カーテンコールよ永遠に。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 3月5日(木)

 今日は舞台を観に行ってきた。とてもとてもたのしみにしていた舞台だったため、興奮して前夜も眠れないかもしれないと不安を抱いていたが、快眠快眠。パーフェクトな眠りを経て今日に臨むことができた。

 その舞台はとてもおもしろかった。ここ最近、客としてステージを観る機会が続いたが、今日の集中具合もまた手前味噌ながらすごかったと思う。カーテンコール直後は、必死で目と耳と脳を稼動させた良い疲れと、そしてなにより満足感で胸がいっぱいだった。やはり舞台は良い。改めて生ものだと感じた。観客も一緒に舞台をつくるとはよく聞くが本当にその通りだ。ぞろぞろと劇場を後にしながら、口々に感想を言い合ったり、無言で、だがしかし満足感をたたえた表情のお客さんを見て、もうすべてがいとおしく思えたものだ。舞台中毒になる気持ちもなるほど頷ける。

 そしてその後は一緒に観劇した友人と近隣のショッピングモールを、時間をかけて物色した。充足感も一段落つくと、ぐぅとお腹が鳴ったので軽く何かをつまもうと目についたベーカリーに入った。そこでとてもおいしそうだったグラタンセットをシェアして食べたのだが、それに添えられていた温野菜はボクが引き受けた。そのうちのひとつに、葉物があり、それは繊維の都合でなかなか上手に咀嚼できなかった。飲み込めるか判断に迷う大きさまでが限界で、意を決して飲み込むことにした。のどにつかえるぎりぎりを通り抜けてそれは胃に収まり、なんとか事なきを得たのだが、素晴らしい舞台を経験できたので、このまま仏になっても悪くないかと、あのとき自分は思っていたかもしれない。今思えば少しぞっとする。

 そんな小さな事件を経て、口の中を、舌を使ってもぞもぞとチェックをした。ボクは歯についてシビアな考えを持っている。自分の歯に食べかすが残っていたり、人と会うときに歯が黄色かったりするのが許せないのだ。もっとも、恵まれた歯環境のおかげで、いつもそこに苦労することはないのだが。

 会計を済ませた後は、大きなモール内をひたすら物色物色。初めて訪れる場所なのでとてもたのしい。主に友人の買い物に付き合っていたのだが、それは少しも苦にはならなかった。舞台も良かったし、友人は入用の物を買うことができたし、なによりたのしかったし。後は晩ごはんでも食べて帰ろうかということで、軽めのうどんを食べて帰った。車内もひたすらたのしい。

 友人と別れて帰宅し、今日のブログを書こうかとパソコンの電源を入れ起動を待っている間、何気なく鏡を覗いた。すると、自分の顔の中にあるはずのない色があった。緑色だ。それは前歯に、昼に食べた葉物の一部がごく小さくではあるがはさまっていたのである。たとえどんなに小さくても白い部分に緑の点がちょこんとあればそれはとても目立つ。とたんにボクは背筋が凍った。向かい合って座っているときに、エピソード話で友人を笑わせても、そのときそいつの歯には葉かすがはさまっている。今力を注いでいることに友人が感心してくれても、そのときもそいつの歯には葉かすがはさまっている。なんなんだちくしょう。あのときだ。ベーカリーを出た後トイレに行ったときだ。なぜちょっと鏡でチェックしておかなかったのだ!いくら舞い上がっていたからとは言えそれは少し緩みすぎた。以前「もう後悔はしないように生きよう」と決意をしたが今日だけは解禁だ。ああたまらない!

 そんな一日だった。「まだ自律が足りないことを痛感した厳しい一日だった」とも言えるし、「自律を失うほど舞い上がれた幸せな一日だった」とも言える。たのしくいこう、今日は後者だ。

 熱を通して鮮やかな緑色の葉かすも「たのしかったね」とくたびれているように見える。せめてもの慈悲だ。ごみ箱に弾き飛ばして捨てるのではなく、白いティッシュに包んで葬ってやろう。