギーを要し勇気のいることだけど、伝えたいことがある場合なんて特に、ぜひとも言葉にする価値は必ずある。恐れているだけでは何も前進しないし、何も生まれない。

 だけど自分は、ひとつ勇気を出して言ってみても、その後続部隊がなかなかの遅足なのが厄介なのだ。どうしても言葉がたくさん必要になってくる。いつも一生懸命言葉を選んで紡ぎはする。この一生懸命さが雄弁なものとなってくれているのならば幸いなのだが……。大切なものと分かった言葉を、今度はもっと上手に出せるようにならなくてはならない。やはり下手よりは、上手な方がいいのだから。