楽しみなことを持つことはいい。
それは実現性が高いものほどいい。
それは些細なことでもいい。
それはたくさんあるほどいい。
そしてそれはいくらあっても邪魔にならない。
楽しみなことがあればその間に待ち受ける、つらい・しんどい・その他諸々のことも乗り越えられる気になる。
そのあとに楽しいことがあるから。
したがって、つらい・しんどい・その他諸々のことをしなければならないときは、半ば強引にでもその後に楽しみな予定を組み込む。
そうするだけでほんとうに変わってくる。
誰でも自然にやってることだよね、きっと。
つらいことなどをやり遂げた後、『さぁ楽しみ!』という段階で急遽その楽しみだったことが中止になったとしても、それはそれでいい。
なんて言うか、よくはないのだが、ひどく失望するとまではいかない。
つまり『予定を立てる』という作業が楽しいのだ。幸せなのだ。
あれをしているときの幸せな感じというのは一体何なのだろう。ちょっと他にない幸せだ。
『予定を立てる』と『予定を実行する』の楽しさは比較できるものではないが、ともすれば前者の方が楽しいというケースがある。
考えてみれば変な話だね。
話が少しそれている気がする。
戻るよ、ちゃんときれいな着地を決める。
どういう生き方をしても嫌なことから逃れることはできない。
だから要所要所に、できるだけ等間隔に、願わくば短い間隔で、人生に楽しみを配置する。楽しみな予定を配置する。
1つ1つは小さな点でも、それをつなげば立派な線になるもんだ。
そして、
例えばの話、毎日寝る前に何か些細なことでも楽しいことがあるのならば、『終わりよければすべて良し』の法則で毎日がとても幸せと感じる。
それぐらい、少なくともボクは単純な作りの生き物だ。